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森の近景②;プロローグとしての森の闇 [森]

 人類が採集・狩猟を生活の周縁において,定住と育成・栽培を専らとする
農業中心の生活に切り替えたのは今からどのくらい前のことだろうか.正確な
ことは分からないにしても,場所を限定しなければ8千年前とか一万年前とか
いう推察が多い.日本列島に限定すると米作農耕は弥生時代に始まるとの
主張が崩れてはいないから,定着農耕文化の開始は地球上の他の地域と
比較すると大幅に新しいものとなるのであろう.

ラズベリー.jpeg
工房の庭に植えたブルーベリーの実;今年は熟す寸前に小鳥が啄んでしまった.

 これに地球史的に見た森林の歴史を重ねてみると人類のさがのようなものが
浮かび上がって来る.未だ人間が自然の一角で謙虚な位置を占めて居た時,
王者である森と海は人類がなす原始的農業の営みを鷹揚に見逃して来たに
違いない.なぜなら最初の植物が5億年前に生じて以来,植物進化の流れは
止まることなく続き,ついに7000万年前には花を咲かせ種をつける20万種
(100万種との説もある)の被子植物の大群で地上の多くをを覆ったからだ.

フデリンドウ.jpeg
春になると周りではフデリンドウが花盛りとなる

 当時耕作地を拡大しようとする人類の前に立ちはだかったものは何で有った
のか,それは平均気温や雨量の違いにより一律ではなかったにしても,
少なくとも耕作可能地域に入るところでは眼前に波打つ広大な緑の壁が
圧倒的力を見せつけていたのではなかろうか.ここには”自然保護”の
弱々しい緑のイメージは片鱗もない.森は生き物を育み,その生き物によって
人間の生存を支えてくれる豊穣の場ではあったろう.しかし,森の気まぐれとも
見える食料資源としての木の実の豊作,不作の波は常にそれに依存して生きる
人々への無言の圧迫となったはずだ.
 当時の貧弱な草木管理の道具は,少々の油断でも恐るべき成長力で
おしよせる緑への恐怖を軽減することが出来なかったこともある.畏敬と
恐れとという視点から考えると恒常的闇の環境ということも有るだろう.
日没と共に照明の無い住居を漆黒の闇が包み,仰げばおよそ限界が
無いかに見える天空が底なしの湖底を覗き込むようなこ惑を投げかけた
に違いない.
 真の闇が何かについては一つの思い出が有る.小学生か中学生かは忘れたが,
未だ高度成長期に入る遥か前のことだったと思う.或る日バスに揺られて牧丘の
叔父のところに連れ立って行くことになった.夕暮れに甲府を出発したが,
バス停に降り立った時はすでに日はとっぷりと暮れていて,辺りは街燈だけが
冬の道路を寒々と照らしていた.そこから2,3kmのうねうね曲がった山道を
登ればすむことは知っていたが,途中叔父が近道をしようと言って先に
すたすたと歩き出した.道路から外れてあぜ道らしきところに出た時には
完全に夜の中に融けた叔父の姿を見失った.新月だろうか,
月明かりもなく空には星だけが鋭い光点を闇に穿て震えている.
足元が宙に浮いたようで一足ごとに自信が失せ,ついには歩みが
止まってしまった.「おい,ひさとこっちだ」思わぬ近くから叔父の声が
聴こえて来た.闇の中でさらに黒い闇を背負った叔父の姿が,
かろうじて見えた.縄文人の闇とはこれよりもさらに深い闇だったはずだ.

風とコナラ.jpeg
7月,風にゆれるコナラ

 彼等が聴いた音も,我々が中毒状態に陥っている時系列予想が
全く意外性の無い当たりの良い音楽などとは完全に異なっていたのだろう.
木立を切り裂く木枯らしの音に無常を感じるなどは遥か後のことで,
もろもろの象徴の圧というよりは現実の恐怖と連動してその恐怖の可能性を
想像により何十倍にも拡大する類のものであったと思う.21世紀のこの今でも,
例えば地響きを上げながら山を揺るがして押し寄せる山鳴りを聴きながら,
森林の只中で無防備のまま夜安眠することなど僕には論外の暴挙である.

ギャラリー・夕.jpeg
西日を受けるギャラリー入口

 森への畏敬はともあれこの地では定着を専らとし,稲作農耕で生きる文化に
軸足はいつごろか移された.それが縄文人を迫害・征服することによって
達成されたのか,それとも,豊穣な森からの恩恵を受けながらも,縄文人自らが
森のきまぐれを契機として,森からある距離を保とうとする衝動を現実のものと
したのか,さらには新たな稲作文化を武器とする侵入者と,森の民との複雑な
戦いによって方向付けられたのかは僕には分からないし,ここで論じようとする
課題でもない.問題は農耕のための耕作地が最初にいかにして確保され,
いかにして拡大していったのかということである.
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コメント 4

エア

縄文人の多様な土器には驚かされます。意外と豊かな
社会だったのかなぁとも想像します。
土器というか器を発明?したことは人類史にとり
輝くことだと思いますが「稲作農耕」これも革命的なことで
狩り等から解放され書いてあるように気候変動はあるにせよ
安定をもたらし、交易?朝鮮半島まで。
定着化、専門職(リーダー)等の明確化。
先祖の哺乳類は夜行性なのになぜか原生林、闇に
恐怖する。
by エア (2009-08-11 13:05) 

symplexus

>エアさん
 縄文時代についてはようやく
研究が本格化した段階なのかもしれませんね.
 例えば戦いというものが本当に無かったのかどうか,
  言葉はどのようなものだったのか,
 船を使った交易はどうだったのか,・・・疑問はつきません.
歴史を裏付ける証拠は少なく,
 その限られた証拠も残ることが
  極めて困難な時代であるにしても
 出来るだけ実相に基づいた理解をしてみたいのです.
特に彼等がどのような精神世界に有ったのか.
 これなど結局は現代人の知るところではないかもしれませんが
  その環境をまず想定できれば焦点が定まる可能性も出ます.
 重要なことは人間の生態学的地位の違いで,当時
森の帝王的地位を人間が占めていたのかどうか検討を要します.
 クマ,イノシシ,オオカミ(?)が跋扈する森の夜では,
  人間は大型哺乳類の一つにすぎなかったのかもしれません.
  

by symplexus (2009-08-11 23:34) 

moo

工房はご自分で建てたのですね。
symplexusさんの揺るぎない信念のようなものを
感じます。
ブルーべリーにフデリンドオウ…
風に押されながら散策している気分です^^)
by moo (2009-08-13 10:58) 

symplexus

>mooさん
 土地整備,建物,庭の設計,
それに施工の一部も苦しみつつ楽しみました.
 この間多くの職人や業者の好意に支えられての今日です.
年がら年中開拓者のような生活は続いていますが
近くを通りかかった時はどうぞご覧下さい.
by symplexus (2009-08-13 15:49) 

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