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●生き物と人間との戦争  ①メガ・ソーラーが来る [生き物]

■廃墟に生まれた新計画
工房のアクセス道路の途中に旧蚕業試験所がある.県総合農業試験所分室とし
て変身したのもつかのま,結局使われなくなった建物群を残したまま数年前
全面撤退してしまった.主を失った敷地内にはススキ・クズ等が生い茂り,放置さ
れた巨大な松のいくつかは次々と枯れて,荒涼たる風景が広がるようになってき
た.そこかしこにある入口には「立入禁止」の立て札や色あせた紙切れが神経質
に人の進入を拒んでいるがちょっと笑える.リラと散歩していたら,学生風の二人
連れに「ここは心霊スポットですか」と話しかけられたからだ.人気の無い廃屋な
んぞは胆試しぐらいにしか使われないのかもしれない.
 この旧蚕業試験所の跡地とそれを囲む里山についての現状については以前
このブログで少々書いたことがある.

http://symplexus.blog.so-net.ne.jp/2009-08-20

経済原理で動くのは旧蚕業試験所も里山も例外ではなく,やがて功利の標的
となった土地は動植物の悲鳴など無視して開発の重機が進軍するであろうという
かなり感情的な見通しであった.ところがこの2年前の予想さながらに,風景が一
変するような計画が10月に県から提起された.メガ・ソーラー計画である.

10月28日2011正門.jpeg
晩秋に撮影した旧蚕業試験所遠景.手前に見えるのはソメイヨシノと高いポプラ,黄色く色付いたプラタナス等

■山梨2011メガソーラー構想概略
2011年10月11日付けの県広報によると設置場所は甲斐市菖蒲沢 (旧蚕業試験
場.約13ヘクタール)と韮崎市大草町下條西割 (あけぼの医療福祉センター東
隣未利用地.約11ヘクタール)の2ヶ所の合計24ヘクタールを一括,メガ・ソー
ラー 公募民間事業所に提供するという.ただし伐木、伐根、除草は当初県が行う
が,その後の建設,設計,施工,事業運営については事業所がすべて責任を負
うと抜け目がない.想定出力は11メガワット,「地球温暖化対策のためクリーンエ
ネルギー活用を推進している」という山梨県の宣伝にもなるし,東京電力管内の
電力供給に貢献して今年のような節電騒ぎを回避する一助にもなる.それに固
定資産税は毎年確実に地元の収入となるというわけだ.スマート・グリッドのような
革新的配電システムをも視野に入れて,リスク覚悟で時代を切り開くといった類の
ものではない.いずれにしても公募の受付は始まったので11月末には参入業者
の最終結論が決まるのであろう.

4月10日桜2010.jpeg
本年4月に撮影した構内の桜.廃墟をあざ笑うかのように満開が美しい!

■脱原子力は賛成だが・・
原子力発電という悪魔的技術を考えれば,太陽光発電に力に入れることが賛成
であることは言うまでもないことである.その不安定性や”コスト”をあげつらう論調
が無いでもないが,どこまで総エネルギーの中の比率を高められるかは別として
太陽光発電はある意味技術の良心を問われるという面がある.予算が許すなら,
工房の屋根に設置も検討しようと考えてきた.しかし個人住宅と規模が比較にな
らないメガ・ソーラーとなると微かな不信感が頭をもたげるのはなぜだろうか.
おそらく工房が隣接する里山の現状がどうなるのかという不安と関係があるのだ
ろう.茅が岳の長い裾野に位置するこの地は,背後が多くの山稜連なる緩やかな
丘陵地である.蚕業試験場時代に植樹したと思われる多数のソメイヨシノの桜が
南斜面を縁取り,空に向かって聳え立つ巨大な4本のポプラやヒマラヤスギ,プラ
タナスが往時をしのばせている.幹周りが二抱えもありそうな構内の松やコナラは
開発時植生を一部残して構内を仕切る舗装道路の人工色を和らげようとしたの
だろう.主が去った無人の構内は当然ながらキツネやイノシシ,リス,フクロウに
とっては格好の出没場所となった.もっとも人には好まれないヤマカガシ,マムシ,
シマヘビの類も増えたし,オオスズメバチやキイロスズメバチも極普通の構成員
と成ったのだが.

10月15日アケビ2011.jpeg
エノキにからみついていたアケビの実.良く熟れておいしそうなのに未だぶらさがっていた.

■生き物 versus  鉄・コンクリート
しかし,ソーラー・パネルを20ヘクタール近くに敷き詰めるメガソーラーも,物理
的存在としては砂利とアスファルトで舗装した道路やコンクリートで土台を固めた
建物と大差ない.人間が己の物質的幸福のため生物生活圏に進入し,これを簒
奪,支配するという開発行為は何も内陸部メガ・ソーラーに始まったことでは無い
のだ.物質とエネルギーの時代で特徴付けられる近代では市街地の野生動物排
除は徹底し,一般的には迷い込んだ野生動物は容赦なく排除,殺戮されるように
なった.ヒトもまた動物の一員であるが,選ばれた神の選民のように人間と動物を
対峙させ,自らの動物性といかに向き合うかという哲学を不問に付してきたのが
近代の主流である.ヒト以外の動物に対する人間界の惨い仕打ちを「戦争」と形
容するのは事実の追認で有っても論外とは言えないだろう.もの言わぬ生物達は,
宣戦布告も無しにまるで無機質を扱うように生物達をなぎ倒し,根こそぎにしてい
く人間達の進軍を黙って耐える以外手が無かったように見える.だが僕自身は持
続可能な社会とか,環境負荷を減らすとかにはそれほど心を動かされないから環
境保護論者ではないのだろう.低次元の消費爆発やブレーキを失ったような経
済活動の反作用を直視すれば,このままの経済成長が成り立たなくなるのは当
たり前で軌道修正の論調は経済原理の範囲内の論理だと思う.

10月1日新道路2011.jpeg
試験場跡地に接近する建設途中の新道.左手には新田の溜池がありサギやカモが訪れる.

■価値観の落差
 それよりは,この地上で生を受けて生まれた生き物が,ヒトとその他でかくも異な
る価値観の対象になぜなるのか,その疑問が僕の頭の中に居座って出て行こうと
しないのだ.飢えて死に直面している百万の民のために,我々の一日分の米を
提供しようという呼びかけですら,一過性のアジテーションとして風化していくのが
常である.他の国の悲惨を見聞きしてもばかばかしい娯楽の類をあきらめようとし
ない自分がいるから,日々の生活を生きなくてはいけない僕等には偽善としか映
らないのだろう.人間界のことですらそうだから,動物達の悲劇など推して知るべ
しではないのか.そうではあるが,身近に目撃したキツネやイノシシの姿を想い出
すと,ここら辺で立ち止って考えたらどうかという声も微かに響いてくるから不思議
だ.

8月2日カブトムシ2011.jpeg
コナラの樹に群がるカブトムシ達.一見したところでは普通サイズに見える.本年8月2日撮影
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直itoh

 お元気でしょうか?ご無沙汰致しております。

 私のまちにも大手企業による「サスティナブル・スマート・タウン構想」なるものが進行中です。

by 直itoh (2011-12-04 03:20) 

symplexus

直さん

 こちらこそご無沙汰して恐縮です.

     ここに書いたように,工房の周りも
  一種の「都会化」の波に洗われて風景が一変しそうな気配,
あまり真剣に考えてこなかった動物達のことが気になっています.
 沈黙とか,敗北とか,暴力とかについてですが,
  何か無性に哀しい気分で・・・
by symplexus (2011-12-04 18:40) 

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