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■音と見えない文様形成の起源; ①声の変容 [音]

●電話で話すのが苦手
 片時も携帯を手放せないのであろうか,歩行中も,自転車の運転中も
携帯を手にする姿を毎日のように目にする.テレビの報道画面にも臆せず
登場しているので,その類の人口は増えて来ているに違いない.携帯
登場以前にも電話で何時間も長電話をするグループは有った.有線で
あろうと無線で有ろうと,1:1の音声結合で会話が進行するこの形式は,
それにとりつかれた時には抜け出すことが困難な迷宮として働くのだろう.
 一方では僕のように通信手段と割り切って,最小限の時間で会話を
切り上げようとするグループがある.嫌悪というといささかきつすぎるが,
この完全に人工的に作られた会話空間に溶け込めないのだ.先達の
考察を聴いてみよう.
「フロイドはどうも電話が好きでなかったらしい.人の話を聞くのが大好き
だったあのフロイドがである.おそらくフロイドは,電話が常に不協和音
であること,そこから伝わってくるのが悪しき声,偽りのコミュニケーション
であることを,感じ,予見していたのであろう」(ロラン・バルト).

●何時でも,何処からでも,安く
フロイドの時代から電話はワイヤーの時代を経てワイヤレス;無線時代の
極限にまで達している.携帯は見えない強力な拘束の鎖で我々を捕らえて,
音信不通の自由空間でいつまでも遊ぶことを許さない.この産業活動の
必然とも言える激変を推し進めた一端は,我々の欲望そのものに起因する
ようにも見える.何時でも,何処からでも,望む相手と話したいという欲望と.
それが技術的に可能に成った今,必要とされるのは欲望の制限であって,
欲望の無制限な解放ではないという新時代が到来する.この自己否定の
動力学は重要ではあるが,自我の崩壊のメカニズムはとりあえず別に置く
ことにして,声としての本質的な意味に何か変容が起こっているのだろうか.

葡萄園・ 父.jpeg

●声は瞬時に誕生し,消える
古いアルバムの中に亡くなった父の写真を何枚か見つけた.それは職場での
謹厳な父であったり,また葡萄園の下で友人と談笑する父であったりするのだが,
くっきりと焦点が合ったイメージは不可解な静けさの中で奇妙な安定を得て
動こうとはしない.声が生きた者の特権であるとすれば死者は何をもって語ろうと
するのだろうか.現実を生きる者といえども,その声は生まれ出た瞬間に消滅する.
永遠という幻想が不動のものと不可分であるかぎり,そしてこの不動も幻想である
のだが,声は”不動”とは相容れないだろう.
「声を成立せしめているのは,その内にあって死すべきもの,そのことによって
わたしを引き裂くものである.声とは,たちまちにして記憶と化すもの,それ以外
にありようないものに思える」(ロラン・バルト).

波紋2.jpeg
周囲には農業用水用と思われる溜池がいくつか点在している.

瞬時に消える声は他者の脳のしかるべき位置に格納される.つまり死すべき
声は他者の脳の中でのみ蘇生するのだが,それは翻訳され意味を付加された
声であって,声そのものではない.会話というのはこうした延々と続く翻訳
の作業でもあるのだ.そこで声には高低,強度,速さ,テンポが当初から
必然的に加わった可能性がある.語ることとは,実は当初から歌うことを孕んで
いたというのは言いすぎだろうか.
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エア

再度作りました。宜しくお願い致します。
画像のブドウ園は巨峰のようですね。
うちでも40年余栽培していますが、今年で
終わりのようです。
「欲望の無制限な解放」
シュメール時代もいわれていましたが
そして中国を見てると三国志と変わらない世界。
会話も時には言霊になりえるような気もします。

by エア (2009-09-05 04:54) 

symplexus

>エアさん
 僕も何のブドウかと考えたのですが,
親父の服装を見ると秋の終わりみたいで,
 とすると甲州ブドウかもしれません.
  粒が今のようにそろっていないし,
   大きさも小ぶりみたいです.
そういえば巨峰の歴史は比較的浅いですね.
記憶をたどってみたいと思います.
 ありがとうございました.

 歴史は円環のように見えても
繰り返しはパロディーの場合も有ったりして・・.
 声の続きは音楽の起源についてでしょう.

by symplexus (2009-09-05 20:52) 

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