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■香りの内と外;物語と嗅覚 [香]

●高度に洗練された調香によって初めて成り立つ現代の香水は,
正確なことは知らないが化粧品市場でかなりの比率を占めている
のであろう.このよそよそしい表現は僕の直裁で粗野な生活と関係が
ある.要するに,僕の場合ココ・シャネルがいうところの「完成された
雄弁なコスチューム」などと無縁な生活に明け暮れているのだ.

●一方,現実世界から立ち昇る匂いに関しては香水を駆逐する
異様な力を感じる時がある.詩人;ヨシフ・ブロツキーの場合それは
”凍った藻の匂い”であったりする.
「その夜は強い風が吹いていた.なにに目を留めたというわけでもない
のに,突然恐ろしいほどの幸福感につつまれた.ぼくにとっては
『幸せ』と同じ意味をもつ,凍った藻の匂いを吸いこんだのだ.
ある人にとってそれは刈り取ったばかりの草,あるいは干し草の
匂いかもしれない.また別の人にとってはクリスマスの樅の木や
オレンジの香りかもしれない.ぼくにとってそれは凍った藻の匂いだ」
(ヴェネチア・水の迷宮の夢,ヨシフ・ブロツキー,金関寿夫訳,
集英社,1996,p.9)
この匂いにはもちろん調香師はいない.また匂いを装う人の意図
とも無縁である.そこにただ在る匂いが何故ある種の感覚を根底から
揺さぶるのか.

焚き火1114c.jpeg
完全に燃焼しきれない焚き火から立ち昇る煙は,形容しがたい匂いを辺りに放つ.

●匂いには一種の物語がつきまとうのではないかと思うときがある.
もちろん物語は匂いと併走し,匂いに融けることはない.それでは
その物語は完全に特定の匂いとは独立の偶発的な符号かというと
そうでもないように思う.この物語は抽象的物語であり,象徴であり
うるからだ.

「この世のどんな果実にも満足しない私の飢えは,
巧みに創り出された果実の欠如の中に,不易の風味を見出す.
例えば想う,人肌の香しい一つの肉の果実が輝き出るようにと.」
”マラルメ 詩と散文”,松室 三郎訳,筑摩書房,1987,p.34

●僕の場合,枯れ木や干し草が生の痕跡を失うときの匂い,つまり
焚き火から立ち昇る煙がブロツキーの凍った藻に相当するらしい.
傍らに誰か居るとか居ないとかとは関係ないから,ことさら思い出
を詮索しないことにしている.この焚くという行為はくだんの香と
深くかかわっているから面白い.香木の王者である沈香は,線香に
の主成分の一つである白檀などとは違い,熱をかけたり燃やしたり
して始めて強い芳香を放つようになる.木に閉じ込められていた
匂いの成分が熱によって大気中に解き放たれる,そこに何か物語り
を感じるのだろうか.無縁として文脈からはずしたシャネルno5に
もう一度戻ってみよう. 

線香の煙2.jpeg
線香の匂いの元は白檀やタブの樹皮が一般的であるが時に沈香にも由来する.

●ココ・シャネルのリクエストに応じて,すでに調合していた10の
創作品を直ちにココに試供できた調香師;エルネスト・ボー
( Ernest Beaux)は,その独創性として香りの持続を可能にした
アルデヒドの添加の革新性についてしばしば言及される.しかし,
ボーの独創性はそのような調香の技術に還元されるのだろうか.
ウェブを検索すると彼のno5の創意の根底に,かって軍属として
赴いた北欧の地での白夜と,そこかしこに点在する湖,咲き乱れる
花々が在ったとのコメントを発見した.引用ソースが不明のため
これが真実かどうか断言できないが,もしそうだとすれば香りと
視覚的イメージとのリンクがあらかじめボーの中に形成されていた
ことになる.

シャネル香水.jpeg
シャネルno5には黒が似合う.調香師の意図とココ・シャネルの美意識が共鳴したのだろうか.

●no5の香りを色で表現するなら黒と闇のなかのほのかな光だ.
香りについて鈍感な僕の印象だから,これは微妙な階調を区別しての
見解ではもちろんない.嗅覚と視覚のレシプロカルな戯言である.
悲劇的な最後を遂げた美しい女優が,夜毎no5の香りを纏って
眠りについたという話は良く知られた伝説であるが,この女性は
すでに眠りのなかで黄泉を旅していたとも言える.闇に魅せられた
人は狂気を生きているのだから.
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