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水についての小さなエピソード②シュトルム;「みずうみ」の深淵 [水]

●法律家&詩人&小説家シュトルムと言ってもなじみの無い方が多い
かもしれない.北ドイツの港町フーズムに生まれ19世紀の著名な
作家,日本では新潮文庫や岩波文庫等に翻訳されている「みずうみ」が
良く読まれているという.しかし,僕が最初に出会った作品はこの
「みずうみ」では無い.最後の小説で代表作とも評価される「白馬の騎者」
がそれで,小学校6年生の時だったと思う.なぜこの角川文庫「白馬の騎
者」(関 泰祐訳)という,いささか手に余る本を手にとる気になったの
か,思い出そうとしてもまったく記憶の底から浮かび上がってこないの
で,6年生という歳を考えれば冒険小説と勘違いしたのではないのか.

新田ため池昼1.jpeg
以前紹介した工房付近の溜池.シュトルムのImmenseは架空の湖であるが睡蓮からして池に近いのでは

●物語は北フリースラントの嵐の夜から始まる.語り手の私は自分の愛
馬の蹄も見えないような薄暮の中,宿を求めて凍えながらひたすら馬を
駆って堤防をひた走っていた.左手は荒涼たる湿地,右手は北海の荒波
が堤防をたたき続ける.不安が極点に達したかという時,彼の行く手か
ら半月に浮かぶ一つの黒い姿が近づいて来た.足の長いやせた白馬,
黒いマントを肩に翻した人,すれちがいざま燃える二つの眼,これは
何者か.私が宿にようやくたどり着いた時,この目撃談はたちまち宿の
客達の会話を凍らせてしまった.一人の小柄な老人がこうして「白馬の騎
者」;ハウケ・ハイエンの長い物語を語りだすのだ.非凡な才能を持つ少
年ハウケは長じて北海に面したこの低地の堤防監督官となった.旧堤防
の決壊の危険性を知る彼は新堤防の建設を決意し,それの実現に漕ぎ着
けるが,同時に個人的利害だけにとらわれた民衆の怨念や迷信をも新堤
防に閉じ込めることになる.そして10月の激しい嵐の襲来,つなみのよ
うな高潮と動揺する住民の怒声の中で旧堤防は決壊する.その濁流の中
には白馬の騎者;ハウケとその一家の姿も・・・.ということで老人の
話は終わるのだが,正義の壮絶な敗北の物語に6年生の僕はそれをどのよ
うに消化してよいのかとまどった.

新田ため池昼2.jpeg

●読書の衝撃というものは不思議なもので,シュトルムの名前はそれか
ら何年も記憶の引き出しに留まり,大学生になってから「みずうみ」と遭
遇することになる.ただし,このラインハルトとエリーザベトの実のら
なかった恋の物語にハウケのような壮大な悲劇性は無い.しかし,逆に
シュトルム個人の体験から見れば,切実さにおいてどうだろう.シュト
ルムの一生にはどこか怒りを含んだ静けさを感じるからだ.「白馬の騎
者」の語り手の老人は最後にこうつぶやく.「ー権力者や,頑固な悪僧を
聖者に祭り上げたり,有為な人間を,ただ少し並外れているからという
理由で,お化けや幽霊にしてしまったりするーそういうことはまだ毎日
おこなわれていますよ」と.これと同じ文脈でラインハルトの嘆きをみる
なら,それは”おかしなこと”がまかりとおることへの怒りだろう.母
の望みを優先して,幼い時からのラインハルトとの約束をエリーザベト
は裏切り,アルコール工場の跡継ぎと結婚したのだから.しかし,この
良くある通俗的エピソードに拘ったならシュトルムは凡庸な作家で終
わったにちがいないとも思う.

新田ため池夜.jpeg
写真を画像処理.青緑を増すとそのまま夜間の感じになる
●「みずうみ」で僕が最も魅かれたのは,プロットの妙ではなく,ライン
ハルトが行動の中で見せる森や湖との形而上学ともいえる深いかかわり
である.傷心のラインハルトが夕闇の湖に泳ぎだす一節を引用しよう.
「森は静かに,その黒い影を遠く湖上に投げていた.湖心のあたりには
おぼろな月の光があった.時おり木々の間にかすかなざわめきが聞こえ
る.風ではない.夏の夜の吐息なのだ.ラインハルトは岸で伝いに歩い
て行く.石を投げれば届きそうなところに白い睡蓮の花が一つ見える.
急に,その花の近くに行ってみたくなった.ラインハルトは服を脱ぎ捨
てて,水に入った」水は泳ぐほどの深さではないが突然深くなる.水面下
に沈んだ後,手足を動かして円を描きながら泳ぐ彼の目に寂しくさく睡
蓮の花が捉えられた.「彼は花を目がけてゆっくりと泳ぎ始めた.そして
時々水中から腕を上へあげてみた.したたり落ちる水の滴に月影が宿っ
ていた」しかし,睡蓮の花との距離は同じように見える.岸辺の輪郭がぼ
やけていくが彼はなおも泳ぎつづけ,ついに睡蓮の間近まで来た.
「白銀の花弁が月光の中にはっきりと見定められた.同時に網かなにかで
体が巻かれるような気がした.ぬらぬらする茎が水底からのび上がって,
彼の手足にからみついた.水は気味悪く黒々と拡がり,後ろの方では魚
の撥ねる音がした」(高橋 義孝訳,新潮文庫より).
 美しい光景の背後に死が見え隠れする.ゲーテの「旅人の夜の歌」もそ
うであるが,ドイツ文学の背景には有限な命を持つ人間,生き物と,そ
れをつつむ永遠なるものの相克が潜んでいるように思う.

新田ため池夜2B.jpg
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■水についての小さなエピソード;①手に触れる優しさとは違い [水]

●羊水を蹴って生まれたはずの僕がいつか水を恐れるように
なったのは何故だろうか.手に触れた最初の感触を思い出す
ことはできないが,魚網を片手にウグイを追って小川を
さかのぼった少年時代の記憶は恐怖とは逆の感覚で有った
と断言できる.指先に触れる流れは同じ水では無いという意味
では生きること,つまり,時間的な存在という意味では
微かな死の予感をはらむものではあるが,これは理屈である.
触れているのは理屈ではなく,水と同じくつかみどころの
無い僕と言う生命だ.理屈は現実を締め上げ,
感覚は現実から湧き上がる.

雨後の芝.jpeg
雨後の平凡なイネ科の植物.絢爛たる水滴のアクセサリーが光る

「夏の爽やかな夕,ほそ草をふみしだき,
ちくちくと稲穂の先で手をつつかれ,小路をゆこう.
夢みがちに踏む足の,一あしごとの新鮮さ.
帽子はなし,ふく風に髪をなぶらせて.」
   アルチュ―ル・ランボウ,サンサシオンより,     金子光晴訳,角川書店,詩集,p.10

●街の街燈は暗く,星空は今よりも明るかった時,水も
またいたるところで淀み,水溜りをつくりだしていた.
雷鳴と驟雨が終わると,雨上がりの広場には決まって
即席の池ができあがり,それは僕等の遊び場となった.
手に触れる水の感触,それは60%が水である僕等の
身体との親和性を物語っているのだろうか.いつのまにか
水溜りには無数のボウフラが踊り,やがて蚊が飛び立って
行く.ところが生命の揺籃としての水のイメージは
或る日突然砕け散った.身体が水にどっぷり沈んで
しまったのである.

研究棟入口冬霧朝.jpeg
無機質なコンクリートも水を得て鱗のようだ.

●小学2年生か3年生か忘れたが,時はまだ戦争が終わって
まもない頃だった.夏になると冷房など一切無いから,
耐え難い暑さをひたすら風通しの良い場所で耐えるしか
無かった.生水をがぶ飲みしたり,たまには自家製の
かき氷にありつける時もあったが,油断すると下痢が
待っている.そんな時の救世主が水遊びだった.
川は近場には流れていなかったので,父の知人の家族が
気を使って甲府駅北口近くにあるプールにさそって
くれたのである.喜んでついていくと,おびただしい
人の群れが歓声をあげながら水飛沫をあげているのが
目にとびこんできた.後で聞いたところそこはプール
ではなく,何か機関車のための貯水池だったらしい.
深さは思ったより深く,足は水を蹴るだけである.

新田溜池.jpeg
工房近くの貯水池.静まり返った水面が釣り人を誘う.

それまで一度も泳ぎをしたことのない僕は,プールの縁
にしがみついて足をばたつかせるのが精一杯だった.
くだんの家族もめんどうになったのか視界から消えて
しまった.と,その時,何者かが僕の両足をつかまえて
水中にひきずり込んだ.夢中でもがく頭上に水面が白く
光って見える.とっさのことで飲んだ水が腹の中に
なだれこむ.”苦しい”と思うが声にならない.
外の声は完全に消え,不快な音に囲まれる.もうだめ
かと思った時その手は僕の足を離した.もがく
僕の目の前にプールの縁が見えた.何事も無かった
かのような歓声.咳き込み,水を吐き出した僕の背に
ぎらぎらと夏の日差しが照りつけていた.
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