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森の近景 ①旅人の夜の歌から [森]

庭階段11月.jpeg
11月,工房はコナラの落葉で覆われる;雑木で一括されるコナラは里山の主役の一つである

 30歳を少し越えた青年ゲーテは ,1780年9月6日,イルメナウ近郊
キッケルハーン山に登り,その山小屋に一つの詩を鉛筆で書きとめた.
後に世界中で愛されるようになる「旅人の夜の歌」である.
ドイツの小学生でも多くが暗唱していると言われるこの詩であるが,
平易な表現であるにもかかわらず内容は御しやすいものではない.

Wanderers Nachtlied

Uber allen Gipfeln
Ist Ruh,
In allen Wipfeln
Spurest du
Kaum einen Hauch;
Die Vogelein schweigen im Walde.
Warte nur, balde
Ruhest du auch.

峰峰は
静まりかえる
木々の枝先もまた動く気配すらなく
小鳥達のさえずりは森に消えた
待つのだ しばし
おまえもまた安らぐだろう

タイトルからして「旅人の夜の歌」である.ヨーロッパ近代さきがけ
のキーワードの一つとも言えるゲーテだが,まるでそれを自己否定
するかのように,光の世紀である啓蒙思想も一挙に飛び越えて
中世に回帰したような気配すらある.実際には地質研究者としてゲーテが
暮れたばかりのキッケルハーン山の静寂に囲まれて,自らを旅人
と重ねて人生の終局を予言する,それが生きる現世の象徴とも
聴こえる小鳥たちの歌の終焉となって深いため息に収束しただけ
なのかもしれない.それにしても大学時代この詩に最初に遭遇した時の
驚きとは何だったのだろうか.得たいの知れない怪物のように黒々と静寂に
身を伏せる山稜,そして森!だからてっきりこの森は針葉樹の木立だと
思い込んでいた.それから何十年も月日が過ぎて毛羽立った間違い
だらけの知識もそぎ落とし,今この詩を前に考え込んでいる.
 暗闇に理性の 光を当てる,つまり啓蒙;The Enlightenmentは
全体的に観れば確かに西欧中世への決別で有ったかもしれない.
しかし中世は一挙に捨て去るべき暗黒の時代などではなかったことは
その後の歴史がしだいに明らかして行った.鋭敏なゲーテの感覚は
すでに30歳にして”それ”を視野に捉えていたのか.いや”それ”に
捕捉されていたのかのかもしれない.さて,この場合の”それ”とは何だろう.
鬱蒼とした森ではないのか.

ギャラリー全景11月jpg.jpeg
工房の庭木は自生していたコナラを生かしてデザインした

 この詩の中の何重にも重ねられた象徴の中心には森が有る.
その森がどのようなもので有ったのか,不勉強な僕は最近ようやく
その実相に関する有力なドキュメントを知ることができた.
故堀米庸三氏編「中世の森の中で」(河出書房新社,1975)を
再度読み直したからだ.特に僕が自分の思い込みを恥じたのは,
中世ヨーロッパの森林構成の中心が楢であるとの冒頭の指摘であった.
 正確に言うとヨーロッパナラ(欧州楢 ;学名Quercus robur )で,こ
れは落葉広葉樹である.これが属するコナラ属(学名:Quercus)には
常緑樹である樫が含まれるが,樫は南ヨーロッパを除いて他所には
ほとんど分布していない.これと対称的にナラの分布は北欧を除いた
ほぼヨーロッパ全域を覆い尽くしている.英語では前述した
コナラ属に対応する総称としてOakの語を用いているが,これには
とまどう方は多いのではないだろうか.Oakの日本語訳として樫の語を
翻訳界があててしまい,これが広く流布してしまったからだ.
 樫は日本ではコナラ属の常緑樹を指していて,落葉樹の楢は含まない.
このねじれはどこかで修正しないと混乱が拡大してしまうが,いずれにしても
落葉樹であるナラの森が中世ヨーロッパの風景の主役であったのだろう.
 このナラの旺盛な繁殖力は当時の技術力の限界もあり,前述した堀米編の
本によれば自然との調和を核とする自然観でな無く,押し寄せる森の大海
と戦うという現実を踏まえた極めて戦闘的な自然観を育む土台となった
のではないかという.

コナラ1.jpeg
コナラは手入れをしなくとも優に20mを超える樹長となる

 中世文化とゲーテの関連は一大テーマで,これを論じるためには
さらにゴシックのような巨大な思潮に言及せざるを得ないであろう.
しかし,ここではそのことに深入りするのが目的ではない.
森や林,それと日本の自然の中では独自の意義を有して来た”里山”が
人間にどのような影響を与えるのか,アートという窓から見たらどうなるのか,
そのことを次回から少し触れてみたい.
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chira

たくさんの緑があって、心がほっと落ち着くような、
素敵な所ですね。
by chira (2009-08-02 18:45) 

symplexus

>chiraさん
雨に煙る森も結構綺麗ですよ.
 でも,雑草の勢いには負けそう!
by symplexus (2009-08-02 22:28) 

エア

ヨーロッパの原風景と現在は違うようですが
まず人間が強く出る。それは自然を管理かもしれません。
日本の現状も同じような気もしますが、里山
昔は肥料他で機能していたと思いますが
今は微妙かなと思いますが、自然の恵みを頂くというか
調和の精神があると感じます。
次回楽しみです。

草刈大変です^^
by エア (2009-08-08 00:16) 

symplexus

>エアさん
 コメントありがとうございました.
僕もヨーロッパの現状は不勉強なうえ
 旅行も北米だけなので何も言えないのが残念.
  でも日本の場合は問題山積ですね.  
 
 森の中の,それも里山にいると,
  今の日本の現状が実感として分かる気がします.
 率直に考えていることを書きたいと思いますので
これからもよろしくお願いいたします.

by symplexus (2009-08-08 07:59) 

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