森の工房;シンプレクサス(Symplexus)から①
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/
志田寿人(Hisato SHIDA)によるアートのディスクルスス
symplexus
2020-08-02T17:29:49+09:00
ja
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●シンプレクサス工房に来た蝶達
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2020-08-02
甲斐市メガソーラー建設による立木伐採によって,この地域の動植物相が激変したことについてはすでに何回も触れて来た. 林業崩壊で荒れ放題となっていた里山はこの方針の前に全面降伏し,山は電力を生み出す工場と成った.開発から取り残された工房がささやかな避難場所となっているのだろうか,昨日は完全にこの地から消えたと思っていたオオムラサキのメスが樹液を求めて集まってきた.しかし,往時の数からすればとても復活とは言えない数だ. 樹液を出しているこの木はコナラの樹齢十数年の庭木で,なぜか今年枯枝が増大した病木を疑わせるものである.カシノナガキクイムシ寄生によるナラ菌による病状進行ではないことを祈るばかりであるが,来年のことは分からない.それに不吉なことはもう一つある.樹液を求めて集まって来た昆虫の中に不思議な蝶が加わっていた.最初は大旅行中のアサギマダラかと思ったが赤い斑点からアカホシゴマダラのように見える.しかしそうだとすると日本では奄美大島にしか生息しないはずだ.朝鮮半島や中国本土では普通に観られる蝶だから,これは在りえないことが起こっていることになる.
未分類
symplexus
2020-08-02T17:29:49+09:00
甲斐市メガソーラー建設による立木伐採によって,この地域の動植物相が激変したことについてはすでに何回も触れて来た.
林業崩壊で荒れ放題となっていた里山はこの方針の前に全面降伏し,山は電力を生み出す工場と成った.開発から取り残された工房がささやかな避難場所となっているのだろうか,昨日は完全にこの地から消えたと思っていたオオムラサキのメスが樹液を求めて集まってきた.しかし,往時の数からすればとても復活とは言えない数だ.
樹液を出しているこの木はコナラの樹齢十数年の庭木で,なぜか今年枯枝が増大した病木を疑わせるものである.カシノナガキクイムシ寄生によるナラ菌による病状進行ではないことを祈るばかりであるが,来年のことは分からない.それに不吉なことはもう一つある.樹液を求めて集まって来た昆虫の中に不思議な蝶が加わっていた.最初は大旅行中のアサギマダラかと思ったが赤い斑点からアカホシゴマダラのように見える.しかしそうだとすると日本では奄美大島にしか生息しないはずだ.朝鮮半島や中国本土では普通に観られる蝶だから,これは在りえないことが起こっていることになる.
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「僕の町の戦争と平和」番外詩編
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2020-07-26
「僕の町の戦争と平和」番外詩編 志田寿人著●祭り透明な空に浸して青く染め上げた繻子(しゅす)の布白色チョークが半纏(はんてん)を描き母が夜なべして縫い上げたのは四歳の僕のための晴れ着だ右袖を下左袖を上に羽織った背には朱色の祭大紋遠雷のように呼ぶ太鼓の音に誘われて木戸を開ければもうそこには待ちかねた人々の群そうだ,今日は年に一度の祭り錆びついた心の汚れを洗い流し逆上した大義の換わりにこの世の生気を取り戻す日だああ,それにしてもこの貧しさはどうだろう地上にしがみつく平屋の家々を覆うのはそっくり返った灰色の板切れ死んだ魚の鱗はやがて冷たい北風に引きはがされて砂塵が渦巻く通りを転げまわるに違いないわっしょい,わっしょいの掛け声と共に社を出た神輿は数十軒の氏子を回るが,早くも担ぎ手達の声はかすれ神輿を担ぐ行列の男達はやかんから渇きを潤すそれでも神輿の担ぎ棒に結ばれた赤い紐には無数の子供たちの手,掛け声の響きを受けて揺れるやがて神輿は800戸の町内の端,緩やかな坂を上ると大通り中に消えた
詩
symplexus
2020-07-26T15:34:55+09:00
●祭り
透明な空に浸して
青く染め上げた繻子(しゅす)の布
白色チョークが半纏(はんてん)を描き
母が夜なべして縫い上げたのは
四歳の僕のための晴れ着だ
右袖を下左袖を上に羽織った
背には朱色の祭大紋
遠雷のように呼ぶ太鼓の音に誘われて
木戸を開ければもうそこには待ちかねた人々の群
そうだ,今日は年に一度の祭り
錆びついた心の汚れを洗い流し
逆上した大義の換わりに
この世の生気を取り戻す日だ
ああ,それにしてもこの貧しさはどうだろう
地上にしがみつく平屋の家々を覆うのは
そっくり返った灰色の板切れ
死んだ魚の鱗はやがて冷たい北風に引きはがされて
砂塵が渦巻く通りを転げまわるに違いない
わっしょい,わっしょいの掛け声と共に社を出た神輿は
数十軒の氏子を回るが,早くも担ぎ手達の声はかすれ
神輿を担ぐ行列の男達はやかんから渇きを潤す
それでも神輿の担ぎ棒に結ばれた赤い紐には
無数の子供たちの手,掛け声の響きを受けて揺れる
やがて神輿は800戸の町内の端,
緩やかな坂を上ると大通り中に消えた
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町の中のモザイク状水田とカエル達の大合唱
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2020-06-14
湯村温泉街のバス通りを北に進むと厄除け地蔵尊が鎮座する塩沢寺がある.ここから西一帯にはかつて水田が広がっていたが,宅地への転用が進み今では水田と宅地とが複雑なモザイク模様を形づくっている.この付近を6月の今,日没を見計らって散歩すると宵闇にカエルの大合唱が響き渡り,車の走行音もかき消されんばかりの迫力である. そのカエルであるが,嘗ての主役はトノサマカエルであった.昭和の頃の水田には昼間でもトノサマカエルがそこかしこで跳ね回って,下校時に追い回した記憶を持つ方も多いのではなかろうか.しかし,独特のゲコゲコという鳴き声はもはや鳴き声の中から判別することは難しい.この種の個体数は激減し,今や絶滅危惧種に仲間入りしているという.吸盤を持たない彼等にとってコンクリ―ト製の側溝は這い上がることが難しい絶壁のようなものだろうか. 溺れるカエル達を追い越して登場してきたのが二ホンアマガエルである.このカエルは木登りも上手だから道路で車に轢かれなければなんとか生き延びることは可能なのだろう.日本には40種以上のカエルが棲みついているらしいが,カエルの生態学的研究はあまり多くはないように思う.都会の中の水田と庭木の減少は彼らの生活を激変させていると思うのだが,今のところアマガエル達の大合唱は夜中響き渡っている.湯村3丁目カエル7.MP3
未分類
symplexus
2020-06-14T21:46:39+09:00
湯村温泉街のバス通りを北に進むと厄除け地蔵尊が
鎮座する塩沢寺がある.ここから西一帯にはかつて
水田が広がっていたが,宅地への転用が進み今では
水田と宅地とが複雑なモザイク模様を形づくっている.
この付近を6月の今,日没を見計らって散歩すると
宵闇にカエルの大合唱が響き渡り,車の走行音も
かき消されんばかりの迫力である.
そのカエルであるが,嘗ての主役はトノサマカエル
であった.昭和の頃の水田には昼間でもトノサマカエル
がそこかしこで跳ね回って,下校時に追い回した
記憶を持つ方も多いのではなかろうか.しかし,
独特のゲコゲコという鳴き声はもはや鳴き声の中から
判別することは難しい.この種の個体数は激減し,
今や絶滅危惧種に仲間入りしているという.吸盤を
持たない彼等にとってコンクリ―ト製の側溝は
這い上がることが難しい絶壁のようなものだろうか.
溺れるカエル達を追い越して登場してきたのが二ホン
アマガエルである.このカエルは木登りも上手だから
道路で車に轢かれなければなんとか生き延びることは
可能なのだろう.日本には40種以上のカエルが棲み
ついているらしいが,カエルの生態学的研究はあまり
多くはないように思う.都会の中の水田と庭木の減少は
彼らの生活を激変させていると思うのだが,今のところ
アマガエル達の大合唱は夜中響き渡っている.このブラウザでは再生できません。 再生できない場合、ダウンロードは🎵
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●さようなら&こんにちは;2016年度工房カレンダーと年度始まりの雑感
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2016-02-10
■観照的環境の崩壊現代の偉大なる政治思想家;ハンナ・アレント(Hannah Arendt 1906-1975)はその代表著書の一つ「人間の条件」で近代における観照(静かにながめ考えること)の凋落について次のように述べている. “おそらく,近代の諸発見が引き起こした精神的結果のうちで最も重要なものは〈観照的生活〉と〈活動的生活〉のヒエラルキーの順位が転倒したことであろう“と(人間の条件,ハンナ・アレント著,志水速雄訳,筑摩学芸文庫,p.456).もちろん近代以前においてはあらゆる活動の終局点ないしは停止点,つまり極点に驚きをともなった真理の観照を置いたのであるから,順位転倒は観照の凋落を意味するものであった.現代に生きる我々の時代を見れば,もはや普通の生活にとって観照は真理到達の不可欠の過程でもなければ,それなしには不安で生きられないといった“生活必需品”というわけでもない.自問自答を繰り返し,内的対話という思考過程の末言語の停止する驚くべき観照状態に達するなどという“迷妄”を一体だれが信じるというのだろうか.それどころか,内的対話という思考過程すら知を生業とする人々には無用な過去の遺物とみなされているのではないかと思う時がある.なぜなら,例えば森や木立の中で,喧騒から離れて立ち止まり,あるいは逍遙するといったいわば“観照的空間”というものに全くと言っていいほど時代の考慮が無いからだ.2012年晩秋,工房アクセス道路.甲斐メガソーラー発電基地建設のための伐採直前で道沿いにはコナラやアカマツが並ぶ■「最大多数の最大幸福」に征服されて行く里山甲斐市メガソーラー発電基地の計画が有ることについてはすでに2011年11月のこのブログで触れたが,それから2カ月もしないに内に伐採と整地の動きが開始された.甲斐市北西部を東西に走る新道整備が急展開すると共に旧蚕業試験所敷地内のアカマツ,コナラ,エノキ,ポプラ,サクラ,プラタナス,ヒマラヤスギ等の木々は完全に一掃された.残された土地は赤土がむき出しの更地となり,空爆を受けた戦場のような跡地には鏡のように光るパネルが隙間無く並べられた.それが一段落した後,驚くべきことにこの広大な敷地を大幅に上回るようなメガソーラー大計画がどこからともなく聞えて来た.その計画を先取りするように木立の伐採は堰を切ったように進められ工房の周囲はあっという間に丸裸となった.今やさえぎるものもなくなった荒地を走..
別れ
symplexus
2016-02-10T23:18:21+09:00
現代の偉大なる政治思想家;ハンナ・アレント(Hannah Arendt 1906-1975)
はその代表著書の一つ「人間の条件」で近代における観照(静かにながめ
考えること)の凋落について次のように述べている.
“おそらく,近代の諸発見が引き起こした精神的結果のうちで最も重要な
ものは〈観照的生活〉と〈活動的生活〉のヒエラルキーの順位が転倒した
ことであろう“と(人間の条件,ハンナ・アレント著,志水速雄訳,筑摩
学芸文庫,p.456).もちろん近代以前においてはあらゆる活動の終局点
ないしは停止点,つまり極点に驚きをともなった真理の観照を置いたので
あるから,順位転倒は観照の凋落を意味するものであった.現代に生きる
我々の時代を見れば,もはや普通の生活にとって観照は真理到達の不可欠の
過程でもなければ,それなしには不安で生きられないといった“生活必需品”
というわけでもない.自問自答を繰り返し,内的対話という思考過程の末
言語の停止する驚くべき観照状態に達するなどという“迷妄”を一体だれが
信じるというのだろうか.それどころか,内的対話という思考過程すら
知を生業とする人々には無用な過去の遺物とみなされているのではないかと
思う時がある.なぜなら,例えば森や木立の中で,喧騒から離れて立ち止まり,
あるいは逍遙するといったいわば“観照的空間”というものに全くと言って
いいほど時代の考慮が無いからだ.
2012年晩秋,工房アクセス道路.甲斐メガソーラー発電基地建設の
ための伐採直前で道沿いにはコナラやアカマツが並ぶ
■「最大多数の最大幸福」に征服されて行く里山
甲斐市メガソーラー発電基地の計画が有ることについてはすでに2011年
11月のこのブログで触れたが,それから2カ月もしないに内に伐採と整地の
動きが開始された.甲斐市北西部を東西に走る新道整備が急展開すると共に
旧蚕業試験所敷地内のアカマツ,コナラ,エノキ,ポプラ,サクラ,
プラタナス,ヒマラヤスギ等の木々は完全に一掃された.残された土地は
赤土がむき出しの更地となり,空爆を受けた戦場のような跡地には鏡のように
光るパネルが隙間無く並べられた.それが一段落した後,驚くべきことに
この広大な敷地を大幅に上回るようなメガソーラー大計画がどこからともなく
聞えて来た.その計画を先取りするように木立の伐採は堰を切ったように
進められ工房の周囲はあっという間に丸裸となった.今やさえぎるものも
なくなった荒地を走る八ヶ岳下ろしの烈風は大地を揺るがし工房の屋根を
一枚一枚と剥ぎ取って行く.“暴挙”というものは普遍的なものではなく
全く相対的なものだとつくづく嫌に成った.一軒の山奥の変人の工房など
多数の利益の前にどれほどの価値が有るのか!里山のキツネや野ウサギ,
タヌキ,イノシシ,キジ等の野鳥ども,それにちっぽけなシュンランや
スミレなど同様だろう.オオムラサキやカブトムシが生活のために何か
してくれたのか.保護を云々するのなら,マムシやヤマカガシ,ムカデや
ヒキガエルを家に入れて仲良く暮らしたらいい,といった功利の“正論”
はいたるところに溢れているのだ.
20
13年1月から旧蚕業試験場跡地の徹底した伐採が開始された.
パネルへの日照に影響が少ないと思われる木々でも大小を問わず容赦なく
切り倒された.
旧
蚕業試験場跡地に建設途中のパネル設置台.見る人によっては
死んでいった動植物の墓名碑のように見えるかもしれない.
■そこは冬,静かに雪が降っていた
2016年度のカレンダーは2008年1月22日の工房本部ログハウス
周辺の風景である.アカマツやコナラに囲まれたその時の工房はひらひらと
舞い落ちる雪の中で静まりかえっていた.やがて来るであろう狂乱の開発
騒ぎなど知らないかのような静寂の風景,それは後になると狂おしいほどの
ノスタルジアとなって僕を苦しめる.ノスタルジアとは一種の精神の病理
ではないかと思う.
とうとう見つかったよ.
何がさ?永遠というもの.
没陽といっしょに,
去ってしまった海のことだ ランボー全集,永遠,p.111
金子光晴訳,雪華社,1988
2016年度のカレンダー.周辺が伐採される前の工房本部と研究棟
の周りには鳥たちの囀りが木々に木霊していた.
同じ川の流れには入れないと言ったギリシャ人は今の瞬間の水の感触
だけを信じたのであろう.近代人は客観を総て自己のなかにとりこみ,
疑うことのできない自我だけに安息を求めている.まるで存在の虚無
がそれですべて解決したかのように.ところで僕は僕自身の拠って立つ
位置をどこに置いているのだろうか?
メガソーラー計画の拡大とともに伐採は工房周囲全体にせまって来た.
遮る木立を失った山には烈風が吹き抜け動物達の姿も見られなくなった.
■2015年の身辺雑事とか
7月には母が他界した.享年100歳の終わりの2年はグループ・ホーム
と医療型施設でのケアでは有ったが,ほとんど毎日女房か僕のいずれかが
訪問していたので状況をしかたがないことと受け止めていたように
思う.進行する認知症の薄明の中で“死ぬわけにもいかない”不条理
をしきりに嘆いていたが,最後はこの世の苦しみを総て吐き出すように
呼吸して旅立って逝った.父亡き後の30年,最初は小さなタバコ屋を
維持させての自立した生活が90歳を過ぎてからは思うに任せなくなり,
自宅での老老介護という本人としても不本意な選択となってしまった.
その中で,いつも母が舞い戻っていったのが故郷,牧丘の青春時代の
思い出だったというのが母の実像を解読するきっかけとなった.
ここに一枚の古ぼけたセピア色の写真がある.山梨高等女学校の
卒業記念写真だと母から聞いていたが,そこでの生き生きした
母の表情は戦後間もない時に毎日目にした生活に疲れ,戦う母の
表情とは重ならないことに驚かされる.
向かって左端が十代後半の母,それからすぐに結婚することになるが
当時琴ばかり弾いていた母からは生活臭といったものが全く感じられないのが面白い
葬儀を近親者だけですませ,残務処理のごたごたで疲れていた
10月にはボルゾイのリラが急死してしまった.食欲がなくなって
から僅か3日目に僕等の視界から消えてしまったのだ.前日の夜
工房の庭を何周も散歩しているうちに何か言い知れない不安にとり
憑かれたが,翌朝には硬く冷え切って工房の床に伏せていた.
せめてもの慰めは前夜工房の庭から眼下の夜景を見ながら,身を
寄せるようにして「ありがとう,リラ.ありがとうね.
いっぱいありがとう!」と別れを告げることができたことだろうか.
母やリラについてはまた時をあらため別に書いてみたいと思う.
元気いっぱいの時のリラ.長い足を生かし,まるで馬が走るように
優雅に走る姿に驚かされた.
そのリラも冥界に消えた.この世との境にはどのような花が咲き誇って
いるのだろうか.
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●ティツィアーノ;「ニンフと牧人」をめぐって
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2014-12-02
■ウィーン美術史美術館に所蔵されている「ニンフと牧人」はイタリア盛期ルネサンスを代表する一人;ティツィアーノ・ヴェチェッリオ最晩年の作品である.百歳近くまで生きた画家が亡くなる数ヶ月前に制作したと言われているが,死後アトリエに残されたままになっていたこの作品は注文によるものではなかったのであろう.生前,ヴェネツィアはもとよりヨーロッパ各地にまでティツィアーノの名声は及んでいたが,その名声を支えていたのは聖職者や貴族,それに有力な君主を顧客とした例えばフラーリ聖堂の「聖母被昇天」のような作品群である.「ニンフと牧人」はそのような作品では無い.ここでは最後の絵画的メッセージという形でティツィアーノは自分自身の思想を語っているように見える. 暮色か,日没後の夜か定かではない暗い森の遠景には一本の枯木が枝を落としてそびえ立ち,そこにはおそらく鹿と思われる一匹の動物が足をかけて起立している.近景には一人の若い牧人,2本の手には奏ずるのでもなく笛が握られ,凝視を受けるニンフは見事な裸身のまま背を向けて動こうとしない.ニンフと牧人;1876?,ウィーン,美術史美術館,150X180cm■僕がこの絵の複製画を最初に目にしたのは平凡社が1959年に発行した世界名画全集第5巻;“イタリア・ルネサンスの展開”の中の一ページである.平凡社は全36巻の「世界美術全集 」を1927~1930にかけて刊行しているが,これは1960年代に始まる美術全集ブームのさきがけとなった第2次「世界美術全集 」の方で,大学一年時に仙台の本屋の店頭で見かけて購入した.しかし,同じ頃に発行された講談社,「世界美術体系」や後の小学館「原色世界の美術」等の豪華本にくらべて印刷の質は低く,版もB5と貧弱で,視覚的な強烈さから言えば「ニンフと牧人」が50年以上もその印象を継続したことが奇妙にも思える.事実,イタリア・ルネサンス期の画家で圧倒的に魅せられたのはダビンチとミケランジェロでティツィアーノはどちらかというと素通りするような画家のタイプに属していたことを告白しなければならない.しかし歳とともにこの作品と直に対面したいというこれまた奇妙な欲求が頭をもたげて来て,昨年友人がウィーンに留学した機会にこの作品の美術館所蔵を確認してもらった.「ニンフと牧人」は確かにウィーン美術史美術館の一角で静かに生きていた!画面向かって右上の枯木と鹿らしき動物■なぜ自分はこの作品に魅せ..
絵画制作と絵画論
symplexus
2014-12-02T22:14:58+09:00
暮色か,日没後の夜か定かではない暗い森の遠景には一本の枯木が枝を落としてそびえ立ち,そこにはおそらく鹿と思われる一匹の動物が足をかけて起立している.近景には一人の若い牧人,2本の手には奏ずるのでもなく笛が握られ,凝視を受けるニンフは見事な裸身のまま背を向けて動こうとしない.
ニンフと牧人;1876?,ウィーン,美術史美術館,150X180cm
■僕がこの絵の複製画を最初に目にしたのは平凡社が1959年に発行した世界名画全集第5巻;“イタリア・ルネサンスの展開”の中の一ページである.平凡社は全36巻の「世界美術全集 」を1927~1930にかけて刊行しているが,これは1960年代に始まる美術全集ブームのさきがけとなった第2次「世界美術全集 」の方で,大学一年時に仙台の本屋の店頭で見かけて購入した.しかし,同じ頃に発行された講談社,「世界美術体系」や後の小学館「原色世界の美術」等の豪華本にくらべて印刷の質は低く,版もB5と貧弱で,視覚的な強烈さから言えば「ニンフと牧人」が50年以上もその印象を継続したことが奇妙にも思える.事実,イタリア・ルネサンス期の画家で圧倒的に魅せられたのはダビンチとミケランジェロでティツィアーノはどちらかというと素通りするような画家のタイプに属していたことを告白しなければならない.しかし歳とともにこの作品と直に対面したいというこれまた奇妙な欲求が頭をもたげて来て,昨年友人がウィーンに留学した機会にこの作品の美術館所蔵を確認してもらった.「ニンフと牧人」は確かにウィーン美術史美術館の一角で静かに生きていた!
画面向かって右上の枯木と鹿らしき動物
■なぜ自分はこの作品に魅せられるのかという謎を解明すべく僕自身が大学教養部時代に試みたのは,作品が包含するものを感じるまま別の作品に転位して表現することであった.サイズとしてF120号(194x130cm)のキャンバスを張り,油絵具で一気に描き上げたのは2年生の夏だったと思う.登場人物は男性二人,女性一人の合計三人で全員着衣,場面は草原,奇妙なことに夜の背景には巨大なアンドロメダ大星雲が半ば昇ってくるという現実とは一瞥すると無関係な情景であった.
この自作の油絵は同時期の他の作品と同様失敗作ということで焼却処分してしまい,その写真記録も残っていないので記憶をたどるしかないが,色彩もデッサンもはっきりと覚えている.全体として深緑の闇に
沈む緩やかな丘の斜面で二人の若い男女が何やら草原の上で緩やかに語っている.それは主張しているようでも有るし,またそうでない様にも見える.議論というよりは語ることの中に沈積している二人,だが3人目の若い男は二人とは無関係のまま天空に上るペール・イエローの大星雲を見上げて凍り付いている.青年の髪の毛が揺れる.風に乗る哲学的な会話.自転する大地.季節は秋も終わりだろうか.
■「ニンフと牧人」の中の性的なメッセージを僕自身は本質的なものとみなしていなかったことは確かである.むしろこのニンフと牧人との間の関連を,ある種の普遍的な関連,世界における人間のありようとして受け止めていたように思う.しかしそれではなぜ夜なのか?朝に始まる覚醒と活動こそ人間らしさそのものではないのか.
朝日を浴びながら忙しく新聞に目を通し,眠気覚ましに熱いコーヒーをすする.通勤の電車やバスから一斉に吐き出される人々,何かに押されるように足早に歩く無数の足音,いたる所で響き渡る騒音,昼こそ人間の欲望が紡ぎだす世界そのものだ.夢と言ってもよい.しかし,そこにこそ人間の原罪,思考の停止の源流が有るという考えも成り立つのだ.夜を選択することにより僕はむしろこの異論の方に傾斜していたように思う.
■それから半世紀以上が過ぎた.忘れていた記憶が再び生命を得て封印から飛び出したのは,全く予想もしていなかった課題の探査と交差したからである.その課題とは「ヒトと動物」というアポリアに満ちた領域と関係がある.しかし,この課題そのものを論ずることは今回のブログでは無謀過ぎる.この小論ではただ「ニンフと牧人」というティツィアーノ・ヴェチェッリオ最晩年の作品が,アガンベンという現代を代表する思想家の一人にとって如何なる意味を持ちえたのかについてのみ触れて見たいと思う.
ジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben)は1942年生まれのイタリアの思想家である.哲学や言語について圧倒的な文献の引用から学究の徒を予想するものはおそらく裏切られるだろう.彼は社会的関心が強い問題,特に政治思想に果敢に挑戦している代表的哲学者の一人である.その彼が2002年「開かれ」というタイトルのモノグラフを世に出した.“「開かれ」―人間と動物;ジョルジョ・アガンベン著,岡田温司,多賀健太郎訳,平凡社,2011”
■本書は全体が比較的短い20章から構成されていて,各々の章は独立した内容というよりは山脈のように連なりつつ無数の入り組んだ登山道が最終20章に向けて結び合わされる構成となっている.「ニンフと牧人」はこの第19章“無為”の劈頭に登場し,19章全体で終始決定的な役割を果たしつつ第20章“存在の外で”に引き継がれて行く.とすれば19章もまた先行する章との関連でしか理解できないということに成るが,それでは全体を紹介することになってしまう.粗雑を承知で,この“無為”な絵画の意味の解読をアガンベンに沿ってたどることにしたらどうなるのだろう.そもそもこの一読して不可解な“無為”の語がなぜここに登場してこなくてはいけないのか.アガンベンは系統発生的な語の解説を一切していないが,訳者が註で詳細に解説しているようにそれはジャン・リュック・ナンシーによる1983年の著書;「無為の共同体」とそれに呼応して出されたモーリス・ブランショによる「明かしえぬ共同体」を踏まえたものであろう.ナンシーはその大著「無為の共同体」を次のように切り出す.“現代世界に関する証言のうち最も重要で最も苦痛にみちたもの,いかなる命令あるいは必然性によってなのかわからないが(というのも,われわれはまた歴史という思考の涸渇をも確認しているからだ),ともかくこの時代が果たすべきものとして負わされたさまざまな証言のうちで,おそらく他のいっさいを包括しているもの,それは共同体の崩壊,解体,あるいはその焚滅をめぐる証言である”と(「無為の共同体」,西谷修・安原伸一朗訳,2001,以文社).ブランショもまたこう繰り返す.“共産主義,共同体,といった用語は,歴史が,そして歴史の壮大な誤算が,破産と言うをはるかに超えたある厄災を背景にしてそれらを私たちに認識させる限りで,まさしく一定の意味を帯びた用語である”と(「明かしえぬ共同体」,西村修訳,1997,筑摩書房).彼らが一様に搾り出す言葉の背景は状況であり,歴史にあるのだ.ナンシーもブランショも,それでも必死でまさに滅びようようとしている共同体の汚濁の中から捨て去ることの出来ないものを掬い取ろうとする.その中心に位置する言葉の一つが“無為”ということになる.
■無為は無為徒食などと組み合わされて,何もしないでいることが文字通りの意味となる.彼等の主張をなぞってみると,この意味と関係がないまったく別の方向性を模索しているというよりは,むしろそれを日常次元まで徹底しようとしているようにも見える.つまり,日常活動での“営み”に吸収されてしまいそうな“行為”を“営み”から分節し,それをより根源的な視点から構築しなおすということである.例えばブランショは書くという行為が,生産的な営みととられがちな執筆行為とは等価でないこと,それどころか行為として書かれた“作品”は真実もなければ現実性もなく,労働の真面目さもない能動的行為の産物として,営みがめざす作品から逸脱し,自身を解体しつつ言語自体を作品から自由にすると主張する.ナンシーはさらに人間の死が人間の死であるかぎり共同体を前提とするとして,デカルト的個人の死の不可能性を共同体の根底にすえようとする.国家,民族,神話等に結局はとりこまれてしまうような昼の活動,労働や合目的な組織化としての営みから徹底的に逸脱し,行為の原型から人間の生と言葉を救済するというこの“無為”の戦略はアガンベンではどのように展開されるのだろうか.
もう一度「ニンフと牧人」の二人に帰ってみよう.「消耗した官能性と物静かな寂寞感とが同居した雰囲気の漂う,この謎めいた道徳的=精神的風景を前にして,数々の研究者たちは当惑を隠しきれないし,どの説明も納得のいくようなものではない」とアガンベンは指摘しつつ,暗にそれらの説の中でゆらゆらと揺らめく恋人たちの神秘的高揚という前提そのものに疑いの目を向けようとする.「気持ちの冷めた恋人同士」(Panofsky)や「エデンの園を喪失してしまった」(Dundas)という表現は高揚の陰画として存在しうるのであろう.しかし,アガンベンはこの二人の覚醒,神秘からの覚醒,互いの神秘の不在から生まれる無活動;無為こそナンシーやブランショの無為の共同体につながるものと期待しているように見える.しかし書くという行為によって救済されるとされたのは言葉と人間の生であった.恋人たちの互いの神秘からの覚醒からは何がもたらされるのか.それは人間的でも動物的でもない新たな至福の生,ハイデガーが真理の特性として言及してきた隠蔽と露顕,むしろそれの彼岸にある至高の段階だとアガンベンは結論づけている.
■「ニンフと牧人」で僕が見たのは無為の会話の世界,つまり昼の営みとしての会話ではなく昼の活動が終わるときに始まる行為としての会話であった.この背景には人間の終焉という宇宙の劇場が回転していなくてはならない.救済されるのは歌だろうか,それとも言葉とか,しぐさとか,瞑想とか,身振りだろうか.確実に言えることは国家とか,民族とか,神話とか,幸福な生活とかではないことだ.その具体的イメージを復活すべきかどうか僕は今迷いの中にある.
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■生き物と人間との戦争 ②山成す白骨;北米バイソンの悲劇
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2011-12-20
●一枚の写真が語るもの;計量される死 ここに一枚の写真がある.撮影は1870年代中頃,肥料として使用されるのを待つアメリカン・バイソン頭蓋骨の山だ.頭骨を手にし,足を置き,誇らしげにポーズを取る二人の人物にいささかの感傷も無い.むしろ戦利品を手にした勝利者が示すありふれた姿のようにも見える.Photograph from the mid-1870s of a pile of American bison skulls waiting to be ground for fertilizer. Wikipedia(Englishi) 一人の人間の死は,それがどのような死であれ,臨む人間にとって厳粛な苦痛の瞬間であると思う.そして,もしそれが我々に類縁の動物であったとしても,何ほどかの苦渋の痕跡を消し去ることは不可能だ.しかし戦場では死は数として計数される.要するに死は足し算され,その効果が演出されうることが示される.19世紀ロシアの画家,ヴァシーリー・ヴェレシチャーギンはバイソンの頭蓋骨ではなく,ヒトの山成す頭蓋骨でそれを描いてみせた(戦争崇拝;額縁には「過去、現在、及び未来の全ての偉大な侵略者に捧ぐ」が刻まれている).ただし,画家の眼差しには多くの悲しみと苦痛が秘められ,戦争勝者への一片の礼賛もない.この批判精神の地平に連なる21世紀は反省の世紀なのだ.Vasily Vasilyevich Vereshchagin (1842~1904), The Apotheosis of War,Tretyakov Gallery.Wikipedia(Englishi) ヨーロッパから移民がおしよせる以前の北米大陸には6000万頭以上バイソン(しばしばバッファローとも呼称される)が草原生物群集の一部を形成していた.この草原の複雑な動物ネットワークが,近代という時代を生きる人間の侵入によりずたずたに引き裂かれ崩壊したこと,この人類史に残る環境破壊の惨劇を否定する生態学者はいない.中でもバイソンに加えられた過酷な仕打ちは「ヒトと動物」の関連を考える上で忘れてはいけない事実として記憶に留めておく必要がある.●ゲームとしてのバイソン殺戮 コロンブスがハイチに到着した1500年前後,北米バイソンの棲息分布はどうなっていたのだろうか.出典は明らかではないがピーター・ファーブによると東部ニューヨークから西のオレゴン,北部カナダから..
生き物
symplexus
2011-12-20T23:16:41+09:00
ここに一枚の写真がある.撮影は1870年代中頃,肥料として使用されるの
を待つアメリカン・バイソン頭蓋骨の山だ.頭骨を手にし,足を置き,誇らし
げにポーズを取る二人の人物にいささかの感傷も無い.むしろ戦利品を手
にした勝利者が示すありふれた姿のようにも見える.
Photograph from the mid-1870s of a pile of American bison skulls waiting to be ground for fertilizer. Wikipedia(Englishi)
一人の人間の死は,それがどのような死であれ,臨む人間にとって厳粛
な苦痛の瞬間であると思う.そして,もしそれが我々に類縁の動物であっ
たとしても,何ほどかの苦渋の痕跡を消し去ることは不可能だ.しかし戦場
では死は数として計数される.要するに死は足し算され,その効果が演出
されうることが示される.19世紀ロシアの画家,ヴァシーリー・ヴェレシ
チャーギンはバイソンの頭蓋骨ではなく,ヒトの山成す頭蓋骨でそれを描
いてみせた(戦争崇拝;額縁には「過去、現在、及び未来の全ての偉大な
侵略者に捧ぐ」が刻まれている).ただし,画家の眼差しには多くの悲しみ
と苦痛が秘められ,戦争勝者への一片の礼賛もない.この批判精神の地
平に連なる21世紀は反省の世紀なのだ.
Vasily Vasilyevich Vereshchagin (1842~1904), The Apotheosis of War,Tretyakov Gallery.Wikipedia(Englishi)
ヨーロッパから移民がおしよせる以前の北米大陸には6000万頭以上バイ
ソン(しばしばバッファローとも呼称される)が草原生物群集の一部を形成
していた.この草原の複雑な動物ネットワークが,近代という時代を生きる
人間の侵入によりずたずたに引き裂かれ崩壊したこと,この人類史に残る
環境破壊の惨劇を否定する生態学者はいない.中でもバイソンに加えら
れた過酷な仕打ちは「ヒトと動物」の関連を考える上で忘れてはいけない
事実として記憶に留めておく必要がある.
●ゲームとしてのバイソン殺戮
コロンブスがハイチに到着した1500年前後,北米バイソンの棲息分布はど
うなっていたのだろうか.出典は明らかではないがピーター・ファーブによ
ると東部ニューヨークから西のオレゴン,北部カナダから南部メキシコの全
平野部を覆い尽くしていたという(ライフ/ネーチュア ライブラリー,生態,
坂口勝美訳,1971, p.149).ところがこの北米大陸の一大生息地域は,欧
州からの移民と共に激減し,ついに1906年までには初期分布からは点状
にしかみえないようなほんの小地域に縮小してしまう(イエローストーン公
園内とカナダのアタバスカ湖付近).一体この間何が起こったのか.白人
の渡来以前に土着のネイティブ・アメリカン(通称アメリカ・インデアン)に
よってもバイソンは好んで狩の対象とされて来たが,これはバイソンが衣食
住や交換商品としていかに有用だったかを考えればある程度理解できる.
Two bison are fighting in Grand Teton National Park,Wikipedia(Englishi)
馬の登場はこれを加速させたが,それでも平均年間狩猟頭数は25万頭程
度だったという.鉄道を敷設し,銃を携えた白人達はこのバイソン狩を絶滅
戦に変貌させた.食料や毛皮といった1800年代初期の実用的目的を超え
て,殺戮そのものが自己目的化したかのような後期のエピソードは人間の
暗部を露呈して暗澹たる気分に叩き込まれてしまう.車窓からバイソンを撃
ちまくるという狩猟特別列車の企画など,いかなる理屈でこれを受け止め
たらよいのだろうか.沿線でその犠牲となってのたうち,うめく無数の血ま
みれのバイソンの姿を楽しむこと,このことに何らの制御も働かなかったの
は他でもない我が同胞;ホモ・サピエンスである.
●誰の生活圏を破壊するのか?
ともあれ合衆国では1894年,総数20頭という現実を前にして初めて罰則を
伴なう厳しい保護政策が制定され,バイソンは絶滅をかろうじて免れた.し
かし,このバイソン激減の傷跡はバイソンという大型草原草食動物一種だ
けに限定されたものではない.北米草原にはバイソンに代わり牛や羊が放
たれたが,これらを襲うという理由で「害獣」としてオオカミ等の肉食獣は容
赦なく「駆除」された.毒餌は普通の駆除手段であり,死んだ肉食獣を啄
ばんだ鳥達も犠牲となった.その結果それまで脇役に甘んじていた昆虫
や小型げっ歯類の数が増大することにより,膨大な数の家畜とあいまって
草原はその豊かな相貌を一変させた.19世紀初期の北米広域植生がどう
なっていたのか調べたことは無いが,バイソン生息域と対比させればそこ
が砂漠の範疇に入らなかったことは容易に推察できる.
エル・パソからカールスバッドに到るR62/180沿の一景.砂漠と言っても語
弊がないような荒涼たる平原が広がる
しかし,砂漠化の世界地図は驚くべき現状を鮮やかに色分けして見せる.
北米西部平野部の少なからぬ地域が急速にその土地の豊かさを失い
つつあるのだ.
激減したバイソンがかっての繁栄を取り戻すことは決して無いだろう.それ
は我々人類の営為が,時代そのものを総体として逆走させることが出来な
いことと関係がある.もっと端的に言うなら,バイソン自体が生きるための環
境を我々人間が破壊してしまったからだ.
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●生き物と人間との戦争 ①メガ・ソーラーが来る
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2011-11-25
■廃墟に生まれた新計画工房のアクセス道路の途中に旧蚕業試験所がある.県総合農業試験所分室として変身したのもつかのま,結局使われなくなった建物群を残したまま数年前全面撤退してしまった.主を失った敷地内にはススキ・クズ等が生い茂り,放置された巨大な松のいくつかは次々と枯れて,荒涼たる風景が広がるようになってきた.そこかしこにある入口には「立入禁止」の立て札や色あせた紙切れが神経質に人の進入を拒んでいるがちょっと笑える.リラと散歩していたら,学生風の二人連れに「ここは心霊スポットですか」と話しかけられたからだ.人気の無い廃屋なんぞは胆試しぐらいにしか使われないのかもしれない. この旧蚕業試験所の跡地とそれを囲む里山についての現状については以前このブログで少々書いたことがある.http://symplexus.blog.so-net.ne.jp/2009-08-20経済原理で動くのは旧蚕業試験所も里山も例外ではなく,やがて功利の標的となった土地は動植物の悲鳴など無視して開発の重機が進軍するであろうというかなり感情的な見通しであった.ところがこの2年前の予想さながらに,風景が一変するような計画が10月に県から提起された.メガ・ソーラー計画である.晩秋に撮影した旧蚕業試験所遠景.手前に見えるのはソメイヨシノと高いポプラ,黄色く色付いたプラタナス等■山梨2011メガソーラー構想概略2011年10月11日付けの県広報によると設置場所は甲斐市菖蒲沢 (旧蚕業試験場.約13ヘクタール)と韮崎市大草町下條西割 (あけぼの医療福祉センター東隣未利用地.約11ヘクタール)の2ヶ所の合計24ヘクタールを一括,メガ・ソーラー 公募民間事業所に提供するという.ただし伐木、伐根、除草は当初県が行うが,その後の建設,設計,施工,事業運営については事業所がすべて責任を負うと抜け目がない.想定出力は11メガワット,「地球温暖化対策のためクリーンエネルギー活用を推進している」という山梨県の宣伝にもなるし,東京電力管内の電力供給に貢献して今年のような節電騒ぎを回避する一助にもなる.それに固定資産税は毎年確実に地元の収入となるというわけだ.スマート・グリッドのような革新的配電システムをも視野に入れて,リスク覚悟で時代を切り開くといった類のものではない.いずれにしても公募の受付は始まったので11月末には参入業者の最終結論が決まるのであろう.本年4月に撮影した構..
生き物
symplexus
2011-11-25T23:30:43+09:00
工房のアクセス道路の途中に旧蚕業試験所がある.県総合農業試験所分室とし
て変身したのもつかのま,結局使われなくなった建物群を残したまま数年前
全面撤退してしまった.主を失った敷地内にはススキ・クズ等が生い茂り,放置さ
れた巨大な松のいくつかは次々と枯れて,荒涼たる風景が広がるようになってき
た.そこかしこにある入口には「立入禁止」の立て札や色あせた紙切れが神経質
に人の進入を拒んでいるがちょっと笑える.リラと散歩していたら,学生風の二人
連れに「ここは心霊スポットですか」と話しかけられたからだ.人気の無い廃屋な
んぞは胆試しぐらいにしか使われないのかもしれない.
この旧蚕業試験所の跡地とそれを囲む里山についての現状については以前
このブログで少々書いたことがある.
http://symplexus.blog.so-net.ne.jp/2009-08-20
経済原理で動くのは旧蚕業試験所も里山も例外ではなく,やがて功利の標的
となった土地は動植物の悲鳴など無視して開発の重機が進軍するであろうという
かなり感情的な見通しであった.ところがこの2年前の予想さながらに,風景が一
変するような計画が10月に県から提起された.メガ・ソーラー計画である.
晩秋に撮影した旧蚕業試験所遠景.手前に見えるのはソメイヨシノと高いポプラ,黄色く色付いたプラタナス等
■山梨2011メガソーラー構想概略
2011年10月11日付けの県広報によると設置場所は甲斐市菖蒲沢 (旧蚕業試験
場.約13ヘクタール)と韮崎市大草町下條西割 (あけぼの医療福祉センター東
隣未利用地.約11ヘクタール)の2ヶ所の合計24ヘクタールを一括,メガ・ソー
ラー 公募民間事業所に提供するという.ただし伐木、伐根、除草は当初県が行う
が,その後の建設,設計,施工,事業運営については事業所がすべて責任を負
うと抜け目がない.想定出力は11メガワット,「地球温暖化対策のためクリーンエ
ネルギー活用を推進している」という山梨県の宣伝にもなるし,東京電力管内の
電力供給に貢献して今年のような節電騒ぎを回避する一助にもなる.それに固
定資産税は毎年確実に地元の収入となるというわけだ.スマート・グリッドのような
革新的配電システムをも視野に入れて,リスク覚悟で時代を切り開くといった類の
ものではない.いずれにしても公募の受付は始まったので11月末には参入業者
の最終結論が決まるのであろう.
本年4月に撮影した構内の桜.廃墟をあざ笑うかのように満開が美しい!
■脱原子力は賛成だが・・
原子力発電という悪魔的技術を考えれば,太陽光発電に力に入れることが賛成
であることは言うまでもないことである.その不安定性や”コスト”をあげつらう論調
が無いでもないが,どこまで総エネルギーの中の比率を高められるかは別として
太陽光発電はある意味技術の良心を問われるという面がある.予算が許すなら,
工房の屋根に設置も検討しようと考えてきた.しかし個人住宅と規模が比較にな
らないメガ・ソーラーとなると微かな不信感が頭をもたげるのはなぜだろうか.
おそらく工房が隣接する里山の現状がどうなるのかという不安と関係があるのだ
ろう.茅が岳の長い裾野に位置するこの地は,背後が多くの山稜連なる緩やかな
丘陵地である.蚕業試験場時代に植樹したと思われる多数のソメイヨシノの桜が
南斜面を縁取り,空に向かって聳え立つ巨大な4本のポプラやヒマラヤスギ,プラ
タナスが往時をしのばせている.幹周りが二抱えもありそうな構内の松やコナラは
開発時植生を一部残して構内を仕切る舗装道路の人工色を和らげようとしたの
だろう.主が去った無人の構内は当然ながらキツネやイノシシ,リス,フクロウに
とっては格好の出没場所となった.もっとも人には好まれないヤマカガシ,マムシ,
シマヘビの類も増えたし,オオスズメバチやキイロスズメバチも極普通の構成員
と成ったのだが.
エノキにからみついていたアケビの実.良く熟れておいしそうなのに未だぶらさがっていた.
■生き物 versus 鉄・コンクリート
しかし,ソーラー・パネルを20ヘクタール近くに敷き詰めるメガソーラーも,物理
的存在としては砂利とアスファルトで舗装した道路やコンクリートで土台を固めた
建物と大差ない.人間が己の物質的幸福のため生物生活圏に進入し,これを簒
奪,支配するという開発行為は何も内陸部メガ・ソーラーに始まったことでは無い
のだ.物質とエネルギーの時代で特徴付けられる近代では市街地の野生動物排
除は徹底し,一般的には迷い込んだ野生動物は容赦なく排除,殺戮されるように
なった.ヒトもまた動物の一員であるが,選ばれた神の選民のように人間と動物を
対峙させ,自らの動物性といかに向き合うかという哲学を不問に付してきたのが
近代の主流である.ヒト以外の動物に対する人間界の惨い仕打ちを「戦争」と形
容するのは事実の追認で有っても論外とは言えないだろう.もの言わぬ生物達は,
宣戦布告も無しにまるで無機質を扱うように生物達をなぎ倒し,根こそぎにしてい
く人間達の進軍を黙って耐える以外手が無かったように見える.だが僕自身は持
続可能な社会とか,環境負荷を減らすとかにはそれほど心を動かされないから環
境保護論者ではないのだろう.低次元の消費爆発やブレーキを失ったような経
済活動の反作用を直視すれば,このままの経済成長が成り立たなくなるのは当
たり前で軌道修正の論調は経済原理の範囲内の論理だと思う.
試験場跡地に接近する建設途中の新道.左手には新田の溜池がありサギやカモが訪れる.
■価値観の落差
それよりは,この地上で生を受けて生まれた生き物が,ヒトとその他でかくも異な
る価値観の対象になぜなるのか,その疑問が僕の頭の中に居座って出て行こうと
しないのだ.飢えて死に直面している百万の民のために,我々の一日分の米を
提供しようという呼びかけですら,一過性のアジテーションとして風化していくのが
常である.他の国の悲惨を見聞きしてもばかばかしい娯楽の類をあきらめようとし
ない自分がいるから,日々の生活を生きなくてはいけない僕等には偽善としか映
らないのだろう.人間界のことですらそうだから,動物達の悲劇など推して知るべ
しではないのか.そうではあるが,身近に目撃したキツネやイノシシの姿を想い出
すと,ここら辺で立ち止って考えたらどうかという声も微かに響いてくるから不思議
だ.
コナラの樹に群がるカブトムシ達.一見したところでは普通サイズに見える.本年8月2日撮影
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●フクシマ原発クライシス(Apr 17,2011);②ダモクレスの剣
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2011-04-17
アイダホ国立研究所新型実験炉;チェレンコフ効果で光る炉心(ウィキペディアより)▲安定と準安定前回4月3日のコメントから早くも2週間以上が経過した.1~3号機は一種の準安定状態に有り,危機的状態からは脱したかに見える.原子炉圧力容器,格納容器が示す温度,圧力,水位のいずれも大きな変動を示していない.http://atmc.jp/plant/container/1号機格納容器への窒素ガス導入も6日には開始,7日午前1時半には容器内圧力上昇,東電では作業が順調であるとの感触を得ていた.米原子力規制委員会(the Nuclear Regulatory Commission: NRC)ヤツコ委員長(Gregory B. Jaczko)は今の状態を称してstableではないがstaticであると特徴づけている(4月12日).これはなかなか穿った見方ではある.stableは文字通り安定であるがstaticは動きのない状態を意味しているのであろう.安定と違ってちょっとしたことで危機にも簡単に戻りうるのだ.不安材料はいくらでもある.例えば窒素ガス注入はその後順調に推移しているかというと,12日正午現在で格納容器内圧力は1.95気圧,前日注入時点の圧と大差ない.つまり窒素ガスは容器から漏れ出て,水素を一定量以上は追い出せないでいる.▲膨大な注水のジレンマ今の準安定状態というのは,通常の冷却系を使用できないために工夫された間に合わせ的緊急策で,かろうじて保たれていることを忘れないようにする必要がある.循環冷却系なしの水の注入は原子炉本体だけではない.1~4号機燃料プールへの積算放水量は7,500トン,ドラム缶にして4万本分である(15日,東電).この想像を絶する膨大な水の一部は放射性物質を燃料から洗い流して,コンクリート被覆金属をすり抜け,あらゆる間隙をぬって土中に滲みこんで行く.これは推察であるが発電所建造物,敷地の総てに汚染物質が吸着し,薄っすらと薄層を形成している可能性すらある.なぜか.建屋の強烈な爆発を思い出してほしい.ビデオには空気中高く吹き飛んでいく無数の破片が映し出されている.これらが何を含んでいるのか,一度として確たる事実の分析が発表されただろうか.▲複数の対応要するに安定は月単位の時間の先に希望としてかすかに輝いているのだ.その具体的な方策については,高濃度汚染環境下での作業効率を考え,別の場所で冷却系を組み立てて..
クライシス
symplexus
2011-04-17T13:52:14+09:00
アイダホ国立研究所新型実験炉;チェレンコフ効果で光る炉心(ウィキペディアより)
▲安定と準安定
前回4月3日のコメントから早くも2週間以上が経過した.1~3号機は
一種の準安定状態に有り,危機的状態からは脱したかに見える.
原子炉圧力容器,格納容器が示す温度,圧力,水位のいずれも大きな
変動を示していない.
http://atmc.jp/plant/container/
1号機格納容器への窒素ガス導入も6日には開始,7日午前1時半には
容器内圧力上昇,東電では作業が順調であるとの感触を得ていた.
米原子力規制委員会(the Nuclear Regulatory Commission: NRC)ヤツコ委員長
(Gregory B. Jaczko)は今の状態を称してstableではないがstaticであると
特徴づけている(4月12日).これはなかなか穿った見方ではある.stableは文字
通り安定であるがstaticは動きのない状態を意味しているのであろう.安定と違って
ちょっとしたことで危機にも簡単に戻りうるのだ.不安材料はいくらでもある.例えば
窒素ガス注入はその後順調に推移しているかというと,12日正午現在で格納
容器内圧力は1.95気圧,前日注入時点の圧と大差ない.つまり窒素ガスは
容器から漏れ出て,水素を一定量以上は追い出せないでいる.
▲膨大な注水のジレンマ
今の準安定状態というのは,通常の冷却系を使用できないために工夫された
間に合わせ的緊急策で,かろうじて保たれていることを忘れないようにする
必要がある.循環冷却系なしの水の注入は原子炉本体だけではない.1~4号機
燃料プールへの積算放水量は7,500トン,ドラム缶にして4万本分である(15日,東電).
この想像を絶する膨大な水の一部は放射性物質を燃料から洗い流して,コンクリート
被覆金属をすり抜け,あらゆる間隙をぬって土中に滲みこんで行く.これは推察であるが
発電所建造物,敷地の総てに汚染物質が吸着し,薄っすらと薄層を形成している
可能性すらある.なぜか.建屋の強烈な爆発を思い出してほしい.ビデオには空気中高く
吹き飛んでいく無数の破片が映し出されている.これらが何を含んでいるのか,
一度として確たる事実の分析が発表されただろうか.
▲複数の対応
要するに安定は月単位の時間の先に希望としてかすかに輝いているのだ.
その具体的な方策については,高濃度汚染環境下での作業効率を考え,
別の場所で冷却系を組み立てて炉に接続する方が現実的だとする提案が
出されている.今有る冷却系に拘れば,それが使用不可能となった時には
とりかえしのつかない遅れをとることになるだろう.決断というよりは複数の対策を
並行してすすめる,その姿が見えないことに苛立っているのは僕だけでは
ないはずだ.事故への対応だけではない.事故の分析もまた依然として初歩的
で心もとない.現在は過去の積み重ねの上にある.すでに過ぎてしまった
出来事の分析を解決済みとすれば,現状把握を誤ることとならないのだろうか.
▲水素爆発と別の推論
建屋の水素爆発についての定説に,前記ヤツコ委員長は米国上院の委員会で
別の可能性を提起した(4月12日付NT記事).
http://www.nytimes.com/2011/04/13/world/asia/13safety.html?_r=1&ref=asia
爆発を引き起こした水素の発生源に関して,従来の見解は圧力容器中で
水位が長時間低下,灼熱の高温燃料棒周囲でジルコニウム被覆と水蒸気が
反応し大量の水素が発生して格納容器の圧力が急上昇,これを外部に逃す
処理中に水素が建屋に充満爆発したと考えられている.前回ブログでもこの
見解を踏まえて爆発に言及した.しかしヤツコ委員長の新提起では水素は
燃料プール由来だという.当然これには東電や保安院側の反論が出されて
然るべきだと思うが,残念ながら筆者の検索には今のところ発見できていない.
問題はヤツコ委員長提起の根拠となっている証拠が何かということである.
そもそも燃料プールの経緯については謎が多すぎる.4号機燃料プールなど
使用済み燃料783本に加えて使用されていた燃料棒548本が保管されて
いたのであるから,「使用済み」燃料プールというのは重要性を低めるレトリック
なのだ.プールの容量は1425立方メートルで2,3号機と同じであるのに対して
発熱量は2,3号機の5~10倍(200万㌔カロリー/時)にも達する.これが
冷却系停止状態で新規の水の注入が無ければ,一日程度で沸騰が始まる
ことになるだろう.
▲情報の量と質
正確で広範な情報を求める国内外の世論に対して,政府は常に「透明性」
について万全を期してきたと繰り返している.情報が足りないとする声と,
もはや公開すべき手持ちの秘密は無いとする主張とのずれはどこから来る
のだろうか.今ある状況で得られるはずだと判断されるデータの質がこの程度
かという失望が背後には有る.データを得るのが困難なら,その困難への説明
をも加えなければ失望は増すばかりだろう.今ある貴重なstatic状態を生かし,
安定を獲得できると思える道筋を示してほしい.
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●フクシマ原発クライシス(Apr 3,2011);①爆発的大規模汚染は回避されたのか?
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2011-04-03
▲鋼鉄製原子炉圧力容器・格納容器の神話 どのように頑丈な容器もそれ固有の脆弱部分を持つ.例えば無敵の鉄壁で固められた戦艦大和も,魚雷と降り注ぐ爆弾の嵐を受けて悲劇的な最後を遂げたことを我々は知っている.たとえその上甲板の鋼鉄の厚さが20cm以上でもだ.福島第一原発の中枢を占める圧力容器,直径約5m前後,全長20m以上の巨大な筒の厚さは約16cm,この内部ではウラン燃料の臨界核分裂反応が起こっていた.燃料と言っても通常の意味での燃焼ではない.核分裂臨界反応では強烈な中性子の嵐の中に原子炉は曝され続ける.10年,20年と使い続けて金属の劣化は大丈夫のかという疑問が当然生じてくる.しかも福島第一原発のような沸騰水型軽水炉(BWR)の場合には,7メガパスカル(MPa)のような高い圧力の下,280℃で沸騰する水からの高温高圧水蒸気でタービンを回さなければならない.このような過酷な条件で働き続けた鋼鉄が緊急時の激変する環境下でどような特性を示すのか,その脆弱性を危惧する声が早くから識者より出されていたと聞く.だが圧力容器の外側にはさらに厚さ3cmの鋼鉄製格納容器がある.これを突破するような壊滅的汚染が起こりうるなどと何人が想像しただろうか.▲フクシマ・クライシス;発端 3月11日14時46分(JST)頃,福島第一原発は東北地方太平洋沖地震と,それに続く大津波の来襲を受けた.直ちに圧力容器の下部から制御棒がせり上がり原子炉は自動停止したことは言うまでもない.しかし15時41分には驚愕すべき事態が発生した.外部からの電源を失っただけでなく,非常用発電機が一台を除いてすべて故障停止におちいったというのだ.フクシマ・クライシスの開始である.この時点で危機の可能性を予測し,慄然としたのは専門家の一部,ないしは原発緊急停止の特性を知る限られたもののみであろう.放射性物質の拡散も無ければ,その後矢継ぎ早におこった”建屋”の爆発も無かったのだから.しかし,そのころ原子炉内では恐るべき速さで新たな事態が進行していた.▲「停止」のイメージとは異なる原子炉の特性 原子炉の「緊急停止」は家庭用電気器具のパワー・スイッチをオフにすることとはいささか事情が異なる.確かに全制御棒はスクラムと呼ばれる核分裂反応停止位置にセットされていただろう.しかし核分裂は停止しても,核分裂生成物の放射性崩壊は人間の力で停めることは出来ない.この崩壊に伴なう放射線の熱エ..
クライシス
symplexus
2011-04-03T12:45:18+09:00
▲鋼鉄製原子炉圧力容器・格納容器の神話
どのように頑丈な容器もそれ固有の脆弱部分を持つ.例えば無敵の鉄壁で
固められた戦艦大和も,魚雷と降り注ぐ爆弾の嵐を受けて悲劇的な最後を
遂げたことを我々は知っている.たとえその上甲板の鋼鉄の厚さが20cm以上でもだ.
福島第一原発の中枢を占める圧力容器,直径約5m前後,全長20m以上の巨大な
筒の厚さは約16cm,この内部ではウラン燃料の臨界核分裂反応が起こっていた.
燃料と言っても通常の意味での燃焼ではない.核分裂臨界反応では強烈な
中性子の嵐の中に原子炉は曝され続ける.10年,20年と使い続けて金属の劣化
は大丈夫のかという疑問が当然生じてくる.しかも福島第一原発のような沸騰水型
軽水炉(BWR)の場合には,7メガパスカル(MPa)のような高い圧力の下,280℃で
沸騰する水からの高温高圧水蒸気でタービンを回さなければならない.このような
過酷な条件で働き続けた鋼鉄が緊急時の激変する環境下でどような特性を示すのか,
その脆弱性を危惧する声が早くから識者より出されていたと聞く.だが圧力容器の
外側にはさらに厚さ3cmの鋼鉄製格納容器がある.これを突破するような壊滅的
汚染が起こりうるなどと何人が想像しただろうか.
▲フクシマ・クライシス;発端
3月11日14時46分(JST)頃,福島第一原発は東北地方太平洋沖地震と,それに
続く大津波の来襲を受けた.直ちに圧力容器の下部から制御棒がせり上がり原子炉
は自動停止したことは言うまでもない.しかし15時41分には驚愕すべき事態が発生し
た.外部からの電源を失っただけでなく,非常用発電機が一台を除いてすべて故障
停止におちいったというのだ.フクシマ・クライシスの開始である.この時点で危機の
可能性を予測し,慄然としたのは専門家の一部,ないしは原発緊急停止の特性を知
る限られたもののみであろう.放射性物質の拡散も無ければ,その後矢継ぎ早にお
こった”建屋”の爆発も無かったのだから.しかし,そのころ原子炉内では恐るべき速さ
で新たな事態が進行していた.
▲「停止」のイメージとは異なる原子炉の特性
原子炉の「緊急停止」は家庭用電気器具のパワー・スイッチをオフにすることとは
いささか事情が異なる.確かに全制御棒はスクラムと呼ばれる核分裂反応停止位置
にセットされていただろう.しかし核分裂は停止しても,核分裂生成物の放射性崩壊
は人間の力で停めることは出来ない.この崩壊に伴なう放射線の熱エネルギーは
核分裂から生じる熱エネルギーの数パーセント程度であり,しかも時間経過と共に
ゆっくりと減少していく.しかし,数パーセントである!もしこの崩壊熱を減少させること
ができなければ,燃料棒とそれを覆う被覆管はたちまち500度,600度と止めよう無く温
度が上昇していくことになる.つまり原子炉の安定的な停止は,悲観的な表現をすれ
ば数ヶ月以上にわたる崩壊の危機との戦いの末勝ち取ることの出来るとりあえずの安
定状態と言えなくもない.全電源喪失はこの戦いの手段を失ったに等しい程の緊急
事態である.
▲炉心と容器をめぐる危機の成熟
地震当日16時36分,原子力安全・保安院は1,2号機で非常用炉心冷却装置注水
不能を確認発表した.すでに屋外発電機は海水をかぶり壊滅,海水による冷却は停
止している.圧力容器内では崩壊熱により圧力が急速に高まり,リーク弁から格納容
器に向けて激しくを蒸気が流れ出たに違いない.しかしリーク弁は本当に正しく機能
したのだろうか.それを判断するデータは無い.あるいは,他の破損箇所が有って,
圧力容器から格納容器への蒸気の急激な流入が有ったのかもしれない.これらは
推察である.しかし,1号機に関しては12日1時20分,2号機では14日22時50分,
そして3号機では14日7時44分,あいついで格納容器圧力異常上昇が通告されている.
必然的に圧力容器の水のレベルは減少することになり,格納容器の圧力は増し
続けることになる.鋼鉄製格納容器は放射性物質を封じ込める最大の砦として設計されて
いるが,前述したように厚さは3cm程度しかない.設計耐圧限界を超えてなすすべが
無ければ爆発の可能性は増す.原子炉の実質的な危機管理中枢がどこにあったのか
不明であるが,とにかく,ベントとよばれるリーク処理がなされたのは当然であろう.
しかし,炉心ではさらに深刻な事態が進行していたはずだ.水素の大量発生である.
水面から露出した燃料棒は崩壊熱で発熱,燃料ペレットを覆うジルコニウム製被覆管と
水が高温で反応すれば水素の発生は避けられない.もちろん窒素環境下では水素の
爆発は避けられる.どこで大量の酸素と水素とが遭遇するかという問題である.
1,3号機では水素爆発は原子炉建屋で起こった.2号機でも爆発が起こったが,
何故かこれは水素爆発だとは断言していない.今の格納容器内に有る窒素ガスの
レベルがどれほどのものか,水素ガスの新たな流入が避けられないとすれば,
急いで外部から窒素ガスを格納容器に送り込む必要があるはずだ.
▲爆発的汚染物質飛散の危険性は去っていない
4月3日時点で,報道の多くは2号機タービン建屋から漏れ出る放射性物質の
追跡に集中しているかに見える.しかし,真に恐るべき大惨事はこの漏洩にあるのだ
ろうか.原子炉事故の最大のターゲットは爆発的な汚染物質の飛散にあることを
なぜ強調しないのだろうか .もちろんその危機が去ったのならこの雑文は意味が
なくなるし,そうあって欲しいと切望している.だが公式に発表される原子炉関連の
データ値が,計器の正常性を確認しての値かという疑問が湧いてくるのは何故だろう
か.堅牢な容器の内部を何者も見ることが出来ないことは良く分かる.それでも,各数
値を有りうる現状とつきあわせてみれば,矛盾点も浮かび上がり現状はより鮮明に
なるだろう.高度な技術を踏まえた解析を行っているはずの技術集団の姿が一向に
見えてこないとすれば,そのような存在は幻ということだろうか.危機管理の全権を任
せられた特別チーム(東電や行政府を越えた),その不在はこの国のリクルートの
仕組みを反映し,危機を増幅してはいないのだろうか.
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●溶解する地方都市と郊外SCの急成長;灰から生まれたぴかぴかでぺらぺらな不死鳥
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2011-02-03
■近代の都市の誕生として真っ先に思い浮かぶのは19世紀のロンドンであろう.産業革命期の圧倒的活力と財を吸収して,大都市病理の総てを飲み込みながら長期にわたりロンドンは近代都市の典型で有り続けた.サンボリズムの詩人ランボーはその散文詩,「町々」でその不思議な印象を次のように書きとめている.”近代蛮族文明のもっとも巨大な着想も思いも及ばぬ堂々たるアクロポリス.じっと動かぬ灰色の空が作る鈍い陽ざし,築きあげられた石の王者のごとききらめき,地上の永遠の雪,これらは言い表わしようもない.異様な巨大好みによって,古来世に認められたありとあらゆる建築の驚異が再現された.おれは,ハンプトン・コートの何十倍も広い場所で絵の展覧会を見物する.その絵がまたすさまじい!”(ランボウ全作品集,思潮社,粟津則雄訳,p.399)ファンタン=ラトゥール(1836~1904)によるランボーの肖像画別の町の詩で,ランボーは宿の窓から”濃くたちこめた石炭の永遠の煙のなかを”さまよう人々を眺めるのだが,それは復讐の三女神にも似た亡霊,つまり”涙もこぼさぬ死の女神,おれたちの世話をするあの働きものの小娘に,絶望した愛の女神に,往来の泥にまみれたひいひいと泣きわめく小ぎれいな罪の女神に”も似た亡霊のような人々と言わしめている.この時ランボーがもし水道水を口にしたなら,ロンドンの印象はさらに強烈なものになったかもしれない.近代創世記のロンドンでは排泄物は下水道を通じて容赦なくテムズ河に放出された.その汚物まみれのテムズ河の水は,水源として上水道にそのまま還流されたのだから驚く.しかし,エネルギーと物質の時代をリードした近代ロンドンの活力はその後も衰えることなく国際的大都市へと向かって脱皮を繰り返し,ナチス・ドイツの激しい空爆をもしのいで世界都市の位置を不動のものにしていったことは僕が触れるまでも無い.1979年,エンパイア・ステート・ビルディング展望台より見たミッドタウン■ロンドンのような開かれた国際的大都市の活力の歴史は他の巨大都市の歴史とも重なる.100を越える言語が飛び交うニューヨーク市などは,犯罪都市の汚名を乗り越え,依然として世界の経済,文化の震源地で有り続けている.東京にしても,パリにしても,メトロポリスとしての活力は一向に衰える気配が無いのだ.「都会の孤独」や「殺伐たる自然環境」が声高に叫ばれながら,巨大都市が一方的に富や文化を旺盛に吸収・消..
街
symplexus
2011-02-03T17:30:12+09:00
産業革命期の圧倒的活力と財を吸収して,大都市病理の総てを飲み込みながら
長期にわたりロンドンは近代都市の典型で有り続けた.サンボリズムの詩人
ランボーはその散文詩,「町々」でその不思議な印象を次のように書きとめて
いる.
”近代蛮族文明のもっとも巨大な着想も思いも及ばぬ堂々たるアクロポリス.
じっと動かぬ灰色の空が作る鈍い陽ざし,築きあげられた石の王者の
ごとききらめき,地上の永遠の雪,これらは言い表わしようもない.異様な
巨大好みによって,古来世に認められたありとあらゆる建築の驚異が
再現された.おれは,ハンプトン・コートの何十倍も広い場所で絵の
展覧会を見物する.その絵がまたすさまじい!”
(ランボウ全作品集,思潮社,粟津則雄訳,p.399)
ファンタン=ラトゥール(1836~1904)によるランボーの肖像画
別の町の詩で,ランボーは宿の窓から”濃くたちこめた石炭の永遠の煙の
なかを”さまよう人々を眺めるのだが,それは復讐の三女神にも似た亡霊
,つまり”涙もこぼさぬ死の女神,おれたちの世話をするあの働きものの
小娘に,絶望した愛の女神に,往来の泥にまみれたひいひいと泣きわめく
小ぎれいな罪の女神に”も似た亡霊のような人々と言わしめている.
この時ランボーがもし水道水を口にしたなら,ロンドンの印象はさらに
強烈なものになったかもしれない.近代創世記のロンドンでは排泄物は
下水道を通じて容赦なくテムズ河に放出された.その汚物まみれの
テムズ河の水は,水源として上水道にそのまま還流されたのだから驚く.
しかし,エネルギーと物質の時代をリードした近代ロンドンの活力は
その後も衰えることなく国際的大都市へと向かって脱皮を繰り返し,ナチス・
ドイツの激しい空爆をもしのいで世界都市の位置を不動のものにしていった
ことは僕が触れるまでも無い.
1979年,エンパイア・ステート・ビルディング展望台より見たミッドタウン
■ロンドンのような開かれた国際的大都市の活力の歴史は他の巨大都市の
歴史とも重なる.100を越える言語が飛び交うニューヨーク市などは,
犯罪都市の汚名を乗り越え,依然として世界の経済,文化の震源地で有り
続けている.東京にしても,パリにしても,メトロポリスとしての活力は
一向に衰える気配が無いのだ.「都会の孤独」や「殺伐たる自然環境」が声高に
叫ばれながら,巨大都市が一方的に富や文化を旺盛に吸収・消化していく
のに対して,一方では,豊かな自然を背後に有するはずの地方都市の多くは
溶解ともいえる衰退の中であえいでいるのはなぜだろうか.例えば僕の住む
人口20万の甲府市もまた絵に描いたようにその衰退の道を歩んでいるかに
見える.休日でもアーケードの下を行き交う人影もまばらで,夕暮れには
早々と店をたたむシャッターの音ばかり,場末感いっぱいの道路では
ソープランドの呼び声が侘しくこだまする.無料の駐車場など期待すべきも
ないから,食事も,買物も広い駐車場をそなえた郊外へと車を走らせる
ことになる.市内中心部という言葉がもはや意味をなさないのだ.
街はどの角度から見ても崩壊しつつある.そして,その空虚の空白を
埋めるかのように,郊外には巨大なショッピングセンター(SC)が林立
する.
甲府市北西部,甲斐市に最近出現した巨大なSC.八ヶ岳を眺望する.
■この流れはもちろん今に始まったことではない.郊外型大店舗の進出に
歯止めをかけようとする動きは,複数の動機により二昔以上前から絶えず
蒸し返されてきたが,それらは一向に甲府市再生とは結びつかなかったという
現実が有る.それがここにきて一気に大店舗の攻勢へと向かわせているのだ.
甲府市に隣接する甲斐市では釜無川に沿った田畑が大規模に造成され,
忽然と大SCが2年前に誕生した.周辺の購買意欲を掘り起こしているだけ
でなく,休日ともなればかなり遠方から買物に来たと思われる若者達が
塩崎駅から吐き出される.驚くべきことにこれより巨大なSCが,これまた
甲府市に隣接する昭和町で建設中だという.ここには大型シネコンの入居
も予定されているので,単なる買物施設を越えた社交の場が誕生するのかも
しれない.
昭和町に建設中のSC.当初の計画より大幅に縮小されたが県下最大規模になる予定.
■しかし,この空しさはどこから来るのだろうか.全国どこにでもある
千篇一律の建築物,そのなかには同じような商品が,同じように並び,
同じような幸福が演出されて,標準語が同じような話し方で交わされる.
あくまでも明るい建物の外装は,良く言えば軽快,悪く言えばぺらぺらで
安っぽい.おそらく10年もすれば色あせて,次の建て替えが話題となるのだ
ろう.このような風景が人々に刻印していく世界とはどのようなものだろうか.
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■香りの内と外;物語と嗅覚
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2011-01-03
●高度に洗練された調香によって初めて成り立つ現代の香水は,正確なことは知らないが化粧品市場でかなりの比率を占めているのであろう.このよそよそしい表現は僕の直裁で粗野な生活と関係がある.要するに,僕の場合ココ・シャネルがいうところの「完成された雄弁なコスチューム」などと無縁な生活に明け暮れているのだ.●一方,現実世界から立ち昇る匂いに関しては香水を駆逐する異様な力を感じる時がある.詩人;ヨシフ・ブロツキーの場合それは”凍った藻の匂い”であったりする.「その夜は強い風が吹いていた.なにに目を留めたというわけでもないのに,突然恐ろしいほどの幸福感につつまれた.ぼくにとっては『幸せ』と同じ意味をもつ,凍った藻の匂いを吸いこんだのだ.ある人にとってそれは刈り取ったばかりの草,あるいは干し草の匂いかもしれない.また別の人にとってはクリスマスの樅の木やオレンジの香りかもしれない.ぼくにとってそれは凍った藻の匂いだ」(ヴェネチア・水の迷宮の夢,ヨシフ・ブロツキー,金関寿夫訳,集英社,1996,p.9)この匂いにはもちろん調香師はいない.また匂いを装う人の意図とも無縁である.そこにただ在る匂いが何故ある種の感覚を根底から揺さぶるのか.完全に燃焼しきれない焚き火から立ち昇る煙は,形容しがたい匂いを辺りに放つ.●匂いには一種の物語がつきまとうのではないかと思うときがある.もちろん物語は匂いと併走し,匂いに融けることはない.それではその物語は完全に特定の匂いとは独立の偶発的な符号かというとそうでもないように思う.この物語は抽象的物語であり,象徴でありうるからだ.「この世のどんな果実にも満足しない私の飢えは,巧みに創り出された果実の欠如の中に,不易の風味を見出す.例えば想う,人肌の香しい一つの肉の果実が輝き出るようにと.」”マラルメ 詩と散文”,松室 三郎訳,筑摩書房,1987,p.34 ●僕の場合,枯れ木や干し草が生の痕跡を失うときの匂い,つまり焚き火から立ち昇る煙がブロツキーの凍った藻に相当するらしい.傍らに誰か居るとか居ないとかとは関係ないから,ことさら思い出を詮索しないことにしている.この焚くという行為はくだんの香と深くかかわっているから面白い.香木の王者である沈香は,線香にの主成分の一つである白檀などとは違い,熱をかけたり燃やしたりして始めて強い芳香を放つようになる.木に閉じ込められていた匂いの成分が熱によって大気中に解き放たれ..
香
symplexus
2011-01-03T01:08:38+09:00
正確なことは知らないが化粧品市場でかなりの比率を占めている
のであろう.このよそよそしい表現は僕の直裁で粗野な生活と関係が
ある.要するに,僕の場合ココ・シャネルがいうところの「完成された
雄弁なコスチューム」などと無縁な生活に明け暮れているのだ.
●一方,現実世界から立ち昇る匂いに関しては香水を駆逐する
異様な力を感じる時がある.詩人;ヨシフ・ブロツキーの場合それは
”凍った藻の匂い”であったりする.
「その夜は強い風が吹いていた.なにに目を留めたというわけでもない
のに,突然恐ろしいほどの幸福感につつまれた.ぼくにとっては
『幸せ』と同じ意味をもつ,凍った藻の匂いを吸いこんだのだ.
ある人にとってそれは刈り取ったばかりの草,あるいは干し草の
匂いかもしれない.また別の人にとってはクリスマスの樅の木や
オレンジの香りかもしれない.ぼくにとってそれは凍った藻の匂いだ」
(ヴェネチア・水の迷宮の夢,ヨシフ・ブロツキー,金関寿夫訳,
集英社,1996,p.9)
この匂いにはもちろん調香師はいない.また匂いを装う人の意図
とも無縁である.そこにただ在る匂いが何故ある種の感覚を根底から
揺さぶるのか.
完全に燃焼しきれない焚き火から立ち昇る煙は,形容しがたい匂いを辺りに放つ.
●匂いには一種の物語がつきまとうのではないかと思うときがある.
もちろん物語は匂いと併走し,匂いに融けることはない.それでは
その物語は完全に特定の匂いとは独立の偶発的な符号かというと
そうでもないように思う.この物語は抽象的物語であり,象徴であり
うるからだ.
「この世のどんな果実にも満足しない私の飢えは,
巧みに創り出された果実の欠如の中に,不易の風味を見出す.
例えば想う,人肌の香しい一つの肉の果実が輝き出るようにと.」
”マラルメ 詩と散文”,松室 三郎訳,筑摩書房,1987,p.34
●僕の場合,枯れ木や干し草が生の痕跡を失うときの匂い,つまり
焚き火から立ち昇る煙がブロツキーの凍った藻に相当するらしい.
傍らに誰か居るとか居ないとかとは関係ないから,ことさら思い出
を詮索しないことにしている.この焚くという行為はくだんの香と
深くかかわっているから面白い.香木の王者である沈香は,線香に
の主成分の一つである白檀などとは違い,熱をかけたり燃やしたり
して始めて強い芳香を放つようになる.木に閉じ込められていた
匂いの成分が熱によって大気中に解き放たれる,そこに何か物語り
を感じるのだろうか.無縁として文脈からはずしたシャネルno5に
もう一度戻ってみよう.
線香の匂いの元は白檀やタブの樹皮が一般的であるが時に沈香にも由来する.
●ココ・シャネルのリクエストに応じて,すでに調合していた10の
創作品を直ちにココに試供できた調香師;エルネスト・ボー
( Ernest Beaux)は,その独創性として香りの持続を可能にした
アルデヒドの添加の革新性についてしばしば言及される.しかし,
ボーの独創性はそのような調香の技術に還元されるのだろうか.
ウェブを検索すると彼のno5の創意の根底に,かって軍属として
赴いた北欧の地での白夜と,そこかしこに点在する湖,咲き乱れる
花々が在ったとのコメントを発見した.引用ソースが不明のため
これが真実かどうか断言できないが,もしそうだとすれば香りと
視覚的イメージとのリンクがあらかじめボーの中に形成されていた
ことになる.
シャネルno5には黒が似合う.調香師の意図とココ・シャネルの美意識が共鳴したのだろうか.
●no5の香りを色で表現するなら黒と闇のなかのほのかな光だ.
香りについて鈍感な僕の印象だから,これは微妙な階調を区別しての
見解ではもちろんない.嗅覚と視覚のレシプロカルな戯言である.
悲劇的な最後を遂げた美しい女優が,夜毎no5の香りを纏って
眠りについたという話は良く知られた伝説であるが,この女性は
すでに眠りのなかで黄泉を旅していたとも言える.闇に魅せられた
人は狂気を生きているのだから.
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■意識的にでも無意識的にでもなく
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2010-11-17
●今回仕上げた一号程度の小品は抽象度が過激ではなく,比較的なじみやすいものに仕上がったように思う.結婚祝いの記念品としての作品だから,自分の勝手な好みを暴走させるのを抑制したのかもしれない.とは言っても懸案の追求を放棄したわけではないので,制作に集中しているといろいろ今後の方向性についてヒントを得ることが出来た.「non-voluntarily non-involuntarily」, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料●対象を特定しないということで一般には描画の発想を,無意識に湧き上がる泉の中から熟成を待って汲み上げるイメージを持たれる方が多いのかもしれないが,僕の場合は必ずしもそうではない.「non-voluntarily non-involuntarily」部分, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料●無意識で絵具と板切れに向かい合っていることは確かであるが,それとは別に何ヶ月もまるで強迫神経症のように響き渡っている手に負えない難問が有って,これはもろもろのテキストやモノグラフの批判的検証,映像や体験の引用を含む意識の奔流の中でもがき苦しみ浮沈している.絵画を孤立した感覚の特殊な領域として割り切る考えかたもあるが,絶え間なく流れ込んでくる情報の荒波と制作とは無縁ではなかろう.「non-voluntarily non-involuntarily」部分, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料●しかし他方ではそのような時代感覚に左右されない絶対的ともいえる世界を感じる瞬間が有って,それが季節の移ろいや梢を渡る風の音,光や闇が織り成す目に見えない織物と共振して胸が苦しく成る時がある.こういったことは皆森の中の幻想にすぎないのかもしれないのだが・・「non-voluntarily non-involuntarily」部分, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料
絵画制作と絵画論
symplexus
2010-11-17T23:12:48+09:00
比較的なじみやすいものに仕上がったように思う.結婚祝いの
記念品としての作品だから,自分の勝手な好みを暴走させるのを
抑制したのかもしれない.とは言っても懸案の追求を放棄した
わけではないので,制作に集中しているといろいろ今後の方向性
についてヒントを得ることが出来た.
「non-voluntarily non-involuntarily」, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料
●対象を特定しないということで一般には描画の発想を,無意識に
湧き上がる泉の中から熟成を待って汲み上げるイメージを持たれる
方が多いのかもしれないが,僕の場合は必ずしもそうではない.
「non-voluntarily non-involuntarily」部分, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料
●無意識で絵具と板切れに向かい合っていることは確かであるが,
それとは別に何ヶ月もまるで強迫神経症のように響き渡っている
手に負えない難問が有って,これはもろもろのテキストやモノグラフ
の批判的検証,映像や体験の引用を含む意識の奔流の中で
もがき苦しみ浮沈している.
絵画を孤立した感覚の特殊な領域として割り切る考えかたもあるが,
絶え間なく流れ込んでくる情報の荒波と制作とは無縁ではなかろう.
「non-voluntarily non-involuntarily」部分, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料
●しかし他方ではそのような時代感覚に左右されない絶対的とも
いえる世界を感じる瞬間が有って,それが季節の移ろいや
梢を渡る風の音,光や闇が織り成す目に見えない織物と
共振して胸が苦しく成る時がある.こういったことは皆森の中
の幻想にすぎないのかもしれないのだが・・
「non-voluntarily non-involuntarily」部分, Hisato Shida 作, 2010年11月16日,合板に水性塗料
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■抽象絵画の個体発生;①眠りの中の異界&真実
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2010-11-01
●抽象絵画の創始者としてウィキペディア (Wikipedia)は慎重なもの言いながらもカンディンスキーの名をあげ,その時期を1910年頃としている.これはカンディンスキー本人のインタビュー記事とも整合するものであり一つの美術史的見解かもしれない(ニーレンドルフのカンディンスキー会見記;1937年3月,ニューヨークのニーレンドルフ画廊でカンディンスキーの個展が開かれた.この個展に先立ちカンディンスキーが受けたインタビュー記事がここにいう「ニーレンドルフのカンディンスキー会見記」である.以下のサイトにはSE(DBエンジニア);ミック訳の本会見記が公開されている.http://www.geocities.jp/mickindex/kandinsky/knd_interviewN_jp.html ).しかし,ここでいう抽象絵画の登場を近代絵画の様々な潮流との関連で追跡するなら,単独の「創始者」とは異なる歴史絵巻が浮かんでくるようにも思う.残念ながら美術史の門外漢である僕には資料を渉猟し,それを分析するだけの力量はない.●一方個人的なことにひきつけて考えると,近代の抽象絵画が登場して以来50年以上も経過した時点で古い絵画様式の呪縛から四苦八苦して脱皮を繰り返し,それから10年,20年をかけてようやく抽象画にたどりついた周回遅れの間抜けな美術家の僕には,個人の精神史としての必然の方が興味がある.もっと分かりやすくいうとなぜ生きている現実世界が持つ豊なイメージを捨てて,抽象化された色や形に絵画的魅力を感じるのかということである.私設の個人的ギャラリーで作品を展示して頻繁に経験して来たことは,毎回のように発せられる”何を描いたのか”という客からの質問であった.画面以外に解答を求める発想は決して過去のものではない.一方で西洋近代絵画史の初頭に花開いた新古典主義,ロマン主義,写実主義など主題を前面に押し出した諸作品の表面をなぞると,非具象を特性とする抽象絵画とはおよそ関連のない別の水脈の表現のように思えるだろう.しかし,本当に絵画の水脈はそのように分断できるものだろうか.相互に否定の関係で結ばれている諸潮流とは,つきつめたところで否定の異界に跳躍した家出息子のようなものである.「眠り」,1964年?, 志田 寿人,紙にクレヨン●ここに一枚のクレヨン(さくらクレパス)画がある.未だ抽象画に到達する以前の作品で,大学時代に仕上げられた未..
絵画制作と絵画論
symplexus
2010-11-01T00:39:46+09:00
カンディンスキーの名をあげ,その時期を1910年頃としている.
これはカンディンスキー本人のインタビュー記事とも整合するものであり
一つの美術史的見解かもしれない(ニーレンドルフのカンディンスキー
会見記;1937年3月,ニューヨークのニーレンドルフ画廊でカンディンスキー
の個展が開かれた.この個展に先立ちカンディンスキーが受けたインタビュー
記事がここにいう「ニーレンドルフのカンディンスキー会見記」である.
以下のサイトにはSE(DBエンジニア);ミック訳の本会見記が公開されている.
http://www.geocities.jp/mickindex/kandinsky/knd_interviewN_jp.html ).
しかし,ここでいう抽象絵画の登場を近代絵画の様々な潮流
との関連で追跡するなら,単独の「創始者」とは異なる歴史絵巻
が浮かんでくるようにも思う.残念ながら美術史の門外漢である
僕には資料を渉猟し,それを分析するだけの力量はない.
●一方個人的なことにひきつけて考えると,近代の抽象絵画が登場して以来
50年以上も経過した時点で古い絵画様式の呪縛から四苦八苦して脱皮
を繰り返し,それから10年,20年をかけてようやく抽象画にたどりついた
周回遅れの間抜けな美術家の僕には,個人の精神史としての必然の方が
興味がある.もっと分かりやすくいうとなぜ生きている現実世界が持つ豊な
イメージを捨てて,抽象化された色や形に絵画的魅力を感じるのかという
ことである.私設の個人的ギャラリーで作品を展示して頻繁に経験して来たことは,
毎回のように発せられる”何を描いたのか”という客からの質問であった.
画面以外に解答を求める発想は決して過去のものではない.
一方で西洋近代絵画史の初頭に花開いた新古典主義,ロマン主義,写実主義
など主題を前面に押し出した諸作品の表面をなぞると,非具象を特性とする
抽象絵画とはおよそ関連のない別の水脈の表現のように思えるだろう.
しかし,本当に絵画の水脈はそのように分断できるものだろうか.
相互に否定の関係で結ばれている諸潮流とは,つきつめたところで否定の
異界に跳躍した家出息子のようなものである.
「眠り」,1964年?, 志田 寿人,紙にクレヨン
●ここに一枚のクレヨン(さくらクレパス)画がある.未だ抽象画に到達する
以前の作品で,大学時代に仕上げられた未発表の古典的習作である.
青緑の沈んだ色調を背景に目を閉じた青年がうつ伏せに近い姿勢で
横たわっている.ただそれだけの作品だが,どこか現実感が無いような
有るような人物像はおそらく当時の自分自身を投影し,分析的にとらえた
ものであろう.目に見える具体的な世界があたかも真実に迫るための
障害であるかのように目を閉じて観ようとはしない,その姿勢からこそ
真実が見えてくると思っていたのだろうか!?このよう目を閉じ,眠りに
落ちたような人物像は幻想絵画に魅せられた画家の作品にしばしば
登場する.
『気まぐれ(ロス・カプリチョス)』より,「理性が眠れば妖魔が生まれる」,1799年,ゴヤ,銅版画
ゴヤの版画連作;「ロス・カプリチョス)」の一枚,
「理性が眠れば妖魔が生まれる」は良く知られているが,他にルドンの
「目を閉じて」がそれだ.面白いことにクレーにも「absorption」なる作品がある.
これらの作品の絵画的魅力はもちろんこのような観点から生まれるわけでは無い.
ただ,具体的対象物から画家の関心が何故離脱していくのかという
その一点から現実との対処のしかたを問題にしているのだ.
「目を閉じて」,1890年,ルドン,キャンバスに油絵具
「Absorption」,1919年,クレー,紙に鉛筆
●”大切なものは見えない”は「星の王子様」のなかの良く知られたセリフである.
これは常識ともいえる真実であって,なにごとかの表現をもっぱらとする絵画
特有の考え方ではもちろんない.芸術で括られる様式の中でも音楽では
芸術的真実は当然見えないとの了解がある.詩も物語りもそうではないのか.
だとすれば,むしろ見慣れてきた具体的対象物に密着させて絵画的意図を
実現させようとしてきた具象絵画こそ,芸術のありようを誤解させる例外的存在
だとはいえないのか.分かり易くいおう.そもそも我々が見える世界は,世界の
ほんの一部である.視覚が感知できる波長は狭く,見える物体像は分解能の
制限を受けて本当に大切なものは見えない.しかもこれは事実を争う科学の
世界だ.我々が本当に大切だと思っているものはどうか.愛情とか,誠実とか,
友情とか,正義とか,殆どが見えないところに我々も迷妄の根拠があるのでは
ないのか.即物的な面にこだわる絵画は芸術の呪われた形式かもしれない
という疑惑が黒雲のように湧き上がっても不思議ではないだろう.だが,
その時天啓のように一つの言葉が鳴り響くのだ.目を閉じよ!と.
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■水についての小さなエピソード ③波濤または解放の黙示録
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2010-09-26
昭和20(1945)年7月6日深夜,山岳の中核都市甲府は131機のB29戦略爆撃機が容赦なく落とす970トンの焼夷弾を受けて炎上,消失した.2万6千戸の住宅の7割が被害を受け,市街の中心部の焼け野原には黒焦げの遺体が散乱した.暗黒史に残る甲府大空襲である.甲府市の戦後復興はこの焦土無しには語ることは出来ない.ところが敗戦と同時にバラック小屋の建設が始まり,水道,電気,通信等のインフラも困難をおして着々と進行していった.翌1946年には戦後初めての市制祭が開催され,愛宕山からは打上花火が上がったというから驚く.あまり落ち込まない国民なのだ. 治安に関しても,夜道が恐くて歩けないという犯罪都市にはならなかったが,これには治安を担当する警察が自治体警察として早くから再建され,質的低下が大きな問題にならなかったことが幸いしたのであろう.父が甲府警察署の署長として治安の任にあたったのは戦後数年もしない激動期で,官舎から早朝の朝礼や点検の姿を観たことを憶えている.1950年代初めの警察早朝訓練の光景 その父が何かの所用で上京する機会が有り,はっきりとは理由を憶えていないのだが一緒について行くことになった.小学生の自分には何がどうなっているのか分からなかったが,甲府署の建物とは比較になら無いような巨大なビルに連れていかれ,入口の木製の椅子で父の用件が終わるのを大人しく待っていた.しばらくして父が,言葉使いの丁寧な一人の紳士と連れ立って戻って来た.「これがうちの豚児で・・・」と息子の頭をなでながら二人とも楽しそうに笑っていたのを思い出す.それから父と僕は車で海岸に移動し,比較的小型の船に乗り込んだ.10m以上は有ったと思うがそれがどのような性格の船かは定かではない.艇はエンジン音と共にしぶきをあげて走り出した.それまで高速艇に乗ったことがない僕には夢のような瞬間である.それが,湾内を抜けると緊張に変わった.いきなり大波が襲って来たのだ.船内で足をふんばり手すりにしがみついていたが,ふと見あげると心配そうな父と目が合った.小山のような波に向かって船は突き進む.そこからまた谷底に滑り込むという具合で,船は上下左右に激しく揺れた.爽快とも思える感覚!波濤を越える体感が記憶の中にしっかりと刻みこまれた.19Cロシアの画家アイヴァゾフスキーによる「第九の波濤」,1850年,油彩 荒波に魅せられた画家は少なくないが,芸術的到達度から見る..
絵画制作と絵画論
symplexus
2010-09-27T00:45:16+09:00
B29戦略爆撃機が容赦なく落とす970トンの焼夷弾を受けて
炎上,消失した.2万6千戸の住宅の7割が被害を受け,市街の
中心部の焼け野原には黒焦げの遺体が散乱した.暗黒史に残る
甲府大空襲である.甲府市の戦後復興はこの焦土無しには語る
ことは出来ない.ところが敗戦と同時にバラック小屋の建設が始まり,
水道,電気,通信等のインフラも困難をおして着々と進行していった.
翌1946年には戦後初めての市制祭が開催され,愛宕山からは打上
花火が上がったというから驚く.あまり落ち込まない国民なのだ.
治安に関しても,夜道が恐くて歩けないという犯罪都市には
ならなかったが,これには治安を担当する警察が自治体警察として
早くから再建され,質的低下が大きな問題にならなかったことが
幸いしたのであろう.父が甲府警察署の署長として治安の任に
あたったのは戦後数年もしない激動期で,官舎から早朝の朝礼や
点検の姿を観たことを憶えている.
1950年代初めの警察早朝訓練の光景
その父が何かの所用で上京する機会が有り,はっきりとは
理由を憶えていないのだが一緒について行くことになった.
小学生の自分には何がどうなっているのか分からなかったが,
甲府署の建物とは比較になら無いような巨大なビルに連れていかれ,
入口の木製の椅子で父の用件が終わるのを大人しく待っていた.
しばらくして父が,言葉使いの丁寧な一人の紳士と連れ立って戻って
来た.「これがうちの豚児で・・・」と息子の頭をなでながら二人とも
楽しそうに笑っていたのを思い出す.それから父と僕は車で
海岸に移動し,比較的小型の船に乗り込んだ.10m以上は有った
と思うがそれがどのような性格の船かは定かではない.艇はエンジン
音と共にしぶきをあげて走り出した.それまで高速艇に乗ったこと
がない僕には夢のような瞬間である.それが,湾内を抜けると緊張に
変わった.いきなり大波が襲って来たのだ.船内で足をふんばり
手すりにしがみついていたが,ふと見あげると心配そうな父と目が
合った.小山のような波に向かって船は突き進む.そこからまた
谷底に滑り込むという具合で,船は上下左右に激しく揺れた.
爽快とも思える感覚!波濤を越える体感が記憶の中にしっかりと
刻みこまれた.
19Cロシアの画家アイヴァゾフスキーによる「第九の波濤」,1850年,油彩
荒波に魅せられた画家は少なくないが,芸術的到達度から見ると
傑作はそう沢山は無いように見える.海洋画家としてウィンズロウ・ホーマー
とならび賞賛されるロシアの画家;イヴァン・アイヴァゾフスキーは
どうであろうか.2007年,国立ロシア美術館のコレクションが上野に
やって来た.その中には「月夜」などアイヴァゾフスキーの名品も
含まれているという.「第九の波濤」は無かったが多少期待するところも
有って上京することにした.1969年,講談社刊,「クレムリン・ロシア美術館」
で作品を目にしていたからである.結果は正直がっかりした.
月光に輝く海など通俗に止まり,ロマン主義の核心部分;死と生の相克を
突き詰めての作品とは思えない.これは同会場に飾られていた
レーピンの大作;「何という広がりだ!」の無残な出来とも関係がある.
この時代のロシアのリアリズムの作品群は旧ソ連の社会主義リアリズムを
先取りしているようで,一種の絵画的後進性を感じたのは僕だけだろうか.
なまの主題への依存が芸術的緊張を二の次にしているように思えるのだ.
クールベ,「波」,1870年頃,油彩,国立西洋美術館,松方コレクション
諸流派が興隆した近代フランス絵画の流れの中で,荒海と言えば
クールベの「波」が真っ先にあげられるべきだろう.大学時代,仙台と甲府を
休暇で行き来した時,上野で途中下車し,国立西洋美術館で時間をつぶす
のが習慣になった.その時必ず観たのがクールベのこの作品である.
同じモチーフでクールベは何作も制作しているので他と比較したのかと
言われれば自信は無いが,大波への執拗な追求が観てとれる佳作だと思う.
仕上げた年は1870年,パリコミューンの始まる前年である.すでに
「オルナンの埋葬」をものにして画壇本流に抗し,偽善とタブーに「写実」
という挑戦状をたたきつけた気迫がみなぎっている.クールベは現実の
荒波を前にして,それを越える動き,動乱の時代を見ているのだ.
翌年パリ・コミューンが成立するとコミューン議員に第六区から選出され
市庁役員,文部委員,芸術家連盟会長に就任する.
この複眼の視点は写実の方法論と矛盾しないのだろうか.海と空に
目を据えれば据えるほど,その具体的な姿から観念は飛翔しようと
しないのだろうか.逆に写実の目は観念を抑圧して,具体的な波の
描写に画家の作業を閉じ込めようとしないのだろうか.多くの通俗的
海洋絵画は迫真の描写力で観るものを圧倒する.あるいは市民的安住の
中で温和な描写を楽しむことになる.要するにカメラの目だ.ここには
描こうとする姿と観念との間に矛盾は無い.クールベのような強烈な自我に
とって,「写実」という方法論は反権威のモチーフに止まれば行く手を照らす
光となるが,象徴性の高い主題では一種の足かせとなる.こうした視点から
再度「波」を読んでみると,空も海もどこか中途半端な描写に見えてくる.
ターナー,「嵐の中のオランダ船」,1801年,油彩
ターナー,「吹雪ー港の沖合いの蒸気船」,1842,油彩
写実という絵画的方法論は一時の中継点のようなもので,一度観念と
描写の均衡が破られれば後は雪崩のように崩壊することなるだろう.
クールベはその一歩手前に止まった.実体に拘ったのである.
現実の波の姿を打ち破って,絵画的冒険に歩をすすめた開拓者の
一人は19Cイギリスの画家,ターナーであろう.かれの比較的初期の
作品は戦闘的ロマン主義の典型ともいえる劇的風景を好んで描いている.
ターナーもまた内なる嵐をかかえての変革の人だ.しかしクールベと異なって
ターナーにはプルードン主義のような空想思想にのめりこむ運命を
背負ってはいない.ターナーの沸騰するエネルギーが向かったのは
絵画的光の中で,色彩を形態から飛翔させ,両方の調和を破る
ことである.これはドラクロアにも言えることで,印象派の先駆を
ターナーだけに求めるのは僕には公平な評価とは思えない.
いずれにしても,絵画における形態や色彩はその有り方を根本から
揺り動かす方向で動き始めた.
SHIDA, 「波濤」,油彩,F120号,1965年頃?
とすれば,その後の印象派の動きは,外光の中で捉えられた
一面といえなくも無い.つまり印象派が嫌った夜の世界ではまた
別の絵画的原理が働きうるということである.さらに展開すれば,
光と闇がせめぎあう世界では,第三の絵画が生まれうると
いえないだろうか.これはまったく個人的な気質の問題かもしれないが,
大学時代,僕には印象派的絵画の氾濫がどうしても馴染めなかった.
ゴヤの晩年作がモネの睡蓮で蹴散らされたと言われても困るといった
理屈である.そこで思い立ってF120号の油絵;「波濤」の制作に
とりかかった.仙台から近郊の菖蒲田海岸までバイクで一時間半
もあれば海を観に行ける.昼だけでなく,月光の深夜,大波の
押し寄せる日を狙って何度か出かけた.どのくらいで描きあげたのか
忘れたが,授業や研究を縫っての制作でそれほど時間はかけられ
なかったはずだ.ところがこの大作は幻の作品となって今は無い.
もうとっくに時効だからは白状するが,自分の手で破り棄てて
しまったからである.理由はさる地方新聞社主催の公募展に応募し,
見事に落選したことがきっかけとなった.どこかが決定的に未熟だった
のだろうと,入選作を観に行き2度ショックを受けた.このような
素人の手遊びと比較され,相手にもされなかったのだと思うと
怒りを抑えることが出来なかった.この類の落選が数回続き,
日本の公募展に応募することを止める決断をしたのはそれから
数年後である.退路を絶つためにも身近にあった過去の作品は
総て破り捨て,出直すことにした.他人に寄贈したものはどうなった
か分からない.何万円かで購入していただいたものはどこかで
生きているのだろうか.
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水についての小さなエピソード②シュトルム;「みずうみ」の深淵
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2010-09-08
●法律家&詩人&小説家シュトルムと言ってもなじみの無い方が多いかもしれない.北ドイツの港町フーズムに生まれ19世紀の著名な作家,日本では新潮文庫や岩波文庫等に翻訳されている「みずうみ」が良く読まれているという.しかし,僕が最初に出会った作品はこの「みずうみ」では無い.最後の小説で代表作とも評価される「白馬の騎者」がそれで,小学校6年生の時だったと思う.なぜこの角川文庫「白馬の騎者」(関 泰祐訳)という,いささか手に余る本を手にとる気になったのか,思い出そうとしてもまったく記憶の底から浮かび上がってこないので,6年生という歳を考えれば冒険小説と勘違いしたのではないのか.以前紹介した工房付近の溜池.シュトルムのImmenseは架空の湖であるが睡蓮からして池に近いのでは ●物語は北フリースラントの嵐の夜から始まる.語り手の私は自分の愛馬の蹄も見えないような薄暮の中,宿を求めて凍えながらひたすら馬を駆って堤防をひた走っていた.左手は荒涼たる湿地,右手は北海の荒波が堤防をたたき続ける.不安が極点に達したかという時,彼の行く手から半月に浮かぶ一つの黒い姿が近づいて来た.足の長いやせた白馬,黒いマントを肩に翻した人,すれちがいざま燃える二つの眼,これは何者か.私が宿にようやくたどり着いた時,この目撃談はたちまち宿の客達の会話を凍らせてしまった.一人の小柄な老人がこうして「白馬の騎者」;ハウケ・ハイエンの長い物語を語りだすのだ.非凡な才能を持つ少年ハウケは長じて北海に面したこの低地の堤防監督官となった.旧堤防の決壊の危険性を知る彼は新堤防の建設を決意し,それの実現に漕ぎ着けるが,同時に個人的利害だけにとらわれた民衆の怨念や迷信をも新堤防に閉じ込めることになる.そして10月の激しい嵐の襲来,つなみのような高潮と動揺する住民の怒声の中で旧堤防は決壊する.その濁流の中には白馬の騎者;ハウケとその一家の姿も・・・.ということで老人の話は終わるのだが,正義の壮絶な敗北の物語に6年生の僕はそれをどのように消化してよいのかとまどった.●読書の衝撃というものは不思議なもので,シュトルムの名前はそれから何年も記憶の引き出しに留まり,大学生になってから「みずうみ」と遭遇することになる.ただし,このラインハルトとエリーザベトの実のらなかった恋の物語にハウケのような壮大な悲劇性は無い.しかし,逆にシュトルム個人の体験から見れば,切実さにおいてどうだろう..
水
symplexus
2010-09-08T16:13:40+09:00
かもしれない.北ドイツの港町フーズムに生まれ19世紀の著名な
作家,日本では新潮文庫や岩波文庫等に翻訳されている「みずうみ」が
良く読まれているという.しかし,僕が最初に出会った作品はこの
「みずうみ」では無い.最後の小説で代表作とも評価される「白馬の騎者」
がそれで,小学校6年生の時だったと思う.なぜこの角川文庫「白馬の騎
者」(関 泰祐訳)という,いささか手に余る本を手にとる気になったの
か,思い出そうとしてもまったく記憶の底から浮かび上がってこないの
で,6年生という歳を考えれば冒険小説と勘違いしたのではないのか.
以前紹介した工房付近の溜池.シュトルムのImmenseは架空の湖であるが睡蓮からして池に近いのでは
●物語は北フリースラントの嵐の夜から始まる.語り手の私は自分の愛
馬の蹄も見えないような薄暮の中,宿を求めて凍えながらひたすら馬を
駆って堤防をひた走っていた.左手は荒涼たる湿地,右手は北海の荒波
が堤防をたたき続ける.不安が極点に達したかという時,彼の行く手か
ら半月に浮かぶ一つの黒い姿が近づいて来た.足の長いやせた白馬,
黒いマントを肩に翻した人,すれちがいざま燃える二つの眼,これは
何者か.私が宿にようやくたどり着いた時,この目撃談はたちまち宿の
客達の会話を凍らせてしまった.一人の小柄な老人がこうして「白馬の騎
者」;ハウケ・ハイエンの長い物語を語りだすのだ.非凡な才能を持つ少
年ハウケは長じて北海に面したこの低地の堤防監督官となった.旧堤防
の決壊の危険性を知る彼は新堤防の建設を決意し,それの実現に漕ぎ着
けるが,同時に個人的利害だけにとらわれた民衆の怨念や迷信をも新堤
防に閉じ込めることになる.そして10月の激しい嵐の襲来,つなみのよ
うな高潮と動揺する住民の怒声の中で旧堤防は決壊する.その濁流の中
には白馬の騎者;ハウケとその一家の姿も・・・.ということで老人の
話は終わるのだが,正義の壮絶な敗北の物語に6年生の僕はそれをどのよ
うに消化してよいのかとまどった.
●読書の衝撃というものは不思議なもので,シュトルムの名前はそれか
ら何年も記憶の引き出しに留まり,大学生になってから「みずうみ」と遭
遇することになる.ただし,このラインハルトとエリーザベトの実のら
なかった恋の物語にハウケのような壮大な悲劇性は無い.しかし,逆に
シュトルム個人の体験から見れば,切実さにおいてどうだろう.シュト
ルムの一生にはどこか怒りを含んだ静けさを感じるからだ.「白馬の騎
者」の語り手の老人は最後にこうつぶやく.「ー権力者や,頑固な悪僧を
聖者に祭り上げたり,有為な人間を,ただ少し並外れているからという
理由で,お化けや幽霊にしてしまったりするーそういうことはまだ毎日
おこなわれていますよ」と.これと同じ文脈でラインハルトの嘆きをみる
なら,それは”おかしなこと”がまかりとおることへの怒りだろう.母
の望みを優先して,幼い時からのラインハルトとの約束をエリーザベト
は裏切り,アルコール工場の跡継ぎと結婚したのだから.しかし,この
良くある通俗的エピソードに拘ったならシュトルムは凡庸な作家で終
わったにちがいないとも思う.
写真を画像処理.青緑を増すとそのまま夜間の感じになる
●「みずうみ」で僕が最も魅かれたのは,プロットの妙ではなく,ライン
ハルトが行動の中で見せる森や湖との形而上学ともいえる深いかかわり
である.傷心のラインハルトが夕闇の湖に泳ぎだす一節を引用しよう.
「森は静かに,その黒い影を遠く湖上に投げていた.湖心のあたりには
おぼろな月の光があった.時おり木々の間にかすかなざわめきが聞こえ
る.風ではない.夏の夜の吐息なのだ.ラインハルトは岸で伝いに歩い
て行く.石を投げれば届きそうなところに白い睡蓮の花が一つ見える.
急に,その花の近くに行ってみたくなった.ラインハルトは服を脱ぎ捨
てて,水に入った」水は泳ぐほどの深さではないが突然深くなる.水面下
に沈んだ後,手足を動かして円を描きながら泳ぐ彼の目に寂しくさく睡
蓮の花が捉えられた.「彼は花を目がけてゆっくりと泳ぎ始めた.そして
時々水中から腕を上へあげてみた.したたり落ちる水の滴に月影が宿っ
ていた」しかし,睡蓮の花との距離は同じように見える.岸辺の輪郭がぼ
やけていくが彼はなおも泳ぎつづけ,ついに睡蓮の間近まで来た.
「白銀の花弁が月光の中にはっきりと見定められた.同時に網かなにかで
体が巻かれるような気がした.ぬらぬらする茎が水底からのび上がって,
彼の手足にからみついた.水は気味悪く黒々と拡がり,後ろの方では魚
の撥ねる音がした」(高橋 義孝訳,新潮文庫より).
美しい光景の背後に死が見え隠れする.ゲーテの「旅人の夜の歌」もそ
うであるが,ドイツ文学の背景には有限な命を持つ人間,生き物と,そ
れをつつむ永遠なるものの相克が潜んでいるように思う.
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●コーシャー・ディル・ピクルス (KOSHER DILL PICKLES) 閑話
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2010-08-23
▲漬物が無くなると漬物の有難味がわかる.客員研究員としてアメリカで研究していた時,食欲が日に日に落ちていったのにはまいった.原因はいろいろ考えられる.貧弱な英会話能力,ランチ時の雑談にフォローできず全員が爆笑しても笑えない悲しさ!それでも仲間の研究者,技術員達はこの奇妙な英語を話す日本からの客人に辛抱強く対応してくれたから,食欲減退の第一原因が言語の壁とは考えがたい.大体,日本での重苦しい閉塞感から自由となり,暇さえあれば公園顔負けの大学 キャンパスを散歩したり,娘の誕生会に出たり, 友達となったポスト・ドク達と夜中まで大学院生クラブ棟で騒いでいたのだから.30年前のプリンストン大学生物学教室.今はポップ な分子生物学棟に変身・移転.キャノンAE-1 ネガフィルム.構内大きな石楠花の茂み.大学の古い歴史と共に在ったであろう植物がしのばれる.キャノンAE-1 ネガフィルム小さなケーキを囲んでの誕生会.子供達のわくわくするような歓声が聞こえてくるようで懐かしい.キャノンAE-1 と言うわけで,食欲減退の一番の原因は,どうやらこの地の食物だったように思う. スパゲティ,ハムバーク,ステーキも嫌いでは無いが,肉食文化に取り囲まれたかのような食環境は日を追ってストレスが増すこととなる.▲そんな中で出会ったコーシャー・ディル・ピクルス (KOSHER DILL PICKLES) は僕の食事時の楽しみの一つとなった.高さ十数センチの広口ガラス瓶の中に,ちょっと小ぶりのキュウリが漬け込まれていて,噛み砕くと不思議な風味と共に古漬けのような酸味が広がる一種の漬物である.日本に居た時は食べたことが無かっただけでなく,その存在も知らなかったが,ランチ時の会話には頻繁に登場するところからすると,どうやら米国東部ではかなりメジャーな食品らしい.自家製ピクルス作りも盛んなようで,研究室を主宰するスタインバーグ教授(M.S.Steinberg)などは多量のキュウリの買出しに出かけてポリバケツに漬け込むという. その時自家製レシピを頂いたのだが,帰国して長い間それは使われること無くファイルに眠っていた.ピクルス用のキュウリや,必須成分のディルの栽培が面倒に思えたからである.それが30年も経て女房の手で日の目をみることとなった.写真はそのピクルスで,市販のそれとは比較にならない深い味と香り,「これは美味!」ということで瞬く間に数本のキュ..
食
symplexus
2010-08-23T21:23:35+09:00
時,食欲が日に日に落ちていったのにはまいった.原因はいろいろ考えられる.
貧弱な英会話能力,ランチ時の雑談にフォローできず全員が爆笑しても笑えない悲しさ!
それでも仲間の研究者,技術員達はこの奇妙な英語を話す日本からの客人に辛抱強く
対応してくれたから,食欲減退の第一原因が言語の壁とは考えがたい.
大体,日本での重苦しい閉塞感から自由となり,暇さえあれば公園顔負けの大学
キャンパスを散歩したり,娘の誕生会に出たり,
友達となったポスト・ドク達と夜中まで大学院生クラブ棟で騒いでいたのだから.
30年前のプリンストン大学生物学教室.今はポップ な分子生物学棟に変身・移転.キャノンAE-1 ネガフィルム .
構内大きな石楠花の茂み.大学の古い歴史と共に在ったであろう植物がしのばれる.キャノンAE-1 ネガフィルム
小さなケーキを囲んでの誕生会.子供達のわくわくするような歓声が聞こえてくるようで懐かしい.キャノンAE-1
と言うわけで,食欲減退の一番の原因は,どうやらこの地の食物だったように思う.
スパゲティ,ハムバーク,ステーキも嫌いでは無いが,肉食文化に取り囲まれた
かのような食環境は日を追ってストレスが増すこととなる.
▲そんな中で出会ったコーシャー・ディル・ピクルス (KOSHER DILL PICKLES) は僕の
食事時の楽しみの一つとなった.高さ十数センチの広口ガラス瓶の中に,ちょっと小ぶりの
キュウリが漬け込まれていて,噛み砕くと不思議な風味と共に古漬けのような酸味が
広がる一種の漬物である.日本に居た時は食べたことが無かっただけでなく,その存在
も知らなかったが,ランチ時の会話には頻繁に登場するところからすると,どうやら米国
東部ではかなりメジャーな食品らしい.自家製ピクルス作りも盛んなようで,研究室を
主宰するスタインバーグ教授(M.S.Steinberg)などは多量のキュウリの買出しに
出かけてポリバケツに漬け込むという.
その時自家製レシピを頂いたのだが,帰国して長い間それは使われること無くファイル
に眠っていた.ピクルス用のキュウリや,必須成分のディルの栽培が面倒に思えたから
である.それが30年も経て女房の手で日の目をみることとなった.写真はそのピクルス
で,市販のそれとは比較にならない深い味と香り,「これは美味!」ということで瞬く間に
数本のキュウリは白ワインと一緒に僕等の胃袋に消えてしまった.但し今回は
スタインバーグ先生のレシピとは少し異なっていて,これがコーシャーなる名前の由来と
重なりいろいろな謎を生むことになる.
▲まずディルであるが,このセリ科の一年草は香味料や生薬として驚くほど長い歴史が
有るらしい.5000年も前から生薬としてエジプトの医者が使用していたというから驚く.
古代ギリシャ・ローマ,その外のヨーロッパ,北アフリカと広まった歴史の中で特に注目
されるのは,古代イスラエルでも重要な植物であったことを示す記述が残されていること
である.ユダヤ民族における歴史記述の情熱は想像を絶するものがあり,その根幹を
なす「モーゼ五書」の土台の上にユダヤ口伝律法書「ミシュナ」とその注釈である
「タルムード」の壮大な体系が聳え立っているが,このタルムードの中に納税法として
ディルの種子,葉,茎で支払うことと命じた箇所があるというのだ.これほどの広まりを
見せ,著名となった薬香草がなぜ東アジアに到達しなかったのか,今回は疑問を提起
するだけにしてピクルスの方に話を戻すと,このレシピでもいろいろ分からないことが多い.
▲実は,女房が具体的に製法として用いたレシピは,スタインバーグ先生の原法
ではなく1998年主婦の友社刊「ひと味ちがう漬けもの」,p39,きゅうりのピクルスである.
きゅうり:4~5本, 塩:20g, これを下漬けした後処方にしたがってピクルス液に漬け
込むのだが,このピクルス液の成分が結構複雑である.
水:1カップ
酢:1カップ
砂糖:大さじ3
塩:小さじ1+1/4
ピクルス用スパイス:大さじ1
ローリエ:2~3枚
赤唐辛子:2~3本
となっている.ところがスタインバーグ法のどこを見ても酢を加えるとは書いていない!
要するに白菜漬けのように乳酸発酵を待っということだろうか.来年はこの酢を
加えない処方でコーシャー・ディル・ピクルスに挑戦しようかと女房と相談している.
▲今まで解説抜きでコーシャーの語を使っていたが,このコーシャーって一体何の
意味だろうか.このコーシャーは今新しい食品哲学として注目を集めてきているのだが,
これを解説するとなると別の一章が必要となる.なぜならユダヤ教の食事戒律
に沿った認証制度がコーシャーだからだ.宗教と食の組み合わせは奇異に
見えるかもしれないが,両方はお互いに深くかかわっていて仏教も例外ではない.
それは精進料理を見ればなるほどと肯けるかもしれないが,話が長くなりすぎた.
ピクルスの話はひとまずここまでにしよう.
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■水についての小さなエピソード;①手に触れる優しさとは違い
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2010-07-04
●羊水を蹴って生まれたはずの僕がいつか水を恐れるようになったのは何故だろうか.手に触れた最初の感触を思い出すことはできないが,魚網を片手にウグイを追って小川をさかのぼった少年時代の記憶は恐怖とは逆の感覚で有ったと断言できる.指先に触れる流れは同じ水では無いという意味では生きること,つまり,時間的な存在という意味では微かな死の予感をはらむものではあるが,これは理屈である.触れているのは理屈ではなく,水と同じくつかみどころの 無い僕と言う生命だ.理屈は現実を締め上げ, 感覚は現実から湧き上がる.雨後の平凡なイネ科の植物.絢爛たる水滴のアクセサリーが光る「夏の爽やかな夕,ほそ草をふみしだき,ちくちくと稲穂の先で手をつつかれ,小路をゆこう.夢みがちに踏む足の,一あしごとの新鮮さ.帽子はなし,ふく風に髪をなぶらせて.」 アルチュ―ル・ランボウ,サンサシオンより, 金子光晴訳,角川書店,詩集,p.10●街の街燈は暗く,星空は今よりも明るかった時,水もまたいたるところで淀み,水溜りをつくりだしていた.雷鳴と驟雨が終わると,雨上がりの広場には決まって即席の池ができあがり,それは僕等の遊び場となった.手に触れる水の感触,それは60%が水である僕等の身体との親和性を物語っているのだろうか.いつのまにか水溜りには無数のボウフラが踊り,やがて蚊が飛び立って行く.ところが生命の揺籃としての水のイメージは或る日突然砕け散った.身体が水にどっぷり沈んでしまったのである.無機質なコンクリートも水を得て鱗のようだ.●小学2年生か3年生か忘れたが,時はまだ戦争が終わってまもない頃だった.夏になると冷房など一切無いから,耐え難い暑さをひたすら風通しの良い場所で耐えるしか無かった.生水をがぶ飲みしたり,たまには自家製のかき氷にありつける時もあったが,油断すると下痢が待っている.そんな時の救世主が水遊びだった.川は近場には流れていなかったので,父の知人の家族が気を使って甲府駅北口近くにあるプールにさそってくれたのである.喜んでついていくと,おびただしい人の群れが歓声をあげながら水飛沫をあげているのが目にとびこんできた.後で聞いたところそこはプールではなく,何か機関車のための貯水池だったらしい.深さは思ったより深く,足は水を蹴るだけである.工房近くの貯..
水
symplexus
2010-07-04T09:37:21+09:00
なったのは何故だろうか.手に触れた最初の感触を思い出す
ことはできないが,魚網を片手にウグイを追って小川を
さかのぼった少年時代の記憶は恐怖とは逆の感覚で有った
と断言できる.指先に触れる流れは同じ水では無いという意味
では生きること,つまり,時間的な存在という意味では
微かな死の予感をはらむものではあるが,これは理屈である.
触れているのは理屈ではなく,水と同じくつかみどころの
無い僕と言う生命だ.理屈は現実を締め上げ,
感覚は現実から湧き上がる.
雨後の平凡なイネ科の植物.絢爛たる水滴のアクセサリーが光る
「夏の爽やかな夕,ほそ草をふみしだき,
ちくちくと稲穂の先で手をつつかれ,小路をゆこう.
夢みがちに踏む足の,一あしごとの新鮮さ.
帽子はなし,ふく風に髪をなぶらせて.」
アルチュ―ル・ランボウ,サンサシオンより,
金子光晴訳,角川書店,詩集,p.10
●街の街燈は暗く,星空は今よりも明るかった時,水も
またいたるところで淀み,水溜りをつくりだしていた.
雷鳴と驟雨が終わると,雨上がりの広場には決まって
即席の池ができあがり,それは僕等の遊び場となった.
手に触れる水の感触,それは60%が水である僕等の
身体との親和性を物語っているのだろうか.いつのまにか
水溜りには無数のボウフラが踊り,やがて蚊が飛び立って
行く.ところが生命の揺籃としての水のイメージは
或る日突然砕け散った.身体が水にどっぷり沈んで
しまったのである.
無機質なコンクリートも水を得て鱗のようだ.
●小学2年生か3年生か忘れたが,時はまだ戦争が終わって
まもない頃だった.夏になると冷房など一切無いから,
耐え難い暑さをひたすら風通しの良い場所で耐えるしか
無かった.生水をがぶ飲みしたり,たまには自家製の
かき氷にありつける時もあったが,油断すると下痢が
待っている.そんな時の救世主が水遊びだった.
川は近場には流れていなかったので,父の知人の家族が
気を使って甲府駅北口近くにあるプールにさそって
くれたのである.喜んでついていくと,おびただしい
人の群れが歓声をあげながら水飛沫をあげているのが
目にとびこんできた.後で聞いたところそこはプール
ではなく,何か機関車のための貯水池だったらしい.
深さは思ったより深く,足は水を蹴るだけである.
工房近くの貯水池.静まり返った水面が釣り人を誘う.
それまで一度も泳ぎをしたことのない僕は,プールの縁
にしがみついて足をばたつかせるのが精一杯だった.
くだんの家族もめんどうになったのか視界から消えて
しまった.と,その時,何者かが僕の両足をつかまえて
水中にひきずり込んだ.夢中でもがく頭上に水面が白く
光って見える.とっさのことで飲んだ水が腹の中に
なだれこむ.”苦しい”と思うが声にならない.
外の声は完全に消え,不快な音に囲まれる.もうだめ
かと思った時その手は僕の足を離した.もがく
僕の目の前にプールの縁が見えた.何事も無かった
かのような歓声.咳き込み,水を吐き出した僕の背に
ぎらぎらと夏の日差しが照りつけていた.
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●「凍る地球」;60年前の少年SF(2)太陽活動と開放系地球
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2010-04-30
前回紹介した少年SF「凍る地球」(「東光少年」創刊号より連載,1949年1月発刊;著者:高垣眸・深山百合太郎)は米国ピッツバーグ郊外の第16原子力発電所の暴走,大爆発から物語は始まる.時は1965年,著作の時点からみれば四半世紀先の未来ということになる.このSFの読者層に入る僕等の小学校6年生(1952)時の記念写真.その内容をふりかえるとちょっとちぐはぐな感じがする. 原子炉の暴走と言えば,ヒューマン・エラーの積み重ねによる1986年のチェルノブイリ原子力発電所4号炉・炉心溶融・爆発事故を思い浮かべる方が多いのではなかろうか.しかし,「凍る地球」の場合事故の原因は全く違う.ヒューマン・エラーが関係ないというわけではないが,主たる原因は太陽黒点が急激に活動を始め,想像を絶する猛烈なγ線,中性子バーストが地球を襲うというものであった.この異常太陽活動はさらに1万トンの核燃料積載の貨物船の大爆発を誘発,珊瑚環礁を瞬時に消滅させる.しかも,この核大爆発と太陽活動の相乗効果で電離層に新層が形成され,ここを中心に合成されたアンモニアガスが地球に灼熱地獄を招来,さらには生物の生育を助長する環境要因の激変で天文学的な飛蝗の大集団が黒い雲となってアフリカからユーラシア大陸へと大移動を開始するのだ.http://www.jrp.gr.jp/modules/2007prize/index.php#p100JRP2007年入賞作品;奨励賞 森住卓;20年目のチェルノブイリ.原発事故の傷跡は消えていない この地球全体を舞台とした空前の環境危機と,それを迎え撃つ文明の戦闘,敗北,崩壊の過程を追うことはこの短いコメントの趣旨ではない.僕が震撼したのは,この60年前の少年SFの先鋭な問題意識である.小学生の僕を含めて当時の大方は人間集団の善悪判定に忙しく,文明の根底に厳然としてある大いなる自然の黙示録的力を気まぐれな季節変動程度にしか捉えていなかったように思う.しかし高垣・深山(TF)の小説は巨大な時間スケールの中で起こる神の「突然の降臨」を,起こりえない妄想ととしてではなく起こりうる危機ととして描いてみせる.それは時代を越えた筆者等の独自の世界観から必然的に生まれてきた問題意識ではなかろうか.独断を承知で以下にその特徴をスケッチしてみることにしよう.●開放系としての地球の拡張地球が物質,エネルギーの出入りがない閉鎖系であるといった断言..
太陽
symplexus
2010-04-30T23:15:47+09:00
1949年1月発刊;著者:高垣眸・深山百合太郎)は米国
ピッツバーグ郊外の第16原子力発電所の暴走,大爆発から物語は始まる.
時は1965年,著作の時点からみれば四半世紀先の未来ということになる.
このSFの読者層に入る僕等の小学校6年生(1952)時の記念写真.その内容を
ふりかえるとちょっとちぐはぐな感じがする.
原子炉の暴走と言えば,ヒューマン・エラーの積み重ねによる
1986年のチェルノブイリ原子力発電所4号炉・炉心溶融・爆発事故
を思い浮かべる方が多いのではなかろうか.しかし,「凍る地球」の場合
事故の原因は全く違う.ヒューマン・エラーが関係ないというわけでは
ないが,主たる原因は太陽黒点が急激に活動を始め,想像を絶する猛烈な
γ線,中性子バーストが地球を襲うというものであった.この異常太陽
活動はさらに1万トンの核燃料積載の貨物船の大爆発を誘発,珊瑚環礁を
瞬時に消滅させる.しかも,この核大爆発と太陽活動の相乗効果で電離層
に新層が形成され,ここを中心に合成されたアンモニアガスが地球に灼熱
地獄を招来,さらには生物の生育を助長する環境要因の激変で天文学的な
飛蝗の大集団が黒い雲となってアフリカからユーラシア大陸へと大移動を
開始するのだ.
http://www.jrp.gr.jp/modules/2007prize/index.php#p100
JRP2007年入賞作品;奨励賞 森住卓;20年目のチェルノブイリ.原発事故の傷跡は消えていない
この地球全体を舞台とした空前の環境危機と,それを迎え撃つ文明の
戦闘,敗北,崩壊の過程を追うことはこの短いコメントの趣旨ではない.
僕が震撼したのは,この60年前の少年SFの先鋭な問題意識である.
小学生の僕を含めて当時の大方は人間集団の善悪判定に忙しく,文明の
根底に厳然としてある大いなる自然の黙示録的力を気まぐれな季節変動
程度にしか捉えていなかったように思う.しかし高垣・深山(TF)の
小説は巨大な時間スケールの中で起こる神の「突然の降臨」を,起こり
えない妄想ととしてではなく起こりうる危機ととして描いてみせる.
それは時代を越えた筆者等の独自の世界観から必然的に生まれてきた問題
意識ではなかろうか.独断を承知で以下にその特徴をスケッチしてみる
ことにしよう.
●開放系としての地球の拡張
地球が物質,エネルギーの出入りがない閉鎖系であるといった断言は,
降り注ぐ日光を浴びれば子供でも容易に誤りを指摘できる.しかし開放系
の実体を狭く浅く捉えるのと,広く深く捉えるのとでは実相は全く異なっ
たものになるだろう.直感ではなく観測事実そのものは49年段階でどう
なっていたのだろうか.例えば目に見えない放射線のようなものを例にし
てみよう.
宇宙空間から飛来する高エネルギー放射線の存在については ビク
ター・フランツ・ヘスの気球を用いた先駆的研究がある.1900年代の初め,
宇宙からの放射線飛来については未だ大部分の科学者は懐疑的で有った.
地中に放射線を出す物質があることは広く確認されていたから,仮にそれ
が疑われる事実が有ったとしても,天空から来ることを証明しなくてはな
らない.
ヘスは気球で可能なかぎり上昇し,高高度で測定すればこの放射線由来
の問題を解決できると考えた.しかし,5000m以上の高度に無酸素で上昇す
ることなど狂気の沙汰だ.もし多くが信じていたように地上にその原因が
有るなら高度と共にその値は減少するだろう.この論理がヘスを行動にか
りたて宇宙線研究のさきがけとなった.放射線の値は高度にともなって増
大し,エネルギー流入源に宇宙線が加わることになったのである.
CERN,大型ハドロン衝突型加速器 (Large Hadron Collider、略称 LHC) .
陽子ビームは7TeVまで加速され正面衝突する.この14TeV(14兆eV)という値は
宇宙線の最高値に比べれば何桁も小さい.
現在測定されている宇宙線エネルギー値の最高値は10x一万京evという驚くべ
き値で,人類が生み出した加速器の粒子エネルギーのどれをも越えている.
こういった超高エネルギー粒子の影響があまり問題になっていないのは
到達量が少ないためと考えられるが,エネルギー値が低くなると共に地球
圏に達する量は急激に増大する.しかし,宇宙線はまっすぐ地上に到達す
るわけではない.銀河宇宙線に関して言えばこのエネルギーは二つのの要
因によって地上への影響が減じられていると考えられている.
一つは地球の分厚い大気の層で,γ線,X線,荷電粒子を含む宇宙線は大
気中で二次宇宙線を生じて勢いが分散する.あと一つは太陽からのプラズ
マ状態になった陽子や電子の流れ;太陽風のバリアー作用である.この太
陽風の粒子速度は秒速300~900kmで地球に吹きつけ,地球磁気圏と相互作
用する.実はこの太陽風はもっと大きなバリアー領域をもっていて,太陽
系全体を覆う境界面;ヘリオポーズにより星間風を最初にはじきとばすこ
とになるから,太陽風は地球にとって二重の障壁ということになろう.
今年NASAが公開した太陽の大フレア.黒点の減少の中でのこの大フレアは興味深い
身近な恒星;太陽,太陽系内の小惑星,太陽系外の星ぼしからのエネル
ギー,物質の流入は複雑,多様で地球環境を孤立的に分析することは出来
ない.太陽風をバリアーとしたが,この価値観を含んだ表現は太陽活動に
よってはバリアーどころか反対の攻撃要因に転化するであろう.太陽活動
が異常な活動を行えば,太陽からの高エネルギー粒子の流れそのものが地
球環境に激変をもたらすことになる.TFの物語の主役のひとつである高速
中性子線については,荷電粒子ではないので地球磁気圏のバリアー機能の
影響を受けないが,その実体につてはどの程度分かっているのだろうか.
太陽活動と中性子バーストにつぃて特化した観測を行っているのは世界
で日本だけである.東京大学宇宙線研究所乗鞍観測所を拠点として続けら
れている名古屋大学太陽地球環境研究所グループがそれであるが,高エネ
ルギー粒子加速の仕組みを解明するためにも,観測の継続・発展を期待し
たい.
http://shnet1.stelab.nagoya-u.ac.jp/~ymatsu/solarneutron/
TFの物語をSF特有の気ままな空想として退けることは簡単であるが,地
球外環境と地球環境を不可分なものとして考察する先駆的視点こそ重要で
あると思う.
2010年3月16日,甲府盆地は黄砂にすっぽりと包まれた.国境を越えておしよせる砂塵は
地球のシステム的把握の必要性を象徴するかのようである.
●変化を見るシステム的視点
TFの物語のタイトルは「凍る地球」である.しかし,上述したように物語
は太陽の異常活動をきっかけとした灼熱地獄で始まる.なぜ凍る地球なの
か.TFは物語中の浅井博士に次のように語らせている.
”では植物は無限に地上に繁茂するのでしょうか?いえいえ,そこにはま
た,新しい条件が発生します.地球上の炭酸ガスの総量には限度がありま
す.動植物の呼吸燃焼,火山活動等を考慮に入れたとしても,10万億トン
くらいであろうと推定されます.従って,ある年数がたてば,植物の異常
な繁茂のため,当然炭酸ガスが欠乏してくるでしょう.D層付近のアンモニ
ア層も,分子量が15ですから,窒素の12に比して重いため漸次下降してく
るでしょう.そして,一旦水蒸気に捕まれば,すぐ溶融しますから,ある
年月が経てば,アンモニア層も消滅しましょう.炭酸ガスとアンモニアの
減少は,何を意味しますか.これは気温の降下を意味します.・・・
従って,近い将来に,太陽特殊放射線も止み,D層の消滅ともなれば,空間
条件の変化に伴い,全盛をきわめていた植物は尽く枯死し,地球は猛烈な
寒冷に見まわれて,やがて地表を厚い氷雪が覆うに至るであろうと考えら
れます.”
93年型並列コンピュータConnection Machine-5.気候変動の解析には不可欠であるが課題は多い.
炭酸ガスの循環を工場&機械からの排出,拡散,分解,気圏,水圏,陸
地,動物,植物の代謝,等あらゆるパラメターを総合的に入力し,時間因
子を入れながら各観測地点での動態をシミュレートすることは,原理的に
不可能ではないにしてもきわめて困難な作業にちがいない.しかし,衛星
からの炭酸ガスモニターのような手法で,観測値としてマッピングするこ
とは今の技術でも空間分解能を問わなければ実現可能であろう.その結果
炭酸ガスの純増が認められたとしても,地球システムとしていかなる方策
をとるかには人間社会の価値観が入り込む.ヒト以外の動物や植物は環境
因子に直接的に対応し,生態学的構造を変えるが,これをどう受け取るか
は社会の価値観によって全く異なるにちがいない.しかし,強制力として
の環境因子はやがて人間にも有無を言わさぬ影響を発揮するようになる.
つまり”知恵”を持つ僕等人間は常に自然の中の動植物;アニマを足蹴に
して,一番最後からしぶしぶ変化に対応しようとするのであろう.
TFは科学・技術により,この悲劇を回避する努力を評価すると共に,自
然の圧倒的力を前に人間の営為が無力であり,悲劇が回避できないことを
も描き出す.そのことにこそ黙示録的意味が含まれているように思うのだ
が,冒頭TFの以下の一節を引用して,このメモを終わりにしたい.
”科学小説「凍る地球」を,私共が協力して読者諸君の前に贈ろうという,
真の目的は何でしょう.それは,明日の科学は,どの方向へ進むのかとい
う予言と明日の文化は,どうなくてはならないのか,という忠告とを含め
て,読者諸君の中から,只一人でもよいから,真正な大科学者を生みだし ,
人類文化の向上に寄与したいという考えから出発したのです.”
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●60年前の黙示録;少年少女SF「凍る地球」の警告(1)
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2010-03-25
人口問題や食料を含む資源・エネルギー危機,それに異常気象を重ねると今日の環境問題はその射程に殆どが入ってしまうが,文明批評を不可欠とするSFはどの程度深く,広くこの主題と取り組んで来たのであろうか.今はSFというよりは現実そのもので,既存科学の枠組を越えたシステム的視点が強調されるにしても,それはフィクションの世界ではない.しかし50年,60年前となるとどうだろうか.本年3月9日の大雪.この月の大雪の経験が無いわけではないが今冬の天候激変は異常 科学・技術は生活向上,ひいては社会発展の希望の星と大部分が前向きに受け取っていた時代である.SFの分野こそ多くの発言がなされてしかるべき時代で有った.にもかかわらず地球環境のようなグローバルな視点のSF作品は少なかったように思う. と言っても60年以上前というと僕は小学3,4年生である.大人向けSFなど読める歳ではないし,また本は戦後の紙不足で限られた数しか出版されていなかったはずだ.当時の僕等が夢中になっていた本は,少年少女向けの月刊雑誌で,この中にはSF的な内容のものも多数有った.その一つが「東光少年」である.この雑誌は昭和23年(1948)創刊の冒険活劇文庫(後に少年画報と改題)より一年後れて創刊されたが,小説中心で絵物語中心の他誌と性格を異にしていた.翌朝3月10日,多量の着雪で木々の枝がいたるところで道路に散乱していた 小学生の僕が雑誌を買ってもらえるかどうかは,その月の家の経済状態と交渉しだいで,冒険活劇文庫だけは定期購入していたので「凍る地球」の初登場については記憶が定かではない.ただ,太陽黒点異常による地球環境の激変がアフリカの大砂漠を消滅させ,大豪雨の連続で生態系が完全に崩壊,飛イナゴの大群が波濤のように欧州各地を襲う場面が強烈な印象として残った.松の木の中には倒れるものも有り電線によりかかって危険な状態が続いた.その後,引越しのどさくさで僕が大切にしていた雑誌,漫画の類は総て廃棄されてしまい,10年,20年と月日が経過するうちに通常の図書館でこの雑誌を見ることは不可能となって今に到っている.と,ここまで書いて終わりにしたらいかにも尻切れトンボであるが,1987年に少年小説体系のシリーズが三一書房より復刻されたことを報告しなくてはならない.その第五巻が高垣眸,急いで購入すると「凍る地球」のタイトルを見出すことが出来た.次回この物語の驚くべき内容につ..
太陽
symplexus
2010-03-25T22:27:39+09:00
重ねると今日の環境問題はその射程に殆どが入ってしまうが,
文明批評を不可欠とするSFはどの程度深く,広くこの主題と取り組んで
来たのであろうか.今はSFというよりは現実そのもので,既存科学の
枠組を越えたシステム的視点が強調されるにしても,それはフィクション
の世界ではない.しかし50年,60年前となるとどうだろうか.
本年3月9日の大雪.この月の大雪の経験が無いわけではないが今冬の天候激変は異常
科学・技術は生活向上,ひいては社会発展の希望の星と大部分が
前向きに受け取っていた時代である.SFの分野こそ多くの発言が
なされてしかるべき時代で有った.にもかかわらず地球環境のような
グローバルな視点のSF作品は少なかったように思う.
と言っても60年以上前というと僕は小学3,4年生である.大人向けSF
など読める歳ではないし,また本は戦後の紙不足で限られた数しか出版
されていなかったはずだ.当時の僕等が夢中になっていた本は,少年
少女向けの月刊雑誌で,この中にはSF的な内容のものも多数有った.
その一つが「東光少年」である.この雑誌は昭和23年(1948)創刊の
冒険活劇文庫(後に少年画報と改題)より一年後れて創刊されたが,
小説中心で絵物語中心の他誌と性格を異にしていた.
翌朝3月10日,多量の着雪で木々の枝がいたるところで道路に散乱していた
小学生の僕が雑誌を買ってもらえるかどうかは,その月の家の経済
状態と交渉しだいで,冒険活劇文庫だけは定期購入していたので
「凍る地球」の初登場については記憶が定かではない.ただ,太陽黒点
異常による地球環境の激変がアフリカの大砂漠を消滅させ,大豪雨
の連続で生態系が完全に崩壊,飛イナゴの大群が波濤のように欧州
各地を襲う場面が強烈な印象として残った.
松の木の中には倒れるものも有り電線によりかかって危険な状態が続いた.
その後,引越しのどさくさで僕が大切にしていた雑誌,漫画の類は総て
廃棄されてしまい,10年,20年と月日が経過するうちに通常の図書館で
この雑誌を見ることは不可能となって今に到っている.と,ここまで書いて
終わりにしたらいかにも尻切れトンボであるが,1987年に少年小説体系
のシリーズが三一書房より復刻されたことを報告しなくてはならない.
その第五巻が高垣眸,急いで購入すると「凍る地球」のタイトルを見出す
ことが出来た.次回この物語の驚くべき内容について触れてみたい.
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▲チョコレートとタマムシ(2):色素不在が生み出す極彩色
https://symplexus.blog.ss-blog.jp/2010-02-27
身体が透明になるSFとして有名なのがH.G.ウェルズの「透明人間」である.これではある秘薬を飲むと,網膜だけを赤く残して透明になってしまうという設定である.ヘモグロビンのような鉄錯体を含んだ赤いヘムタンパク質が無いと酸素運搬が出来ないのではと思ったりしてしまうが,筋肉部分に関してはどうだろう. トランスルーセントの名称がつけられた鑑賞魚がいて,これは筋肉部分が透明で骨格が透けて見えたりする.僕等の眼球の中のレンズはクリスタリンというタンパク質から出来ているが,この透明度は驚くほど高い.鶏卵の白身も透明だから,機能しているタンパク質の多くは白いゆで卵というよりはフグ刺の半透明に近いのだろうか. ともあれ色彩という面から見ると,透明になるほど固有の色素を持たないかぎり色を持つことはないと思いがちである.別の言葉で言うと,色というのはその物に含まれる「顕色材」しだいということになる.ところが自然界には極彩色でありながらそれが色素に由来しないものがいくらでもあるのだ. 去年の9月の或る日山道を散歩していたらタマムシの死骸がころがっていた.体軸にそった縦縞の絢爛さは息をのむばかりで,見る角度で色が変わる様子はDVDのディスクを見るようである.この色こそ,色素には由来しない色の典型例の一つである. 前回触れたように色素による色は白色光の中のある波長部分を吸収し,その補色部分の波長が色として感知されることに由来する.しかしタマムシの体色は光の干渉によるもので発色の担体であるクチクラ層表層膜に色素は存在しない.このタマムシ表層膜を透過型電子顕微鏡で観察すると18層の薄膜からなる構造体であるという.おそらくカナブンの緑も平滑な表層膜を持つに違いない.
色
symplexus
2010-02-27T21:24:56+09:00
「透明人間」である.これではある秘薬を飲むと,網膜だけを
赤く残して透明になってしまうという設定である.ヘモグロビン
のような鉄錯体を含んだ赤いヘムタンパク質が無いと酸素運搬
が出来ないのではと思ったりしてしまうが,筋肉部分に関して
はどうだろう.
トランスルーセントの名称がつけられた鑑賞魚がいて,これは
筋肉部分が透明で骨格が透けて見えたりする.僕等の眼球の中の
レンズはクリスタリンというタンパク質から出来ているが,この
透明度は驚くほど高い.鶏卵の白身も透明だから,機能している
タンパク質の多くは白いゆで卵というよりはフグ刺の半透明に
近いのだろうか.
ともあれ色彩という面から見ると,透明になるほど固有の
色素を持たないかぎり色を持つことはないと思いがちである.
別の言葉で言うと,色というのはその物に含まれる「顕色材」
しだいということになる.ところが自然界には極彩色でありながら
それが色素に由来しないものがいくらでもあるのだ.
去年の9月の或る日山道を散歩していたらタマムシの死骸が
ころがっていた.体軸にそった縦縞の絢爛さは息をのむばかりで,
見る角度で色が変わる様子はDVDのディスクを見るようである.
この色こそ,色素には由来しない色の典型例の一つである.
前回触れたように色素による色は白色光の中のある波長部分
を吸収し,その補色部分の波長が色として感知されることに
由来する.しかしタマムシの体色は光の干渉によるもので
発色の担体であるクチクラ層表層膜に色素は存在しない.この
タマムシ表層膜を透過型電子顕微鏡で観察すると18層の薄膜
からなる構造体であるという.おそらくカナブンの緑も平滑な
表層膜を持つに違いない.
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