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●シンプレクサス工房に来た蝶達


 甲斐市メガソーラー建設による立木伐採によって,この地域の動植物相が激変したことについてはすでに何回も触れて来た.
 林業崩壊で荒れ放題となっていた里山はこの方針の前に全面降伏し,山は電力を生み出す工場と成った.開発から取り残された工房がささやかな避難場所となっているのだろうか,昨日は完全にこの地から消えたと思っていたオオムラサキのメスが樹液を求めて集まってきた.しかし,往時の数からすればとても復活とは言えない数だ.

オオムラサキ♀.jpeg

 樹液を出しているこの木はコナラの樹齢十数年の庭木で,なぜか今年枯枝が増大した病木を疑わせるものである.カシノナガキクイムシ寄生によるナラ菌による病状進行ではないことを祈るばかりであるが,来年のことは分からない.それに不吉なことはもう一つある.樹液を求めて集まって来た昆虫の中に不思議な蝶が加わっていた.最初は大旅行中のアサギマダラかと思ったが赤い斑点からアカホシゴマダラのように見える.しかしそうだとすると日本では奄美大島にしか生息しないはずだ.朝鮮半島や中国本土では普通に観られる蝶だから,これは在りえないことが起こっていることになる.

アカボシゴマダラ?.jpeg
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「僕の町の戦争と平和」番外詩編 [詩]

「僕の町の戦争と平和」番外詩編 志田寿人著

●祭り

透明な空に浸して
青く染め上げた繻子(しゅす)の布
白色チョークが半纏(はんてん)を描き
母が夜なべして縫い上げたのは
四歳の僕のための晴れ着だ
右袖を下左袖を上に羽織った
背には朱色の祭大紋
遠雷のように呼ぶ太鼓の音に誘われて
木戸を開ければもうそこには待ちかねた人々の群
そうだ,今日は年に一度の祭り
錆びついた心の汚れを洗い流し
逆上した大義の換わりに
この世の生気を取り戻す日だ

ああ,それにしてもこの貧しさはどうだろう

地上にしがみつく平屋の家々を覆うのは
そっくり返った灰色の板切れ
死んだ魚の鱗はやがて冷たい北風に引きはがされて
砂塵が渦巻く通りを転げまわるに違いない
わっしょい,わっしょいの掛け声と共に社を出た神輿は
数十軒の氏子を回るが,早くも担ぎ手達の声はかすれ
神輿を担ぐ行列の男達はやかんから渇きを潤す
それでも神輿の担ぎ棒に結ばれた赤い紐には
無数の子供たちの手,掛け声の響きを受けて揺れる
やがて神輿は800戸の町内の端,
緩やかな坂を上ると大通り中に消えた

祭り半纏サテン.jpeg

タグ:祭り神輿
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町の中のモザイク状水田とカエル達の大合唱

湯村温泉街のバス通りを北に進むと厄除け地蔵尊が 鎮座する塩沢寺がある.ここから西一帯にはかつて 水田が広がっていたが,宅地への転用が進み今では 水田と宅地とが複雑なモザイク模様を形づくっている. この付近を6月の今,日没を見計らって散歩すると 宵闇にカエルの大合唱が響き渡り,車の走行音も かき消されんばかりの迫力である. 湯村3丁目水田.jpeg そのカエルであるが,嘗ての主役はトノサマカエル であった.昭和の頃の水田には昼間でもトノサマカエル がそこかしこで跳ね回って,下校時に追い回した 記憶を持つ方も多いのではなかろうか.しかし, 独特のゲコゲコという鳴き声はもはや鳴き声の中から 判別することは難しい.この種の個体数は激減し, 今や絶滅危惧種に仲間入りしているという.吸盤を 持たない彼等にとってコンクリ―ト製の側溝は 這い上がることが難しい絶壁のようなものだろうか.  溺れるカエル達を追い越して登場してきたのが二ホン アマガエルである.このカエルは木登りも上手だから 道路で車に轢かれなければなんとか生き延びることは 可能なのだろう.日本には40種以上のカエルが棲み ついているらしいが,カエルの生態学的研究はあまり 多くはないように思う.都会の中の水田と庭木の減少は 彼らの生活を激変させていると思うのだが,今のところ アマガエル達の大合唱は夜中響き渡っている.

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●さようなら&こんにちは;2016年度工房カレンダーと年度始まりの雑感 [別れ]

■観照的環境の崩壊
現代の偉大なる政治思想家;ハンナ・アレント(Hannah Arendt 1906-1975)
はその代表著書の一つ「人間の条件」で近代における観照(静かにながめ
考えること)の凋落について次のように述べている.
 “おそらく,近代の諸発見が引き起こした精神的結果のうちで最も重要な
ものは〈観照的生活〉と〈活動的生活〉のヒエラルキーの順位が転倒した
ことであろう“と(人間の条件,ハンナ・アレント著,志水速雄訳,筑摩
学芸文庫,p.456).もちろん近代以前においてはあらゆる活動の終局点
ないしは停止点,つまり極点に驚きをともなった真理の観照を置いたので
あるから,順位転倒は観照の凋落を意味するものであった.現代に生きる
我々の時代を見れば,もはや普通の生活にとって観照は真理到達の不可欠の
過程でもなければ,それなしには不安で生きられないといった“生活必需品”
というわけでもない.自問自答を繰り返し,内的対話という思考過程の末
言語の停止する驚くべき観照状態に達するなどという“迷妄”を一体だれが
信じるというのだろうか.それどころか,内的対話という思考過程すら
知を生業とする人々には無用な過去の遺物とみなされているのではないかと
思う時がある.なぜなら,例えば森や木立の中で,喧騒から離れて立ち止まり,
あるいは逍遙するといったいわば“観照的空間”というものに全くと言って
いいほど時代の考慮が無いからだ.

LabR2012.jpeg
2012年晩秋,工房アクセス道路.甲斐メガソーラー発電基地建設の ための伐採直前で道沿いにはコナラやアカマツが並ぶ

■「最大多数の最大幸福」に征服されて行く里山
甲斐市メガソーラー発電基地の計画が有ることについてはすでに2011年
11月のこのブログで触れたが,それから2カ月もしないに内に伐採と整地の
動きが開始された.甲斐市北西部を東西に走る新道整備が急展開すると共に
旧蚕業試験所敷地内のアカマツ,コナラ,エノキ,ポプラ,サクラ,
プラタナス,ヒマラヤスギ等の木々は完全に一掃された.残された土地は
赤土がむき出しの更地となり,空爆を受けた戦場のような跡地には鏡のように
光るパネルが隙間無く並べられた.それが一段落した後,驚くべきことに
この広大な敷地を大幅に上回るようなメガソーラー大計画がどこからともなく
聞えて来た.その計画を先取りするように木立の伐採は堰を切ったように
進められ工房の周囲はあっという間に丸裸となった.今やさえぎるものも
なくなった荒地を走る八ヶ岳下ろしの烈風は大地を揺るがし工房の屋根を
一枚一枚と剥ぎ取って行く.“暴挙”というものは普遍的なものではなく
全く相対的なものだとつくづく嫌に成った.一軒の山奥の変人の工房など
多数の利益の前にどれほどの価値が有るのか!里山のキツネや野ウサギ,
タヌキ,イノシシ,キジ等の野鳥ども,それにちっぽけなシュンランや
スミレなど同様だろう.オオムラサキやカブトムシが生活のために何か
してくれたのか.保護を云々するのなら,マムシやヤマカガシ,ムカデや
ヒキガエルを家に入れて仲良く暮らしたらいい,といった功利の“正論”
はいたるところに溢れているのだ.

cutdown.jpeg
20 13年1月から旧蚕業試験場跡地の徹底した伐採が開始された. パネルへの日照に影響が少ないと思われる木々でも大小を問わず容赦なく 切り倒された.

panelbase.jpeg
蚕業試験場跡地に建設途中のパネル設置台.見る人によっては 死んでいった動植物の墓名碑のように見えるかもしれない.

■そこは冬,静かに雪が降っていた
2016年度のカレンダーは2008年1月22日の工房本部ログハウス
周辺の風景である.アカマツやコナラに囲まれたその時の工房はひらひらと
舞い落ちる雪の中で静まりかえっていた.やがて来るであろう狂乱の開発
騒ぎなど知らないかのような静寂の風景,それは後になると狂おしいほどの
ノスタルジアとなって僕を苦しめる.ノスタルジアとは一種の精神の病理
ではないかと思う.

    とうとう見つかったよ.
    何がさ?永遠というもの.
    没陽といっしょに,
    去ってしまった海のことだ     ランボー全集,永遠,p.111
金子光晴訳,雪華社,1988

2016カレンダーWeb.jpeg
2016年度のカレンダー.周辺が伐採される前の工房本部と研究棟 の周りには鳥たちの囀りが木々に木霊していた.
同じ川の流れには入れないと言ったギリシャ人は今の瞬間の水の感触
だけを信じたのであろう.近代人は客観を総て自己のなかにとりこみ,
疑うことのできない自我だけに安息を求めている.まるで存在の虚無
がそれですべて解決したかのように.ところで僕は僕自身の拠って立つ
位置をどこに置いているのだろうか?

DSCF0251.jpeg
メガソーラー計画の拡大とともに伐採は工房周囲全体にせまって来た. 遮る木立を失った山には烈風が吹き抜け動物達の姿も見られなくなった.

■2015年の身辺雑事とか
7月には母が他界した.享年100歳の終わりの2年はグループ・ホーム
と医療型施設でのケアでは有ったが,ほとんど毎日女房か僕のいずれかが
訪問していたので状況をしかたがないことと受け止めていたように
思う.進行する認知症の薄明の中で“死ぬわけにもいかない”不条理
をしきりに嘆いていたが,最後はこの世の苦しみを総て吐き出すように
呼吸して旅立って逝った.父亡き後の30年,最初は小さなタバコ屋を
維持させての自立した生活が90歳を過ぎてからは思うに任せなくなり,
自宅での老老介護という本人としても不本意な選択となってしまった.
その中で,いつも母が舞い戻っていったのが故郷,牧丘の青春時代の
思い出だったというのが母の実像を解読するきっかけとなった.
ここに一枚の古ぼけたセピア色の写真がある.山梨高等女学校の
卒業記念写真だと母から聞いていたが,そこでの生き生きした
母の表情は戦後間もない時に毎日目にした生活に疲れ,戦う母の
表情とは重ならないことに驚かされる.

MiyokoHighSch.jpeg
向かって左端が十代後半の母,それからすぐに結婚することになるが 当時琴ばかり弾いていた母からは生活臭といったものが全く感じられないのが面白い

 葬儀を近親者だけですませ,残務処理のごたごたで疲れていた
10月にはボルゾイのリラが急死してしまった.食欲がなくなって
から僅か3日目に僕等の視界から消えてしまったのだ.前日の夜
工房の庭を何周も散歩しているうちに何か言い知れない不安にとり
憑かれたが,翌朝には硬く冷え切って工房の床に伏せていた.
せめてもの慰めは前夜工房の庭から眼下の夜景を見ながら,身を
寄せるようにして「ありがとう,リラ.ありがとうね.
いっぱいありがとう!」と別れを告げることができたことだろうか.
母やリラについてはまた時をあらため別に書いてみたいと思う.

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元気いっぱいの時のリラ.長い足を生かし,まるで馬が走るように 優雅に走る姿に驚かされた.

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そのリラも冥界に消えた.この世との境にはどのような花が咲き誇って いるのだろうか.
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●ティツィアーノ;「ニンフと牧人」をめぐって [絵画制作と絵画論]

■ウィーン美術史美術館に所蔵されている「ニンフと牧人」はイタリア盛期ルネサンスを代表する一人;ティツィアーノ・ヴェチェッリオ最晩年の作品である.百歳近くまで生きた画家が亡くなる数ヶ月前に制作したと言われているが,死後アトリエに残されたままになっていたこの作品は注文によるものではなかったのであろう.生前,ヴェネツィアはもとよりヨーロッパ各地にまでティツィアーノの名声は及んでいたが,その名声を支えていたのは聖職者や貴族,それに有力な君主を顧客とした例えばフラーリ聖堂の「聖母被昇天」のような作品群である.「ニンフと牧人」はそのような作品では無い.ここでは最後の絵画的メッセージという形でティツィアーノは自分自身の思想を語っているように見える.
 暮色か,日没後の夜か定かではない暗い森の遠景には一本の枯木が枝を落としてそびえ立ち,そこにはおそらく鹿と思われる一匹の動物が足をかけて起立している.近景には一人の若い牧人,2本の手には奏ずるのでもなく笛が握られ,凝視を受けるニンフは見事な裸身のまま背を向けて動こうとしない.

ニンフと牧人s.jpg
ニンフと牧人;1876?,ウィーン,美術史美術館,150X180cm

■僕がこの絵の複製画を最初に目にしたのは平凡社が1959年に発行した世界名画全集第5巻;“イタリア・ルネサンスの展開”の中の一ページである.平凡社は全36巻の「世界美術全集 」を1927~1930にかけて刊行しているが,これは1960年代に始まる美術全集ブームのさきがけとなった第2次「世界美術全集 」の方で,大学一年時に仙台の本屋の店頭で見かけて購入した.しかし,同じ頃に発行された講談社,「世界美術体系」や後の小学館「原色世界の美術」等の豪華本にくらべて印刷の質は低く,版もB5と貧弱で,視覚的な強烈さから言えば「ニンフと牧人」が50年以上もその印象を継続したことが奇妙にも思える.事実,イタリア・ルネサンス期の画家で圧倒的に魅せられたのはダビンチとミケランジェロでティツィアーノはどちらかというと素通りするような画家のタイプに属していたことを告白しなければならない.しかし歳とともにこの作品と直に対面したいというこれまた奇妙な欲求が頭をもたげて来て,昨年友人がウィーンに留学した機会にこの作品の美術館所蔵を確認してもらった.「ニンフと牧人」は確かにウィーン美術史美術館の一角で静かに生きていた!

枯木と鹿.jpeg
画面向かって右上の枯木と鹿らしき動物

■なぜ自分はこの作品に魅せられるのかという謎を解明すべく僕自身が大学教養部時代に試みたのは,作品が包含するものを感じるまま別の作品に転位して表現することであった.サイズとしてF120号(194x130cm)のキャンバスを張り,油絵具で一気に描き上げたのは2年生の夏だったと思う.登場人物は男性二人,女性一人の合計三人で全員着衣,場面は草原,奇妙なことに夜の背景には巨大なアンドロメダ大星雲が半ば昇ってくるという現実とは一瞥すると無関係な情景であった.
この自作の油絵は同時期の他の作品と同様失敗作ということで焼却処分してしまい,その写真記録も残っていないので記憶をたどるしかないが,色彩もデッサンもはっきりと覚えている.全体として深緑の闇に
沈む緩やかな丘の斜面で二人の若い男女が何やら草原の上で緩やかに語っている.それは主張しているようでも有るし,またそうでない様にも見える.議論というよりは語ることの中に沈積している二人,だが3人目の若い男は二人とは無関係のまま天空に上るペール・イエローの大星雲を見上げて凍り付いている.青年の髪の毛が揺れる.風に乗る哲学的な会話.自転する大地.季節は秋も終わりだろうか.

 
■「ニンフと牧人」の中の性的なメッセージを僕自身は本質的なものとみなしていなかったことは確かである.むしろこのニンフと牧人との間の関連を,ある種の普遍的な関連,世界における人間のありようとして受け止めていたように思う.しかしそれではなぜ夜なのか?朝に始まる覚醒と活動こそ人間らしさそのものではないのか.
朝日を浴びながら忙しく新聞に目を通し,眠気覚ましに熱いコーヒーをすする.通勤の電車やバスから一斉に吐き出される人々,何かに押されるように足早に歩く無数の足音,いたる所で響き渡る騒音,昼こそ人間の欲望が紡ぎだす世界そのものだ.夢と言ってもよい.しかし,そこにこそ人間の原罪,思考の停止の源流が有るという考えも成り立つのだ.夜を選択することにより僕はむしろこの異論の方に傾斜していたように思う.

■それから半世紀以上が過ぎた.忘れていた記憶が再び生命を得て封印から飛び出したのは,全く予想もしていなかった課題の探査と交差したからである.その課題とは「ヒトと動物」というアポリアに満ちた領域と関係がある.しかし,この課題そのものを論ずることは今回のブログでは無謀過ぎる.この小論ではただ「ニンフと牧人」というティツィアーノ・ヴェチェッリオ最晩年の作品が,アガンベンという現代を代表する思想家の一人にとって如何なる意味を持ちえたのかについてのみ触れて見たいと思う.
 ジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben)は1942年生まれのイタリアの思想家である.哲学や言語について圧倒的な文献の引用から学究の徒を予想するものはおそらく裏切られるだろう.彼は社会的関心が強い問題,特に政治思想に果敢に挑戦している代表的哲学者の一人である.その彼が2002年「開かれ」というタイトルのモノグラフを世に出した.“「開かれ」―人間と動物;ジョルジョ・アガンベン著,岡田温司,多賀健太郎訳,平凡社,2011”

■本書は全体が比較的短い20章から構成されていて,各々の章は独立した内容というよりは山脈のように連なりつつ無数の入り組んだ登山道が最終20章に向けて結び合わされる構成となっている.「ニンフと牧人」はこの第19章“無為”の劈頭に登場し,19章全体で終始決定的な役割を果たしつつ第20章“存在の外で”に引き継がれて行く.とすれば19章もまた先行する章との関連でしか理解できないということに成るが,それでは全体を紹介することになってしまう.粗雑を承知で,この“無為”な絵画の意味の解読をアガンベンに沿ってたどることにしたらどうなるのだろう.そもそもこの一読して不可解な“無為”の語がなぜここに登場してこなくてはいけないのか.アガンベンは系統発生的な語の解説を一切していないが,訳者が註で詳細に解説しているようにそれはジャン・リュック・ナンシーによる1983年の著書;「無為の共同体」とそれに呼応して出されたモーリス・ブランショによる「明かしえぬ共同体」を踏まえたものであろう.ナンシーはその大著「無為の共同体」を次のように切り出す.“現代世界に関する証言のうち最も重要で最も苦痛にみちたもの,いかなる命令あるいは必然性によってなのかわからないが(というのも,われわれはまた歴史という思考の涸渇をも確認しているからだ),ともかくこの時代が果たすべきものとして負わされたさまざまな証言のうちで,おそらく他のいっさいを包括しているもの,それは共同体の崩壊,解体,あるいはその焚滅をめぐる証言である”と(「無為の共同体」,西谷修・安原伸一朗訳,2001,以文社).ブランショもまたこう繰り返す.“共産主義,共同体,といった用語は,歴史が,そして歴史の壮大な誤算が,破産と言うをはるかに超えたある厄災を背景にしてそれらを私たちに認識させる限りで,まさしく一定の意味を帯びた用語である”と(「明かしえぬ共同体」,西村修訳,1997,筑摩書房).彼らが一様に搾り出す言葉の背景は状況であり,歴史にあるのだ.ナンシーもブランショも,それでも必死でまさに滅びようようとしている共同体の汚濁の中から捨て去ることの出来ないものを掬い取ろうとする.その中心に位置する言葉の一つが“無為”ということになる.

■無為は無為徒食などと組み合わされて,何もしないでいることが文字通りの意味となる.彼等の主張をなぞってみると,この意味と関係がないまったく別の方向性を模索しているというよりは,むしろそれを日常次元まで徹底しようとしているようにも見える.つまり,日常活動での“営み”に吸収されてしまいそうな“行為”を“営み”から分節し,それをより根源的な視点から構築しなおすということである.例えばブランショは書くという行為が,生産的な営みととられがちな執筆行為とは等価でないこと,それどころか行為として書かれた“作品”は真実もなければ現実性もなく,労働の真面目さもない能動的行為の産物として,営みがめざす作品から逸脱し,自身を解体しつつ言語自体を作品から自由にすると主張する.ナンシーはさらに人間の死が人間の死であるかぎり共同体を前提とするとして,デカルト的個人の死の不可能性を共同体の根底にすえようとする.国家,民族,神話等に結局はとりこまれてしまうような昼の活動,労働や合目的な組織化としての営みから徹底的に逸脱し,行為の原型から人間の生と言葉を救済するというこの“無為”の戦略はアガンベンではどのように展開されるのだろうか.
 もう一度「ニンフと牧人」の二人に帰ってみよう.「消耗した官能性と物静かな寂寞感とが同居した雰囲気の漂う,この謎めいた道徳的=精神的風景を前にして,数々の研究者たちは当惑を隠しきれないし,どの説明も納得のいくようなものではない」とアガンベンは指摘しつつ,暗にそれらの説の中でゆらゆらと揺らめく恋人たちの神秘的高揚という前提そのものに疑いの目を向けようとする.「気持ちの冷めた恋人同士」(Panofsky)や「エデンの園を喪失してしまった」(Dundas)という表現は高揚の陰画として存在しうるのであろう.しかし,アガンベンはこの二人の覚醒,神秘からの覚醒,互いの神秘の不在から生まれる無活動;無為こそナンシーやブランショの無為の共同体につながるものと期待しているように見える.しかし書くという行為によって救済されるとされたのは言葉と人間の生であった.恋人たちの互いの神秘からの覚醒からは何がもたらされるのか.それは人間的でも動物的でもない新たな至福の生,ハイデガーが真理の特性として言及してきた隠蔽と露顕,むしろそれの彼岸にある至高の段階だとアガンベンは結論づけている.

■「ニンフと牧人」で僕が見たのは無為の会話の世界,つまり昼の営みとしての会話ではなく昼の活動が終わるときに始まる行為としての会話であった.この背景には人間の終焉という宇宙の劇場が回転していなくてはならない.救済されるのは歌だろうか,それとも言葉とか,しぐさとか,瞑想とか,身振りだろうか.確実に言えることは国家とか,民族とか,神話とか,幸福な生活とかではないことだ.その具体的イメージを復活すべきかどうか僕は今迷いの中にある.

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■生き物と人間との戦争 ②山成す白骨;北米バイソンの悲劇 [生き物]

●一枚の写真が語るもの;計量される死
ここに一枚の写真がある.撮影は1870年代中頃,肥料として使用されるの
を待つアメリカン・バイソン頭蓋骨の山だ.頭骨を手にし,足を置き,誇らし
げにポーズを取る二人の人物にいささかの感傷も無い.むしろ戦利品を手
にした勝利者が示すありふれた姿のようにも見える.

BisonSkullPile.jpeg
Photograph from the mid-1870s of a pile of American bison skulls waiting to be ground for fertilizer. Wikipedia(Englishi) 

一人の人間の死は,それがどのような死であれ,臨む人間にとって厳粛
な苦痛の瞬間であると思う.そして,もしそれが我々に類縁の動物であっ
たとしても,何ほどかの苦渋の痕跡を消し去ることは不可能だ.しかし戦場
では死は数として計数される.要するに死は足し算され,その効果が演出
されうることが示される.19世紀ロシアの画家,ヴァシーリー・ヴェレシ
チャーギンはバイソンの頭蓋骨ではなく,ヒトの山成す頭蓋骨でそれを描
いてみせた(戦争崇拝;額縁には「過去、現在、及び未来の全ての偉大な
侵略者に捧ぐ」が刻まれている).ただし,画家の眼差しには多くの悲しみ
と苦痛が秘められ,戦争勝者への一片の礼賛もない.この批判精神の地
平に連なる21世紀は反省の世紀なのだ.

300px-Apotheosis.jpg
Vasily Vasilyevich Vereshchagin (1842~1904), The Apotheosis of War,Tretyakov Gallery.Wikipedia(Englishi)

ヨーロッパから移民がおしよせる以前の北米大陸には6000万頭以上バイ
ソン(しばしばバッファローとも呼称される)が草原生物群集の一部を形成
していた.この草原の複雑な動物ネットワークが,近代という時代を生きる
人間の侵入によりずたずたに引き裂かれ崩壊したこと,この人類史に残る
環境破壊の惨劇を否定する生態学者はいない.中でもバイソンに加えら
れた過酷な仕打ちは「ヒトと動物」の関連を考える上で忘れてはいけない
事実として記憶に留めておく必要がある.

●ゲームとしてのバイソン殺戮
コロンブスがハイチに到着した1500年前後,北米バイソンの棲息分布はど
うなっていたのだろうか.出典は明らかではないがピーター・ファーブによ
ると東部ニューヨークから西のオレゴン,北部カナダから南部メキシコの全
平野部を覆い尽くしていたという(ライフ/ネーチュア ライブラリー,生態,
坂口勝美訳,1971, p.149).ところがこの北米大陸の一大生息地域は,欧
州からの移民と共に激減し,ついに1906年までには初期分布からは点状
にしかみえないようなほんの小地域に縮小してしまう(イエローストーン公
園内とカナダのアタバスカ湖付近).一体この間何が起こったのか.白人
の渡来以前に土着のネイティブ・アメリカン(通称アメリカ・インデアン)に
よってもバイソンは好んで狩の対象とされて来たが,これはバイソンが衣食
住や交換商品としていかに有用だったかを考えればある程度理解できる.

BisonFight.jpg
Two bison are fighting in Grand Teton National Park,Wikipedia(Englishi)

馬の登場はこれを加速させたが,それでも平均年間狩猟頭数は25万頭程
度だったという.鉄道を敷設し,銃を携えた白人達はこのバイソン狩を絶滅
戦に変貌させた.食料や毛皮といった1800年代初期の実用的目的を超え
て,殺戮そのものが自己目的化したかのような後期のエピソードは人間の
暗部を露呈して暗澹たる気分に叩き込まれてしまう.車窓からバイソンを撃
ちまくるという狩猟特別列車の企画など,いかなる理屈でこれを受け止め
たらよいのだろうか.沿線でその犠牲となってのたうち,うめく無数の血ま
みれのバイソンの姿を楽しむこと,このことに何らの制御も働かなかったの
は他でもない我が同胞;ホモ・サピエンスである.

●誰の生活圏を破壊するのか?
ともあれ合衆国では1894年,総数20頭という現実を前にして初めて罰則を
伴なう厳しい保護政策が制定され,バイソンは絶滅をかろうじて免れた.し
かし,このバイソン激減の傷跡はバイソンという大型草原草食動物一種だ
けに限定されたものではない.北米草原にはバイソンに代わり牛や羊が放
たれたが,これらを襲うという理由で「害獣」としてオオカミ等の肉食獣は容
赦なく「駆除」された.毒餌は普通の駆除手段であり,死んだ肉食獣を啄
ばんだ鳥達も犠牲となった.その結果それまで脇役に甘んじていた昆虫
や小型げっ歯類の数が増大することにより,膨大な数の家畜とあいまって
草原はその豊かな相貌を一変させた.19世紀初期の北米広域植生がどう
なっていたのか調べたことは無いが,バイソン生息域と対比させればそこ
が砂漠の範疇に入らなかったことは容易に推察できる.

TexasR62a.jpg
エル・パソからカールスバッドに到るR62/180沿の一景.砂漠と言っても語 弊がないような荒涼たる平原が広がる

しかし,砂漠化の世界地図は驚くべき現状を鮮やかに色分けして見せる.
北米西部平野部の少なからぬ地域が急速にその土地の豊かさを失い
つつあるのだ.

砂漠化世界地図.jpeg

激減したバイソンがかっての繁栄を取り戻すことは決して無いだろう.それ
は我々人類の営為が,時代そのものを総体として逆走させることが出来な
いことと関係がある.もっと端的に言うなら,バイソン自体が生きるための環
境を我々人間が破壊してしまったからだ.
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●生き物と人間との戦争  ①メガ・ソーラーが来る [生き物]

■廃墟に生まれた新計画
工房のアクセス道路の途中に旧蚕業試験所がある.県総合農業試験所分室とし
て変身したのもつかのま,結局使われなくなった建物群を残したまま数年前
全面撤退してしまった.主を失った敷地内にはススキ・クズ等が生い茂り,放置さ
れた巨大な松のいくつかは次々と枯れて,荒涼たる風景が広がるようになってき
た.そこかしこにある入口には「立入禁止」の立て札や色あせた紙切れが神経質
に人の進入を拒んでいるがちょっと笑える.リラと散歩していたら,学生風の二人
連れに「ここは心霊スポットですか」と話しかけられたからだ.人気の無い廃屋な
んぞは胆試しぐらいにしか使われないのかもしれない.
 この旧蚕業試験所の跡地とそれを囲む里山についての現状については以前
このブログで少々書いたことがある.

http://symplexus.blog.so-net.ne.jp/2009-08-20

経済原理で動くのは旧蚕業試験所も里山も例外ではなく,やがて功利の標的
となった土地は動植物の悲鳴など無視して開発の重機が進軍するであろうという
かなり感情的な見通しであった.ところがこの2年前の予想さながらに,風景が一
変するような計画が10月に県から提起された.メガ・ソーラー計画である.

10月28日2011正門.jpeg
晩秋に撮影した旧蚕業試験所遠景.手前に見えるのはソメイヨシノと高いポプラ,黄色く色付いたプラタナス等

■山梨2011メガソーラー構想概略
2011年10月11日付けの県広報によると設置場所は甲斐市菖蒲沢 (旧蚕業試験
場.約13ヘクタール)と韮崎市大草町下條西割 (あけぼの医療福祉センター東
隣未利用地.約11ヘクタール)の2ヶ所の合計24ヘクタールを一括,メガ・ソー
ラー 公募民間事業所に提供するという.ただし伐木、伐根、除草は当初県が行う
が,その後の建設,設計,施工,事業運営については事業所がすべて責任を負
うと抜け目がない.想定出力は11メガワット,「地球温暖化対策のためクリーンエ
ネルギー活用を推進している」という山梨県の宣伝にもなるし,東京電力管内の
電力供給に貢献して今年のような節電騒ぎを回避する一助にもなる.それに固
定資産税は毎年確実に地元の収入となるというわけだ.スマート・グリッドのような
革新的配電システムをも視野に入れて,リスク覚悟で時代を切り開くといった類の
ものではない.いずれにしても公募の受付は始まったので11月末には参入業者
の最終結論が決まるのであろう.

4月10日桜2010.jpeg
本年4月に撮影した構内の桜.廃墟をあざ笑うかのように満開が美しい!

■脱原子力は賛成だが・・
原子力発電という悪魔的技術を考えれば,太陽光発電に力に入れることが賛成
であることは言うまでもないことである.その不安定性や”コスト”をあげつらう論調
が無いでもないが,どこまで総エネルギーの中の比率を高められるかは別として
太陽光発電はある意味技術の良心を問われるという面がある.予算が許すなら,
工房の屋根に設置も検討しようと考えてきた.しかし個人住宅と規模が比較にな
らないメガ・ソーラーとなると微かな不信感が頭をもたげるのはなぜだろうか.
おそらく工房が隣接する里山の現状がどうなるのかという不安と関係があるのだ
ろう.茅が岳の長い裾野に位置するこの地は,背後が多くの山稜連なる緩やかな
丘陵地である.蚕業試験場時代に植樹したと思われる多数のソメイヨシノの桜が
南斜面を縁取り,空に向かって聳え立つ巨大な4本のポプラやヒマラヤスギ,プラ
タナスが往時をしのばせている.幹周りが二抱えもありそうな構内の松やコナラは
開発時植生を一部残して構内を仕切る舗装道路の人工色を和らげようとしたの
だろう.主が去った無人の構内は当然ながらキツネやイノシシ,リス,フクロウに
とっては格好の出没場所となった.もっとも人には好まれないヤマカガシ,マムシ,
シマヘビの類も増えたし,オオスズメバチやキイロスズメバチも極普通の構成員
と成ったのだが.

10月15日アケビ2011.jpeg
エノキにからみついていたアケビの実.良く熟れておいしそうなのに未だぶらさがっていた.

■生き物 versus  鉄・コンクリート
しかし,ソーラー・パネルを20ヘクタール近くに敷き詰めるメガソーラーも,物理
的存在としては砂利とアスファルトで舗装した道路やコンクリートで土台を固めた
建物と大差ない.人間が己の物質的幸福のため生物生活圏に進入し,これを簒
奪,支配するという開発行為は何も内陸部メガ・ソーラーに始まったことでは無い
のだ.物質とエネルギーの時代で特徴付けられる近代では市街地の野生動物排
除は徹底し,一般的には迷い込んだ野生動物は容赦なく排除,殺戮されるように
なった.ヒトもまた動物の一員であるが,選ばれた神の選民のように人間と動物を
対峙させ,自らの動物性といかに向き合うかという哲学を不問に付してきたのが
近代の主流である.ヒト以外の動物に対する人間界の惨い仕打ちを「戦争」と形
容するのは事実の追認で有っても論外とは言えないだろう.もの言わぬ生物達は,
宣戦布告も無しにまるで無機質を扱うように生物達をなぎ倒し,根こそぎにしてい
く人間達の進軍を黙って耐える以外手が無かったように見える.だが僕自身は持
続可能な社会とか,環境負荷を減らすとかにはそれほど心を動かされないから環
境保護論者ではないのだろう.低次元の消費爆発やブレーキを失ったような経
済活動の反作用を直視すれば,このままの経済成長が成り立たなくなるのは当
たり前で軌道修正の論調は経済原理の範囲内の論理だと思う.

10月1日新道路2011.jpeg
試験場跡地に接近する建設途中の新道.左手には新田の溜池がありサギやカモが訪れる.

■価値観の落差
 それよりは,この地上で生を受けて生まれた生き物が,ヒトとその他でかくも異な
る価値観の対象になぜなるのか,その疑問が僕の頭の中に居座って出て行こうと
しないのだ.飢えて死に直面している百万の民のために,我々の一日分の米を
提供しようという呼びかけですら,一過性のアジテーションとして風化していくのが
常である.他の国の悲惨を見聞きしてもばかばかしい娯楽の類をあきらめようとし
ない自分がいるから,日々の生活を生きなくてはいけない僕等には偽善としか映
らないのだろう.人間界のことですらそうだから,動物達の悲劇など推して知るべ
しではないのか.そうではあるが,身近に目撃したキツネやイノシシの姿を想い出
すと,ここら辺で立ち止って考えたらどうかという声も微かに響いてくるから不思議
だ.

8月2日カブトムシ2011.jpeg
コナラの樹に群がるカブトムシ達.一見したところでは普通サイズに見える.本年8月2日撮影
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●フクシマ原発クライシス(Apr 17,2011);②ダモクレスの剣 [クライシス]

cherenkov-radiatio.jpeg
アイダホ国立研究所新型実験炉;チェレンコフ効果で光る炉心(ウィキペディアより)

▲安定と準安定
前回4月3日のコメントから早くも2週間以上が経過した.1~3号機は
一種の準安定状態に有り,危機的状態からは脱したかに見える.
原子炉圧力容器,格納容器が示す温度,圧力,水位のいずれも大きな
変動を示していない.

http://atmc.jp/plant/container/

1号機格納容器への窒素ガス導入も6日には開始,7日午前1時半には
容器内圧力上昇,東電では作業が順調であるとの感触を得ていた.
米原子力規制委員会(the Nuclear Regulatory Commission: NRC)ヤツコ委員長
(Gregory B. Jaczko)は今の状態を称してstableではないがstaticであると
特徴づけている(4月12日).これはなかなか穿った見方ではある.stableは文字
通り安定であるがstaticは動きのない状態を意味しているのであろう.安定と違って
ちょっとしたことで危機にも簡単に戻りうるのだ.不安材料はいくらでもある.例えば
窒素ガス注入はその後順調に推移しているかというと,12日正午現在で格納
容器内圧力は1.95気圧,前日注入時点の圧と大差ない.つまり窒素ガスは
容器から漏れ出て,水素を一定量以上は追い出せないでいる.

▲膨大な注水のジレンマ
今の準安定状態というのは,通常の冷却系を使用できないために工夫された
間に合わせ的緊急策で,かろうじて保たれていることを忘れないようにする
必要がある.循環冷却系なしの水の注入は原子炉本体だけではない.1~4号機
燃料プールへの積算放水量は7,500トン,ドラム缶にして4万本分である(15日,東電).
この想像を絶する膨大な水の一部は放射性物質を燃料から洗い流して,コンクリート
被覆金属をすり抜け,あらゆる間隙をぬって土中に滲みこんで行く.これは推察であるが
発電所建造物,敷地の総てに汚染物質が吸着し,薄っすらと薄層を形成している
可能性すらある.なぜか.建屋の強烈な爆発を思い出してほしい.ビデオには空気中高く
吹き飛んでいく無数の破片が映し出されている.これらが何を含んでいるのか,
一度として確たる事実の分析が発表されただろうか.

▲複数の対応
要するに安定は月単位の時間の先に希望としてかすかに輝いているのだ.
その具体的な方策については,高濃度汚染環境下での作業効率を考え,
別の場所で冷却系を組み立てて炉に接続する方が現実的だとする提案が
出されている.今有る冷却系に拘れば,それが使用不可能となった時には
とりかえしのつかない遅れをとることになるだろう.決断というよりは複数の対策を
並行してすすめる,その姿が見えないことに苛立っているのは僕だけでは
ないはずだ.事故への対応だけではない.事故の分析もまた依然として初歩的
で心もとない.現在は過去の積み重ねの上にある.すでに過ぎてしまった
出来事の分析を解決済みとすれば,現状把握を誤ることとならないのだろうか.

▲水素爆発と別の推論
建屋の水素爆発についての定説に,前記ヤツコ委員長は米国上院の委員会で
別の可能性を提起した(4月12日付NT記事).

http://www.nytimes.com/2011/04/13/world/asia/13safety.html?_r=1&ref=asia

爆発を引き起こした水素の発生源に関して,従来の見解は圧力容器中で
水位が長時間低下,灼熱の高温燃料棒周囲でジルコニウム被覆と水蒸気が
反応し大量の水素が発生して格納容器の圧力が急上昇,これを外部に逃す
処理中に水素が建屋に充満爆発したと考えられている.前回ブログでもこの
見解を踏まえて爆発に言及した.しかしヤツコ委員長の新提起では水素は
燃料プール由来だという.当然これには東電や保安院側の反論が出されて
然るべきだと思うが,残念ながら筆者の検索には今のところ発見できていない.
問題はヤツコ委員長提起の根拠となっている証拠が何かということである.
そもそも燃料プールの経緯については謎が多すぎる.4号機燃料プールなど
使用済み燃料783本に加えて使用されていた燃料棒548本が保管されて
いたのであるから,「使用済み」燃料プールというのは重要性を低めるレトリック
なのだ.プールの容量は1425立方メートルで2,3号機と同じであるのに対して
発熱量は2,3号機の5~10倍(200万㌔カロリー/時)にも達する.これが
冷却系停止状態で新規の水の注入が無ければ,一日程度で沸騰が始まる
ことになるだろう.

▲情報の量と質
正確で広範な情報を求める国内外の世論に対して,政府は常に「透明性」
について万全を期してきたと繰り返している.情報が足りないとする声と,
もはや公開すべき手持ちの秘密は無いとする主張とのずれはどこから来る
のだろうか.今ある状況で得られるはずだと判断されるデータの質がこの程度
かという失望が背後には有る.データを得るのが困難なら,その困難への説明
をも加えなければ失望は増すばかりだろう.今ある貴重なstatic状態を生かし,
安定を獲得できると思える道筋を示してほしい.
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●フクシマ原発クライシス(Apr 3,2011);①爆発的大規模汚染は回避されたのか? [クライシス]

FNPC.jpeg

▲鋼鉄製原子炉圧力容器・格納容器の神話
 どのように頑丈な容器もそれ固有の脆弱部分を持つ.例えば無敵の鉄壁で
固められた戦艦大和も,魚雷と降り注ぐ爆弾の嵐を受けて悲劇的な最後を
遂げたことを我々は知っている.たとえその上甲板の鋼鉄の厚さが20cm以上でもだ.
福島第一原発の中枢を占める圧力容器,直径約5m前後,全長20m以上の巨大な
筒の厚さは約16cm,この内部ではウラン燃料の臨界核分裂反応が起こっていた.
燃料と言っても通常の意味での燃焼ではない.核分裂臨界反応では強烈な
中性子の嵐の中に原子炉は曝され続ける.10年,20年と使い続けて金属の劣化
は大丈夫のかという疑問が当然生じてくる.しかも福島第一原発のような沸騰水型
軽水炉(BWR)の場合には,7メガパスカル(MPa)のような高い圧力の下,280℃で
沸騰する水からの高温高圧水蒸気でタービンを回さなければならない.このような
過酷な条件で働き続けた鋼鉄が緊急時の激変する環境下でどような特性を示すのか,
その脆弱性を危惧する声が早くから識者より出されていたと聞く.だが圧力容器の
外側にはさらに厚さ3cmの鋼鉄製格納容器がある.これを突破するような壊滅的
汚染が起こりうるなどと何人が想像しただろうか.

▲フクシマ・クライシス;発端
 3月11日14時46分(JST)頃,福島第一原発は東北地方太平洋沖地震と,それに
続く大津波の来襲を受けた.直ちに圧力容器の下部から制御棒がせり上がり原子炉
は自動停止したことは言うまでもない.しかし15時41分には驚愕すべき事態が発生し
た.外部からの電源を失っただけでなく,非常用発電機が一台を除いてすべて故障
停止におちいったというのだ.フクシマ・クライシスの開始である.この時点で危機の
可能性を予測し,慄然としたのは専門家の一部,ないしは原発緊急停止の特性を知
る限られたもののみであろう.放射性物質の拡散も無ければ,その後矢継ぎ早にお
こった”建屋”の爆発も無かったのだから.しかし,そのころ原子炉内では恐るべき速さ
で新たな事態が進行していた.

▲「停止」のイメージとは異なる原子炉の特性
 原子炉の「緊急停止」は家庭用電気器具のパワー・スイッチをオフにすることとは
いささか事情が異なる.確かに全制御棒はスクラムと呼ばれる核分裂反応停止位置
にセットされていただろう.しかし核分裂は停止しても,核分裂生成物の放射性崩壊
は人間の力で停めることは出来ない.この崩壊に伴なう放射線の熱エネルギーは
核分裂から生じる熱エネルギーの数パーセント程度であり,しかも時間経過と共に
ゆっくりと減少していく.しかし,数パーセントである!もしこの崩壊熱を減少させること
ができなければ,燃料棒とそれを覆う被覆管はたちまち500度,600度と止めよう無く温
度が上昇していくことになる.つまり原子炉の安定的な停止は,悲観的な表現をすれ
ば数ヶ月以上にわたる崩壊の危機との戦いの末勝ち取ることの出来るとりあえずの安
定状態と言えなくもない.全電源喪失はこの戦いの手段を失ったに等しい程の緊急
事態である.

▲炉心と容器をめぐる危機の成熟
 地震当日16時36分,原子力安全・保安院は1,2号機で非常用炉心冷却装置注水
不能を確認発表した.すでに屋外発電機は海水をかぶり壊滅,海水による冷却は停
止している.圧力容器内では崩壊熱により圧力が急速に高まり,リーク弁から格納容
器に向けて激しくを蒸気が流れ出たに違いない.しかしリーク弁は本当に正しく機能
したのだろうか.それを判断するデータは無い.あるいは,他の破損箇所が有って,
圧力容器から格納容器への蒸気の急激な流入が有ったのかもしれない.これらは
推察である.しかし,1号機に関しては12日1時20分,2号機では14日22時50分,
そして3号機では14日7時44分,あいついで格納容器圧力異常上昇が通告されている.
必然的に圧力容器の水のレベルは減少することになり,格納容器の圧力は増し
続けることになる.鋼鉄製格納容器は放射性物質を封じ込める最大の砦として設計されて
いるが,前述したように厚さは3cm程度しかない.設計耐圧限界を超えてなすすべが
無ければ爆発の可能性は増す.原子炉の実質的な危機管理中枢がどこにあったのか
不明であるが,とにかく,ベントとよばれるリーク処理がなされたのは当然であろう.
しかし,炉心ではさらに深刻な事態が進行していたはずだ.水素の大量発生である.
水面から露出した燃料棒は崩壊熱で発熱,燃料ペレットを覆うジルコニウム製被覆管と
水が高温で反応すれば水素の発生は避けられない.もちろん窒素環境下では水素の
爆発は避けられる.どこで大量の酸素と水素とが遭遇するかという問題である.
1,3号機では水素爆発は原子炉建屋で起こった.2号機でも爆発が起こったが,
何故かこれは水素爆発だとは断言していない.今の格納容器内に有る窒素ガスの
レベルがどれほどのものか,水素ガスの新たな流入が避けられないとすれば,
急いで外部から窒素ガスを格納容器に送り込む必要があるはずだ.

▲爆発的汚染物質飛散の危険性は去っていない
 4月3日時点で,報道の多くは2号機タービン建屋から漏れ出る放射性物質の
追跡に集中しているかに見える.しかし,真に恐るべき大惨事はこの漏洩にあるのだ
ろうか.原子炉事故の最大のターゲットは爆発的な汚染物質の飛散にあることを なぜ強調しないのだろうか.もちろんその危機が去ったのならこの雑文は意味が
なくなるし,そうあって欲しいと切望している.だが公式に発表される原子炉関連の
データ値が,計器の正常性を確認しての値かという疑問が湧いてくるのは何故だろう
か.堅牢な容器の内部を何者も見ることが出来ないことは良く分かる.それでも,各数
値を有りうる現状とつきあわせてみれば,矛盾点も浮かび上がり現状はより鮮明に
なるだろう.高度な技術を踏まえた解析を行っているはずの技術集団の姿が一向に
見えてこないとすれば,そのような存在は幻ということだろうか.危機管理の全権を任
せられた特別チーム(東電や行政府を越えた),その不在はこの国のリクルートの
仕組みを反映し,危機を増幅してはいないのだろうか.
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●溶解する地方都市と郊外SCの急成長;灰から生まれたぴかぴかでぺらぺらな不死鳥 [街]

■近代の都市の誕生として真っ先に思い浮かぶのは19世紀のロンドンであろう.
産業革命期の圧倒的活力と財を吸収して,大都市病理の総てを飲み込みながら
長期にわたりロンドンは近代都市の典型で有り続けた.サンボリズムの詩人
ランボーはその散文詩,「町々」でその不思議な印象を次のように書きとめて
いる.

”近代蛮族文明のもっとも巨大な着想も思いも及ばぬ堂々たるアクロポリス.
じっと動かぬ灰色の空が作る鈍い陽ざし,築きあげられた石の王者の
ごとききらめき,地上の永遠の雪,これらは言い表わしようもない.異様な
巨大好みによって,古来世に認められたありとあらゆる建築の驚異が
再現された.おれは,ハンプトン・コートの何十倍も広い場所で絵の
展覧会を見物する.その絵がまたすさまじい!”
(ランボウ全作品集,思潮社,粟津則雄訳,p.399)

ランボー肖像byFR.jpeg
ファンタン=ラトゥール(1836~1904)によるランボーの肖像画

別の町の詩で,ランボーは宿の窓から”濃くたちこめた石炭の永遠の煙の
なかを”さまよう人々を眺めるのだが,それは復讐の三女神にも似た亡霊
,つまり”涙もこぼさぬ死の女神,おれたちの世話をするあの働きものの
小娘に,絶望した愛の女神に,往来の泥にまみれたひいひいと泣きわめく
小ぎれいな罪の女神に”も似た亡霊のような人々と言わしめている.
この時ランボーがもし水道水を口にしたなら,ロンドンの印象はさらに
強烈なものになったかもしれない.近代創世記のロンドンでは排泄物は
下水道を通じて容赦なくテムズ河に放出された.その汚物まみれの
テムズ河の水は,水源として上水道にそのまま還流されたのだから驚く.
しかし,エネルギーと物質の時代をリードした近代ロンドンの活力は
その後も衰えることなく国際的大都市へと向かって脱皮を繰り返し,ナチス・
ドイツの激しい空爆をもしのいで世界都市の位置を不動のものにしていった
ことは僕が触れるまでも無い.

1979マンハッタン.jpeg
1979年,エンパイア・ステート・ビルディング展望台より見たミッドタウン

■ロンドンのような開かれた国際的大都市の活力の歴史は他の巨大都市の
歴史とも重なる.100を越える言語が飛び交うニューヨーク市などは,
犯罪都市の汚名を乗り越え,依然として世界の経済,文化の震源地で有り
続けている.東京にしても,パリにしても,メトロポリスとしての活力は
一向に衰える気配が無いのだ.「都会の孤独」や「殺伐たる自然環境」が声高に
叫ばれながら,巨大都市が一方的に富や文化を旺盛に吸収・消化していく
のに対して,一方では,豊かな自然を背後に有するはずの地方都市の多くは
溶解ともいえる衰退の中であえいでいるのはなぜだろうか.例えば僕の住む
人口20万の甲府市もまた絵に描いたようにその衰退の道を歩んでいるかに
見える.休日でもアーケードの下を行き交う人影もまばらで,夕暮れには
早々と店をたたむシャッターの音ばかり,場末感いっぱいの道路では
ソープランドの呼び声が侘しくこだまする.無料の駐車場など期待すべきも
ないから,食事も,買物も広い駐車場をそなえた郊外へと車を走らせる
ことになる.市内中心部という言葉がもはや意味をなさないのだ.
街はどの角度から見ても崩壊しつつある.そして,その空虚の空白を
埋めるかのように,郊外には巨大なショッピングセンター(SC)が林立
する.

ラザウォークSC.jpeg
甲府市北西部,甲斐市に最近出現した巨大なSC.八ヶ岳を眺望する.

■この流れはもちろん今に始まったことではない.郊外型大店舗の進出に
歯止めをかけようとする動きは,複数の動機により二昔以上前から絶えず
蒸し返されてきたが,それらは一向に甲府市再生とは結びつかなかったという
現実が有る.それがここにきて一気に大店舗の攻勢へと向かわせているのだ.
甲府市に隣接する甲斐市では釜無川に沿った田畑が大規模に造成され,
忽然と大SCが2年前に誕生した.周辺の購買意欲を掘り起こしているだけ
でなく,休日ともなればかなり遠方から買物に来たと思われる若者達が
塩崎駅から吐き出される.驚くべきことにこれより巨大なSCが,これまた
甲府市に隣接する昭和町で建設中だという.ここには大型シネコンの入居
も予定されているので,単なる買物施設を越えた社交の場が誕生するのかも
しれない.

昭和SC.jpeg
昭和町に建設中のSC.当初の計画より大幅に縮小されたが県下最大規模になる予定.

■しかし,この空しさはどこから来るのだろうか.全国どこにでもある
千篇一律の建築物,そのなかには同じような商品が,同じように並び,
同じような幸福が演出されて,標準語が同じような話し方で交わされる.
あくまでも明るい建物の外装は,良く言えば軽快,悪く言えばぺらぺらで
安っぽい.おそらく10年もすれば色あせて,次の建て替えが話題となるのだ
ろう.このような風景が人々に刻印していく世界とはどのようなものだろうか.


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