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チョコレートとタマムシ(1):物と色彩の亀裂 [色]

ゴンチャロフチョコ1b.jpg
 
もらったチョコレートを食べようとしたら,あまり綺麗なので口に
入れるのが惜しくなってしまった.写真に納まっているこの作品は
ロシア風製法の伝統をひく神戸のお菓子工房;「ゴンチャロフ」が世に
送り出している逸品である.と言っても僕はチョコレートに関する
薀蓄も全く無いし,このメモも舌触りや味に関してではない.

ゴンチャロフチョコ3b.jpg
 
チョコレートが発する色というのはその素材とかかわりがあるのは
明らかだが,それを色との関連で見たらどうなるのだろう.絵具の
場合,色を決めているのは顕色材としてくくられる色素で他は塗りの
伸びや定着,絵具としての均質性を良くしたりする助剤である.
チョコレートの発色は単一ではないにしても主調はカカオマスとか
ココアパウダーに由来するはずである.しかし,調べてみるとココア
パウダーはチョコレート色よりはわずかに赤みがかかって,
実際はpHとかに発色が微妙に影響を受けるという.

ゴンチャロフチョコ2b.jpg

カカオ豆から最終的なチョコレートに到るまでには何段階にもわたる
複雑な工程があり,ココアバターとか,植物油脂,水飴とか,
それ自身では色彩的な顕色には影響が少なくても質感という色彩の
具現的な姿に大きな役割を果たすことになる.
 色を色素と言う面から見ると,顔料にしても染料にしても光の中の
どの波長を吸収し,どの波長を補色として発するかということになり,
この面ではチョコレートもより積分的な複雑さは有るにしても例外では
ありえない.

ゴンチャロフチョコ4b.jpg

 一方,これを描く対象として見たらどうなるのだろうか.チョコレート
が具現する現実の姿は艶や香り,特定の肌触りを有する物で有って
絵具が具現する色素とは異なる.したがって描くという行為は
本質的に客体そのものではなく,それの翻訳であることを絶対に
避けることは出来ないのだ.客体を言葉で描こうとすることが
翻訳であることを何人も否定はしない.しかし具体的な形象で
表現することは,言語を使うと同様極めて高度で神秘的な翻訳
行為であるように思う.

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●冬の蝶 [生命]

水滴Dec409.jpeg

11月とは思えないような小春日和が一転,12月の最初の週の中日
3日木曜日には冷た氷雨がぱらついていた.しかし翌4日には青空が
戻りまたもや穏やかな陽射しである.それでも,工房の窓から
見る松林の下はぽっかりと洞窟のように暗く,落葉を落としてやせ細った
コナラ林の先には,もはや命の気配というものがぴくりとも動こうとしない.

      ”冬か・・・”

天空に目をやると薄い雲が絶え間なく形を変え,冷えた大気の中に
ちぎれては消えて行く.ひたすら微動だにせず弱い陽光を吸って緩慢な
死の道行きをうごめいていたカマキリ達の姿もいつのまにか消えてしまった.
多くの生き物ははや安息の時を迎えたのだろうか.

コナラDec409.jpeg

  風に舞う落葉は,無数の木々が冬を乗り切るため
   自から身体の一部を切り捨てる自殺装置だ.
葉の付根では大量の死が一時に生産され
 用済みの枯葉は容赦なく切り捨てられていく.
合理的と言えば聞こえは良いが自然は非情なのだ.

コナラ林Dec409.jpeg

その時何かがひらひらと舞踊るのが見えた.
”トンボ・・・いや確か蝶のような・・”
あわてて目をこらすと青い筋状の紋が目に飛び込んできた.
ルリタテハだ!脅かさないようそっと近づいたが,
2,3度旋回してその優雅な姿はあっというまに森に消えてしまった.

ルリタテハ1.jpeg
盛夏のコナラの樹液を求めて集まったルリタテハとカナブン

思いがけず目にした美しい冬の蝶,
それは多様な蝶の越冬形態を知らなければ
 どこかあるべき時と場所から浮きあがった存在として
無知が持つ独特の冷笑を浴びたかもしれない.
場違いとか,季節外れとか・・・・
大多数の人間にとって,大多数の価値観や傾向からはずれること,
 それは何であれ,許しがたい逸脱行為なのだ.
人間にひきつけて言えばもっと激しく不快な表現となるのだろう.
老残をさらすこと,そこに多くの安堵と憐憫のよりどころが有るとか.

朽木Dec409.jpeg
 
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● ちょっと一休み;小布施の休日 [街]

 山梨でもリンゴを作っているが,一度北部信州の小布施で買って以来
それが病み付きとなった.フジとかサンフジが中心なのは同じだが,
包丁で剥かれた黄緑の果肉を頬張ると,口いっぱいに甘味の限界を極めた
晩秋の味が,かすかな酸味と香りを伴なって広がるのが素晴らしい.
今年は21日から連休に入るので,人ごみを避けて20日(金曜日)に
中央道から信越道に抜けることになった.友人と連合いが小布施で
僕の小さな誕生会をしてくれるというおまけ付きである.
 朝8時半頃工房を出発,連山の紅葉を楽しみながら2時間半程度で
小布施のハイウエイ・オアシスに到着した.ダンボール箱で5箱程度は
リンゴを買ったろうか,みるみる車のトランクが一杯になって行く.
12時には小布施のレストラン「蔵部」の予約がしてあるので,買出しは
その程度で切り上げて高速道路側道から人口1万2千の街の中心部
に向かった.そこかしこに広がる栗林を抜けるとゲストハウス小布施
近辺の駐車場までは約10分,ここから蔵部までは徒歩で数分もかからない.

小布施2.jpg

小布施1.jpg

小布施3.jpg


このレストランは黒を基調とした伝統的な民家様式のようでいてどこか
現代にそれが甦ったような新しさがある.能書きによると,枡一市村酒造
の酒蔵をリメイクして出来たこのレストランは香港在住のアメリカ人デザイナー
;ジョン・モーフォード氏の手になるという.しかもプロデュースは
枡一市村酒造取締役;セーラー・マリ・カミング氏というからなかなか
面白い.

蔵部2.jpg

 昼食は誕生会ということでちょっぴり奮発してもらったが,これが
またなかなかの味で驚いた.古い伝統を踏まえていながらすぐには
劣化しない新しさと言ったら良いのだろうか.小布施の街全体から
立ち昇る自信と風格の由来を知りたくなり,帰宅後急いで町史を
ネットでたどってみた.何と言う不勉強!うかつにも僕は知らなかったが,
小布施は街づくりの卓越した成功例としてつとに有名だったのだ.
その中心に有って明快な理念を現実のものにし牽引したのが
宮本忠長氏である.
http://www.avis.ne.jp/~miyamoto/

 旧市街を更地にして,再開発の名もとに10年もすれば古くなるような
建物を並べるといった手法と氏は真っ向から対決する.そこに生活
してきた人々の歴史をたどり,これを現在に生かす道筋を具体的に
明らかにしていく,そこから誕生してくる街並みは単なる懐古ではなく
風化に耐える普遍性,新しい文化だという確信がそうさせるのであろう.
「まちは生きている.まちづくりとは,いえづくりに例えるなら模様替え
工事である.いっぺんにできあがるという代物ではない.少しずつ,
住みながら,生き続けながら,設計し着工する」
小布施の街づくりにあたっての氏の言葉である.

蔵部1.jpg
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■②歌うように語ったのは誰? [音]

●竜が踊るための道具
 一般に琴(こと)と呼ばれている楽器は共鳴胴の表面に張られた弦を琴爪
ではじいて音を出す.音色は一音だけで慣れ親しんできた西欧撥弦楽器の
いずれからも区別される独自の表情を有している.かって琴の名曲集を
米国人の友人にプレゼントしたことが有るが,「奇妙すぎる」の印象で彼は
2度と聴くことは無かった.大気や風土,生き物の気配も含めた一瞬の風景が
僕等の感覚と西欧の感覚を峻別するのであろうか.この楽器の表板材は
母に聴いたところ桐材で,正目ではなく木目が複雑な方が評価が高いという.

竜頭.jpeg
槽の表面はくすんで重厚な感じがするが材質は桐である.弦が発する処;すなわち竜眼の前方は竜額と呼ばれる.

表板の専門用語として櫓となる名称が使われているが,その緩やかな
湾曲や厚みが音に大きな影響を持つように見える.これに竜背と呼ばれる
裏板を張りつけているのであるが,竜の身体になぞらえた名称は他にも有って,
例えば琴の弾き手側頭部は竜頭,尾部は竜尾,弦の発する穴は竜眼等と言われる.

竜尾.jpeg
竜尾では弦は表層で終わらず,槽を回り込んで背に到る.

竜背.jpeg
槽後方の裏側(竜背)はくりぬかれて弦を収容している.背の桐材は思ったより厚く見える

 琴の独特の構造として顕著な点は,竜角と雲角というせり出しの間に
ぴんと張られた弦を途中の柱(琴柱)で支えていることであろう.こうすれば
弦の緊張を調節しなくても音程を変えることができる.この構造を持つものは
厳密には筝(そう)と呼ぶべきで有って,柱を持たない琴とは区別されるべきだと
いう.しかし,いつのまにか筝にたいして琴の呼称が定着してしまった.

琴柱.jpeg
琴柱はことじと読む.この位置を調整して音調を整えるが調弦は平調子だけではなく多数の方式がある.

●振動は弥生時代を越えて狩猟の民に到るのか?
 この筝は奈良時代,唐より伝来したとの記述もあるが,弦を爪弾く楽器としての
琴は日本でも独自の歴史を持って発展してきたとの指摘もある.
例えば埴輪に琴が登場したり,弥生時代の遺跡から琴板の類が発見される
等の事実を考えれば,琴の歴史は想像以上に古いかもしれない.弓に張った
弦は弾けば音を発するのであれば,狩猟の民がその音を逃す筈がないし,
現に梓弓の儀式の中にその残像は残っている.
 しかし,言語における文字のように,音を出すと言う行為そのものの記録
が残っていないかぎり,楽器の存在は音楽の成熟を示す指標には成らないように
思う.なぜなら歌うことが可能な人間の音声装置の存在は,最良の楽器としての
可能性を常に示すもので有っても,それが現実に使われたのかどうかということ
とは全く別問題だからである.


 歌うことのなかった人間が,ある日,ある時,歌うことを始めた.それは誰が,
いつ,何処で,どのようなということになるのだが,問題解明のアプローチさえ
おぼつかない今の段階ではいらいらは募るばかりである.
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■音と見えない文様形成の起源; ①声の変容 [音]

●電話で話すのが苦手
 片時も携帯を手放せないのであろうか,歩行中も,自転車の運転中も
携帯を手にする姿を毎日のように目にする.テレビの報道画面にも臆せず
登場しているので,その類の人口は増えて来ているに違いない.携帯
登場以前にも電話で何時間も長電話をするグループは有った.有線で
あろうと無線で有ろうと,1:1の音声結合で会話が進行するこの形式は,
それにとりつかれた時には抜け出すことが困難な迷宮として働くのだろう.
 一方では僕のように通信手段と割り切って,最小限の時間で会話を
切り上げようとするグループがある.嫌悪というといささかきつすぎるが,
この完全に人工的に作られた会話空間に溶け込めないのだ.先達の
考察を聴いてみよう.
「フロイドはどうも電話が好きでなかったらしい.人の話を聞くのが大好き
だったあのフロイドがである.おそらくフロイドは,電話が常に不協和音
であること,そこから伝わってくるのが悪しき声,偽りのコミュニケーション
であることを,感じ,予見していたのであろう」(ロラン・バルト).

●何時でも,何処からでも,安く
フロイドの時代から電話はワイヤーの時代を経てワイヤレス;無線時代の
極限にまで達している.携帯は見えない強力な拘束の鎖で我々を捕らえて,
音信不通の自由空間でいつまでも遊ぶことを許さない.この産業活動の
必然とも言える激変を推し進めた一端は,我々の欲望そのものに起因する
ようにも見える.何時でも,何処からでも,望む相手と話したいという欲望と.
それが技術的に可能に成った今,必要とされるのは欲望の制限であって,
欲望の無制限な解放ではないという新時代が到来する.この自己否定の
動力学は重要ではあるが,自我の崩壊のメカニズムはとりあえず別に置く
ことにして,声としての本質的な意味に何か変容が起こっているのだろうか.

葡萄園・ 父.jpeg

●声は瞬時に誕生し,消える
古いアルバムの中に亡くなった父の写真を何枚か見つけた.それは職場での
謹厳な父であったり,また葡萄園の下で友人と談笑する父であったりするのだが,
くっきりと焦点が合ったイメージは不可解な静けさの中で奇妙な安定を得て
動こうとはしない.声が生きた者の特権であるとすれば死者は何をもって語ろうと
するのだろうか.現実を生きる者といえども,その声は生まれ出た瞬間に消滅する.
永遠という幻想が不動のものと不可分であるかぎり,そしてこの不動も幻想である
のだが,声は”不動”とは相容れないだろう.
「声を成立せしめているのは,その内にあって死すべきもの,そのことによって
わたしを引き裂くものである.声とは,たちまちにして記憶と化すもの,それ以外
にありようないものに思える」(ロラン・バルト).

波紋2.jpeg
周囲には農業用水用と思われる溜池がいくつか点在している.

瞬時に消える声は他者の脳のしかるべき位置に格納される.つまり死すべき
声は他者の脳の中でのみ蘇生するのだが,それは翻訳され意味を付加された
声であって,声そのものではない.会話というのはこうした延々と続く翻訳
の作業でもあるのだ.そこで声には高低,強度,速さ,テンポが当初から
必然的に加わった可能性がある.語ることとは,実は当初から歌うことを孕んで
いたというのは言いすぎだろうか.
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■森の近景③;赤いろうそくが里山に消える [森]

桑畑より.jpg
旧県立蚕業試験場跡地.里山の一角を形成している.移転後は完全な放置林である.

 ●工房は田畑や果樹園から100メートルほど山側に登ったところに
位置するので里山の中ということになるのだろうか.太古からの森林環境を
考える上で真っ先に疑問に思ったのはこの地の本来の植生はどうだった
のかということである.眼前に広がるこの植生を,定量評価は別として単純に
印象だけで記述すると,最上部を形成しているのがアカマツで,完全に
光をさえぎることが無いためであろうか,それよりやや低いところを中心として
コナラ,ヤマザクラ,クリ,マルバアオダモ等の枝が光を捉えようとひしめいている
ように見える.地表部近くはどうかというと,人手が入らない”放置林”の相貌
そのもので,倒木が朽るにまかせてころがり,人も動物もよせつけないかのような
ツルバラ,ススキ,ウルシ,アメリカヤマゴボウの壁を乗り越えてさらに猛然とクズ
が覆いかぶさるすざまじい荒廃の風景がそこかしこで観察される.僕の乏しい
林学の知識ではこの雑然と広がる光景の真相に分け入るのは簡単では無いが,
現実の網目を飛び越えて論理だけたぐりよせると意外に単純な筋書きが
浮かびあがってくるように思えた.

コナラのどんぐり.jpg
アカマツとならんで主要高木となっているコナラのどんぐり.2008年10月17日撮影

 ●森林の樹木相が一定のところで安定した時これを極相と言うが,この極相の分布
と年平均気温は密接な関連を持つため,樹木の分布に対して森林帯という概念が
用いられる.本州の中部地方以北および北海道西南の低地は森林帯としては
平均気温が6~13℃のブナ帯に,本州でそれより南の低地,四国,九州,沖縄の
一部などは平均気温が13~21℃となってカシ帯に分けられる等がそれである.   
甲府の年間平均気温は14.3℃でカシ帯に入ることになる.とすれば本来の植生
は陰樹であるカシ類,シイ類を主とした常緑広葉樹林ということになるが,
上述したように周囲にはシラカシ,アカガシ,アラカシ,スダジイといった常緑高木は
見当たらない.これをどのように解釈したら良いのだろうか.

葡萄畑の裏.jpg
里山と隣接する葡萄畑の裏.何の手入れも入っていな木々の幹にはツタがからまり, 地表近くではススキの乗り越えてクズが蛇のようにせまっている.

 ●ちょっと考えれば気が付くことであるが,資源としての森林の歴史は人間による
開発,利用,さらにきつい言葉で言うなら簒奪の歴史でもある.絶えざる伐採
という人為的撹乱を受けない森林など特殊な例を除いてほとんど存在
しないはずだ.長期の人為的撹乱を受けたカシ帯はどうなるのかを調べると
謎が解けたように思えた.カシ,シイ類を中心とした照葉樹林帯がコナラやアベマキ,
クヌギなどの落葉広葉樹林へと変貌をとげるのは強い人為的撹乱の証拠だと
森林学にはきちんと記載されている.

住宅地への道路.jpg
住宅地に連なる道路.放置された路面にクズが這い,竹がおおいかぶさっている.

 ●里山の典型的風景として登場する落葉広葉樹林であるが,実はそれは常緑
広葉樹林の伐採によって生じた人間と自然との合作であるのだ.ここから
重大な疑問が浮かび上がってくる.里山を人間の干渉が及ばないところの
あるがままの自然と受け取り,里山を手付かずのまま”守れ”と声高に主張する
ことは動的な里山を維持することになるのであろうかという疑問である.

県有地敷地内.jpg
試験所敷地内のアカマツは松枯れ病で次々と倒れて行くが,倒木のまま放置されている.

● 実際の歴史を調べてみると,さらに驚くべき事実と里山がつながって行く.
稲作はもちろんであるが,総ての作物の生育に不可欠で,しかも人間の能力で
管理可能なのが水と肥料である.現代農業ではこの制御可能な領域を拡大し,
温度や日照量にまで広げてきた.しかし,里山が関与してきたのは高度の
科学技術を取り入れた現代農業ではなく近代までの農業である.里山の
雑木林とそれに連なる森林は水源の涵養林としての役割を担って来た.
またそこから得られる落葉や雑草,下草等は適当に加工され,あるいは
焼却灰という形で田畑の肥料として農作物の生育を促して来た.一方
熱源や薪炭財を提供できる里山は木材伐採という上記保全とは逆流する
争いの場でもあったという.かって例外なく存在したといわれる里山資産利用
に関する厳重な「掟」の存在は,見方を変えれば里山が持つ利用価値の別の
表現でもあるのだ.

感染松処理.jpg
カミキリ駆除処理を受ける松枯れ被罹松.営林署の懸命な努力が続いている.

● しかし化石燃料への転換と現代農業という技術革新は里山の価値を一変
させた.今や里山の多くは利用価値を失い,処分することも再生することも
出来ない巨大なお荷物として多くが放置されているかに見える.小川未明の
童話;「赤いろうそくと人魚」は人魚から得た沢山の恩恵に対して,これを
売りとばす暴挙で報いた忘恩の物語である.人間の経済活動が報恩の原理で
動いているのでは無いことは確かであるが,それなら別の経済原理で里山を
再生できないのだろうか.里山へのノスタルジアをかきたてたところで荒廃が
止み再生が始まることは無いだろう.それは里山の歴史を見れば明らかである.
人間の経済原理の中心に有るのは常に資源占有・獲得の飽くなき追求と,
非情な科学的合理性である.それなら里山に居を置いた動植物達はどうなのか.
同じく非情な合理性で動いているではないかという異論が出されるかもしれない.
これにはその通りだと思うと同時に,それから少し外れた感情的なものが
頭をもたげて来る.人間のような無制限の幸福願望は生き物達には無い.
盛夏の庭に死を迎えたアブラゼミやオオムラサキが無造作にころがっている.
他に選択の余地がないささやかな生存の宴のなかで,かれらの一生が今
見事に終わったのだ.歩行する足を持たない木々のざわめきはさらに哀しい.
この動植物の宴によりそうのは合理でもなければ,科学でもない.そして
僕の場合のアートは合理や科学から響いてくる欲望の声でもなければ,
幸福願望の悲鳴でもない.動植物の有限の生という共通項を担いながら,
死という永遠性を解読する海図無き問いと関係がある何かだ.

コナラ落葉.jpg
コナラの落葉.11月,工房の庭は落葉で敷き詰められる.
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森の近景②;プロローグとしての森の闇 [森]

 人類が採集・狩猟を生活の周縁において,定住と育成・栽培を専らとする
農業中心の生活に切り替えたのは今からどのくらい前のことだろうか.正確な
ことは分からないにしても,場所を限定しなければ8千年前とか一万年前とか
いう推察が多い.日本列島に限定すると米作農耕は弥生時代に始まるとの
主張が崩れてはいないから,定着農耕文化の開始は地球上の他の地域と
比較すると大幅に新しいものとなるのであろう.

ラズベリー.jpeg
工房の庭に植えたブルーベリーの実;今年は熟す寸前に小鳥が啄んでしまった.

 これに地球史的に見た森林の歴史を重ねてみると人類のさがのようなものが
浮かび上がって来る.未だ人間が自然の一角で謙虚な位置を占めて居た時,
王者である森と海は人類がなす原始的農業の営みを鷹揚に見逃して来たに
違いない.なぜなら最初の植物が5億年前に生じて以来,植物進化の流れは
止まることなく続き,ついに7000万年前には花を咲かせ種をつける20万種
(100万種との説もある)の被子植物の大群で地上の多くをを覆ったからだ.

フデリンドウ.jpeg
春になると周りではフデリンドウが花盛りとなる

 当時耕作地を拡大しようとする人類の前に立ちはだかったものは何で有った
のか,それは平均気温や雨量の違いにより一律ではなかったにしても,
少なくとも耕作可能地域に入るところでは眼前に波打つ広大な緑の壁が
圧倒的力を見せつけていたのではなかろうか.ここには”自然保護”の
弱々しい緑のイメージは片鱗もない.森は生き物を育み,その生き物によって
人間の生存を支えてくれる豊穣の場ではあったろう.しかし,森の気まぐれとも
見える食料資源としての木の実の豊作,不作の波は常にそれに依存して生きる
人々への無言の圧迫となったはずだ.
 当時の貧弱な草木管理の道具は,少々の油断でも恐るべき成長力で
おしよせる緑への恐怖を軽減することが出来なかったこともある.畏敬と
恐れとという視点から考えると恒常的闇の環境ということも有るだろう.
日没と共に照明の無い住居を漆黒の闇が包み,仰げばおよそ限界が
無いかに見える天空が底なしの湖底を覗き込むようなこ惑を投げかけた
に違いない.
 真の闇が何かについては一つの思い出が有る.小学生か中学生かは忘れたが,
未だ高度成長期に入る遥か前のことだったと思う.或る日バスに揺られて牧丘の
叔父のところに連れ立って行くことになった.夕暮れに甲府を出発したが,
バス停に降り立った時はすでに日はとっぷりと暮れていて,辺りは街燈だけが
冬の道路を寒々と照らしていた.そこから2,3kmのうねうね曲がった山道を
登ればすむことは知っていたが,途中叔父が近道をしようと言って先に
すたすたと歩き出した.道路から外れてあぜ道らしきところに出た時には
完全に夜の中に融けた叔父の姿を見失った.新月だろうか,
月明かりもなく空には星だけが鋭い光点を闇に穿て震えている.
足元が宙に浮いたようで一足ごとに自信が失せ,ついには歩みが
止まってしまった.「おい,ひさとこっちだ」思わぬ近くから叔父の声が
聴こえて来た.闇の中でさらに黒い闇を背負った叔父の姿が,
かろうじて見えた.縄文人の闇とはこれよりもさらに深い闇だったはずだ.

風とコナラ.jpeg
7月,風にゆれるコナラ

 彼等が聴いた音も,我々が中毒状態に陥っている時系列予想が
全く意外性の無い当たりの良い音楽などとは完全に異なっていたのだろう.
木立を切り裂く木枯らしの音に無常を感じるなどは遥か後のことで,
もろもろの象徴の圧というよりは現実の恐怖と連動してその恐怖の可能性を
想像により何十倍にも拡大する類のものであったと思う.21世紀のこの今でも,
例えば地響きを上げながら山を揺るがして押し寄せる山鳴りを聴きながら,
森林の只中で無防備のまま夜安眠することなど僕には論外の暴挙である.

ギャラリー・夕.jpeg
西日を受けるギャラリー入口

 森への畏敬はともあれこの地では定着を専らとし,稲作農耕で生きる文化に
軸足はいつごろか移された.それが縄文人を迫害・征服することによって
達成されたのか,それとも,豊穣な森からの恩恵を受けながらも,縄文人自らが
森のきまぐれを契機として,森からある距離を保とうとする衝動を現実のものと
したのか,さらには新たな稲作文化を武器とする侵入者と,森の民との複雑な
戦いによって方向付けられたのかは僕には分からないし,ここで論じようとする
課題でもない.問題は農耕のための耕作地が最初にいかにして確保され,
いかにして拡大していったのかということである.
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森の近景 ①旅人の夜の歌から [森]

庭階段11月.jpeg
11月,工房はコナラの落葉で覆われる;雑木で一括されるコナラは里山の主役の一つである

 30歳を少し越えた青年ゲーテは ,1780年9月6日,イルメナウ近郊
キッケルハーン山に登り,その山小屋に一つの詩を鉛筆で書きとめた.
後に世界中で愛されるようになる「旅人の夜の歌」である.
ドイツの小学生でも多くが暗唱していると言われるこの詩であるが,
平易な表現であるにもかかわらず内容は御しやすいものではない.

Wanderers Nachtlied

Uber allen Gipfeln
Ist Ruh,
In allen Wipfeln
Spurest du
Kaum einen Hauch;
Die Vogelein schweigen im Walde.
Warte nur, balde
Ruhest du auch.

峰峰は
静まりかえる
木々の枝先もまた動く気配すらなく
小鳥達のさえずりは森に消えた
待つのだ しばし
おまえもまた安らぐだろう

タイトルからして「旅人の夜の歌」である.ヨーロッパ近代さきがけ
のキーワードの一つとも言えるゲーテだが,まるでそれを自己否定
するかのように,光の世紀である啓蒙思想も一挙に飛び越えて
中世に回帰したような気配すらある.実際には地質研究者としてゲーテが
暮れたばかりのキッケルハーン山の静寂に囲まれて,自らを旅人
と重ねて人生の終局を予言する,それが生きる現世の象徴とも
聴こえる小鳥たちの歌の終焉となって深いため息に収束しただけ
なのかもしれない.それにしても大学時代この詩に最初に遭遇した時の
驚きとは何だったのだろうか.得たいの知れない怪物のように黒々と静寂に
身を伏せる山稜,そして森!だからてっきりこの森は針葉樹の木立だと
思い込んでいた.それから何十年も月日が過ぎて毛羽立った間違い
だらけの知識もそぎ落とし,今この詩を前に考え込んでいる.
 暗闇に理性の 光を当てる,つまり啓蒙;The Enlightenmentは
全体的に観れば確かに西欧中世への決別で有ったかもしれない.
しかし中世は一挙に捨て去るべき暗黒の時代などではなかったことは
その後の歴史がしだいに明らかして行った.鋭敏なゲーテの感覚は
すでに30歳にして”それ”を視野に捉えていたのか.いや”それ”に
捕捉されていたのかのかもしれない.さて,この場合の”それ”とは何だろう.
鬱蒼とした森ではないのか.

ギャラリー全景11月jpg.jpeg
工房の庭木は自生していたコナラを生かしてデザインした

 この詩の中の何重にも重ねられた象徴の中心には森が有る.
その森がどのようなもので有ったのか,不勉強な僕は最近ようやく
その実相に関する有力なドキュメントを知ることができた.
故堀米庸三氏編「中世の森の中で」(河出書房新社,1975)を
再度読み直したからだ.特に僕が自分の思い込みを恥じたのは,
中世ヨーロッパの森林構成の中心が楢であるとの冒頭の指摘であった.
 正確に言うとヨーロッパナラ(欧州楢 ;学名Quercus robur )で,こ
れは落葉広葉樹である.これが属するコナラ属(学名:Quercus)には
常緑樹である樫が含まれるが,樫は南ヨーロッパを除いて他所には
ほとんど分布していない.これと対称的にナラの分布は北欧を除いた
ほぼヨーロッパ全域を覆い尽くしている.英語では前述した
コナラ属に対応する総称としてOakの語を用いているが,これには
とまどう方は多いのではないだろうか.Oakの日本語訳として樫の語を
翻訳界があててしまい,これが広く流布してしまったからだ.
 樫は日本ではコナラ属の常緑樹を指していて,落葉樹の楢は含まない.
このねじれはどこかで修正しないと混乱が拡大してしまうが,いずれにしても
落葉樹であるナラの森が中世ヨーロッパの風景の主役であったのだろう.
 このナラの旺盛な繁殖力は当時の技術力の限界もあり,前述した堀米編の
本によれば自然との調和を核とする自然観でな無く,押し寄せる森の大海
と戦うという現実を踏まえた極めて戦闘的な自然観を育む土台となった
のではないかという.

コナラ1.jpeg
コナラは手入れをしなくとも優に20mを超える樹長となる

 中世文化とゲーテの関連は一大テーマで,これを論じるためには
さらにゴシックのような巨大な思潮に言及せざるを得ないであろう.
しかし,ここではそのことに深入りするのが目的ではない.
森や林,それと日本の自然の中では独自の意義を有して来た”里山”が
人間にどのような影響を与えるのか,アートという窓から見たらどうなるのか,
そのことを次回から少し触れてみたい.
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シルクまたは境界の悦楽 [織物]

リラ毛.jpeg

 ボルゾイのリラにとってこの季節は快適とは言いがたい.
気に障る羽音をたててつきまとう蚊の存在も有るが,
何よりもその分厚い毛で覆われた外皮がたっぷりと
水分を含んだ摂氏30度を超える外気温と協奏して体力
を消耗させるからだ.
 だが我々のように体毛を失った哺乳動物は本当のところ
厚い毛の功罪を経験として知ることは出来ない.冷暖房の
普及は外界からの保護層としての衣服の重要性を見失わせ,
ファッションとしての役割ばかりが前面に出る傾向が有る.
本当のところはどうなのだろうか.夏とはいえ衣服を失った
ヒトは健康を害さずに無事夏を乗り切ることは不可能であろう.

リラ毛UP2.jpeg

 衣服の布地として最も古い伝統を有するものの一つが麻であるが,
肌と外界との境界で麻が持つ感触はとうてい毛の敵ではない.
つまり究極の感触である毛をmimic(まねする)するところに
麻は位置しないということである.頭髪の輝きへの近年のこだわり
を見れば,審美的観点からも織物の究極の目標は柔らかで
複雑に輝く毛にあるのではないかと思いたくなる.
 しかし,経験したことが有る方はすぐお分かりと思うが
ある種のウールのちくちくと皮膚を刺す感触は耐え難いものが
ある.木綿が今もって下着として珍重されるのとは対照的
と言えよう.
 そこで絹の登場である.蚕(Bombyx mori)は蛾の一種だが,
完全に家畜化しているためその成虫は飛ぶことができない.
幼虫は適切な時期にいたると絹糸腺より全長千数百メートルの
糸を吐いて繭をつくる.同じように絹糸を回収するため
その繭が使われる別種の野蚕がいくつか存在するが,これらは
家蚕とは糸の性質が異なるため独自の絹織物の生物資源となる.

タイシルクJT.jpeg

タイ・シルク等はこの野蚕から得た絹織物で家蚕由来とは
異なる独自の風合いを生かしているのだ.
この蚕が歴史に登場したのは古代中国,殷の時代だという証拠
が報告されているが,論争は続いていて紀元前のそれも石器時代にまで
さかのぼることができると言う.絹織物の複雑な過程を考える
と古代人の果敢な技術革新への意欲,工夫,挑戦に驚かされる.

野蚕X.jpeg

工房の周囲,コナラの落葉の中に埋もれていた繭.蛾の名前は特定できない.

 僕が子供だった頃,母の実家では未だ養蚕に従事していた.
山梨県の牧丘町は今でこそ巨峰の里として有名になっているが,
当時は殆どの農家が天窓を有する2階で蚕(おかいこさん)に
繭をつくらせていたことを知る人は少なくなってきている.
土間や縁側には糸車が回り,大きな鉄鍋の熱湯を浮き沈みする
繭から絹糸がからみ取られていた.そこから立ち上る異様な
臭いを今も忘れることは出来ない.これが絹糸を固めている
膠質成分を溶かしだし,糸のみを回収する過程だと知ったのは
それからずっと後のことである.生糸から絹織物までの
工程は何段階もあり,さらに織物としての戦略もからんで
絹という一大文化を形成しているのだ.
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孤独な海の惑星 [絵画制作と絵画論]

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地球が日常の会話にまで登場するようになったのはいつ頃からであろうか.
最近では小学生までが「これって地球に優しいんだよね~」とか言う時代である.
地球とか世界とか,一昔前には誇大妄想と言われかねない言葉が,
グローバル化,インターネットの登場,環境問題の深刻化等につれて,
宿題のテーマの中にまで使われる時と成った.しかし,改めて考えてみると
地球という用語が世界地図とリンクしたのはそれほど昔のことだろうかという
疑問が生じてくる.

●ギリシャ時代にはすでに球体としての大地(erde)の概念は
生まれていたとの証拠がいくつか有るが,それでは足元の裏側にどのような
”世界”が存在するのかという点になると,現実の探査はもとより想像力の翼
も及ばなかったように見える.
 悪名高いコロンブスのアメリカ”発見”ではあるが,
コロンブス一行の到着は確かに球体に配置された陸と海のいたるところに
人間の生活があることを証明してみせた.こうなれば裏も表も無い筈なのに
価値観はそのままにして,なおも吸い寄せられるように裏側の”極東”やアフリカ
の宝を求めて船団を繰り出したのが大航海時代である.球体の到達点には征服
言語の痕跡が刻まれ,地図としての”世界”と物理的実在としての”地球”が
統合されていった.近世から近代に至ってもこの強権国家の拡張意欲は
衰えなかったのだから,今日いうところの統合システムとしての地球の
概念など生まれようがなかったのだ.

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●Earthの意味が現実的活動の場としての土地を意味するだけでなく,
そこに生きる生物共通の資産を意味すること,そのことなしには人類の
生存すら危ういという実感が生まれたのはもしかして前世紀末,1990年代
になってからではないだろうか.
 アポロ宇宙船の船体から世界に発信された地球の映像はその予言的な映像
として多くの人に衝撃を与えた.しかしその映像の意味するものの深遠を理解する
ためには,それから20年の歳月と新しい時代;情報化社会の到来を必要とした
ということであろう.さらに言及するなら意味の深遠は深い宇宙空間に広がり,
一層深い謎を投げかけているかに見えることである.

●高度知性誕生の場としての惑星;地球

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 我々が住む地球は太陽系に属し,その太陽系はアンドロメダ型銀河の
片隅に位置している.天文学が明らかにしてきたこれらの情報を今の
我々は平凡な知識として何の感動も無く受け入れているが,16世紀の
イタリアで平凡な星;太陽を主張したジョルダノ・ブルーノは火炙りの業火の
のなかで焼き殺されている.このブルーノの系譜はそれから300年を経て
一つの端的な定式化を獲得した.『宇宙の特別の存在ではない人類』という
カール・セーガンの定式である.しかし,本当に特別な存在ではないのだろうか.
生物が一旦進化を開始すれば必然的に知的生物の創出に至るということは
生物学者の合意というわけでない.知性の誕生はきわめてまれな偶然的
事件であるとすれば,生命の誕生が無数の星で起こったとしても,我々の孤独
は解消されないのだ.僕にはこの正否を判断するだけの深い見識は持ち合わせて
いないが,1992年10月12日に始まったSETI(Search for Extraterrestial Intelligence;
地球外知的生物探査)活動から聞こえてくる情報が予断を許さないものである
ことは確かなように見える.もちろんSETIを支えている世界中のサポータの
驚くべき努力を知らないわけではないし,またSETIの発足にいたるまでの幾多の
パイオニアの努力,執念,創意,哲学には本当に驚かされる.例えば宇宙からの
電波信号を実際に捕らえようとした『オズマ計画』は実に1960年という政治抗争
のさ中に実行に移されたことなどその一例である.

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●solitariaを受け入れた後の虚無
 地球をちょうど生物の分類のように名称をつけたらどうなるのか考えたことがある.
2命名法による最後のところは肝心なところで,端的にその本質を規定しなくては
ならない.僕の個人的な見解では水が最も重要な特性だと思っているが,これは
液体としてのaquaの存在だけでは不十分で海のような水の巨大プールの存在を
示す必要がある.つまり海の惑星;Oceaniplanetaということになろうか.ラテン語の
辞書で確認していないので間違っているかもしれないが, Planetaへの接続型はi
であるとすると海のOceanusの語尾はOceaniとなる.問題は第2項目で,現状を
受け入れて完全に孤立した惑星;solitariaとしてみた.
    Oceaniplaneta solitaria
これが僕のつけた地球の名称である.とここまで書いてものすごく悲しい想いに
襲われた.どう表現したらよいのだろうか.広大な宇宙の暗黒をあてもなく旅する
旅人,その先には希望も無ければ目的も無い虚無の世界が広がっている.

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絵は最近旧作を上から完全に塗りつぶして描いた新作である.一週間ほどで
描いたが解説はもうしない.大作ではないが画集に載せる予定である.
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